緑紋丸の伝え語り
こいつぁ むかーしむかし、場所は詳しく云えねぇが、遠くの山奥であった話だ。
その山にはもぉっと昔から、腐れ蜘蛛っつぅでっけぇバケモンが居ってよ。近場の集落の子供だの若い娘だのを 拐っては喰い殺していたそうなんだわ。
あるとき 集落の長が、
「俺等でおまん様の馳走を用意しますけ、どうかこれ以上 むらの若ぇのを減らしてくださんな」
と 腐れ蜘蛛にお供え持っていったんだと。まぁ、そのまま喰われちまったわけなんだけどよ。
山の神さんでもなんでもねぇ、ただのバケモンだ。話なんか通じねぇよ。
むらの衆は困り果ててな。逃げ出すモンも そりゃあ、いたさ。
だけんどな? 若ぇ衆の中には、腐れ蜘蛛を退治してやろうってぇ気概のあるモンもいたわけだ。大手柄を上げれば いい嫁子ももらえるしな。まぁ、それもほとんど 喰われちまったわけなんだけどよ。
ちょいと風向きが変わったのは、命からがら逃げ帰ってきた若ぇのの一人が、
「あのバケモン、ただの刃物じゃとても歯が立たん。ちいと触っただけで、鉄もデロンと溶けちまう。まずは溶けねぇ刀が必要だで」
と 言い出してからだった。その若ぇの 徳郎っていったんだけどな、徳郎は言い残すなりむらを飛び出してな。だいぶ長いこと帰らんかった。
何十年と経って徳郎が戻ってきた頃には、もうむらに若ぇのは だぁれも居らんくなってた。
徳郎はな、
「呪い事のむらと毒使いのむらを幾つもまわって、刀鍛冶の郷にも寄って、ようやく腐れ蜘蛛を斬れる刀が出来た。みちょれ、俺があのバケモンを退治して来てやるでの」
と 息巻いて、山に入っていったそうな。
それでどうなったか、っていうとな? 斃せなかったんだ。
徳郎の刀は特別製でな。刀身に強ーい毒と呪いが染み込んでいたのよ。それを抑えるために 爪に緑紋とかいう呪いを 入れておかなければならんかったのに、勇むあまりにそいつを忘れてしまってな。腐れ蜘蛛に辿り着く前に、指先から爆ぜて死んぢまったんだとさ。
さて、徳郎は刀を作る旅の道中で妻子をもうけておってな。子どもは二人で一姫二太郎、姉がお馳で弟は篤郎といった。お馳は徳郎より妻に似て、むらに若いのが残っていれば、嫁の貰い手も数多であろう器量良しであった。だがの、このむらが求めるのは嫁でなくて、腐れ蜘蛛に差し出す贄の方なのよな。
顔は似なんだが 気性は徳郎に似たと見え、お馳は、
「おら、綺麗なべべこ着て 嫁っ子さなりてぇ。けんど、このむらで嫁っ子欲しいのは腐れ蜘蛛だけじゃ。嫌じゃ嫌じゃ。バケモンに喰われるぐれぇなら、おっ父の仇と刺し違えてやる」
と おっ母が止めるのも聞かず、山の中に入ってしまったんだと。
そうして山ン中を進んで行くとな、おっ父の徳郎が力尽きたんだろう辺りに 若武者みてぇななりをした いい男が立っていた。お馳はその凛々しい若武者を一目見るなり、すっかり惚れっちまったのさ。
「おまえ様のようなご立派な方が、こんな山奥へなんの御用でござんしょ」
「某は緑紋丸と申す。この山に腐れ蜘蛛が出ると聞いて参った次第だ。其の方こそ、このような化け蜘蛛のうろつく山の中で何をしておる」
お馳は おっ父が腐れ蜘蛛を退治するために特別な刀を作ったこと、刀を手にして腐れ蜘蛛を退治するために山に入ったはいいが 毒と呪いで死んでしまった事を、緑紋丸に語って聞かせた。
緑紋丸は、
「あいわかった」
と 応えると、お馳に むらへ戻り、おっ母へこう伝えよ と言いつけた。
「某が腐れ蜘蛛を斃してくるゆえ、褒美として娘様を嫁子にくだされ、と」
お馳は、それはそれはもう、舞い上がるほど喜んでのう。すぐさま、むらのおっ母の元へと駆けていったよ。
お馳が走って来たのとおんなじくらいの速さで、腐れ蜘蛛を退治しようという若武者の噂も、むら中に広まったのさね。
夜が明け、一番鶏が鳴こうかという時の頃になって、山の方からむらの入口に 何かがゴロゴロと転がってきたそうだ。何事かとむらの爺様ども婆様どもが飛び出してみると、そいつは腐れ蜘蛛の目ン玉だらけの頭だった。誰もかれも、腰を抜かしておったまげたと。そりゃそうだわな。
朝日を背に、むらの誰も見たことのないような立派な美丈夫が 腐れ蜘蛛の頭の後ろに立っていた。感謝だの畏怖だの憧憬だの、思うところはそれぞれだろうが、むらの者は皆一様に 両手を合わせて拝んでいたよ。
「さて。約束通り、娘様を嫁子にくだされ」
輝くばかりの笑顔を浮かべて手を差し出す緑紋丸に、お馳も満面の笑みで駆け寄った。
疑うものは誰もなく、ただ喜ばしく 若いふたりはむら中に祝福されながら 見送られたのさ。
そんなふうに篤郎じいちゃんは語って聞かせてくれたんだけどよ、なんかちょいとおかしくねぇか。
何で お馳と緑紋丸のふたりは、山の中に 帰っていったんだろうな。