世界一のお嫁さんになると言っていた近所の可愛い女の子。五年経って地元に帰ると、制服姿のその子がいたので夢は順調かと聞いてみたが、無言で肩を殴られた。どうやら世界一腕っ節が強いお嫁さんになるらしい。
「お兄ちゃん! 遊ぼ!」
「俺はお前の兄ちゃんじゃないんだけど」
眩い笑顔と虫歯一つない真っ白な歯を見せて笑う少女。
歳はまだ十歳の、小学四年生だ。
無邪気で一番可愛らしいお年頃である。
俺の返答に少女は頬を膨らませた。
「なんでよ~。昨日もジュケンベンキョーがあるから無理だって言ってたじゃん!」
「受験生だからな」
「なにそれ。意味わかんない!」
「ははは。嫌でも知ることになるさ」
小四のガキんちょに受験はまだ難しいだろう。
両親も不在が多く、この近くにはあまり子供もいないし、遊び相手もいないか。
まぁ息抜き程度ならいいだろう。
「仕方ねえな。一時間だけな」
「やた! お兄ちゃん大好き!」
「はいはい」
「わたしね、世界一のお嫁さんになるの!」
目をキラキラさせて言う少女に俺は考える。
世界一のお嫁さんとは一体。(哲学)
まぁ子供の言う事だ。大した意味はないだろう。
「頑張れ。応援してるよ」
「待っててね!」
「おう」
何を待てばいいのかもよくわからないが、曖昧に返事を返す。
そうして俺は少女――勇乃と小一時間遊んだ。
◇
「ハッ!」
けたたましい目覚まし時計の音に叩き起こされる。
懐かしい不快音につい顔が歪むが、なんとか体を起こしてアナログ時計を止めた。
そして意識が覚醒し、状況を理解する。
「夢、か……」
そうだ、昨日実家に帰ってきたんだった。
社会人二年目、ゴールデンウィーク明けの会社が思った数倍きつかったから、情けなくも弱音を上げて逃げたんだ。
今まで使わなかった有給を消費して遥々帰省。
仕事終わりに新幹線で即行帰ってきたため、物凄い時間寝てしまった。
既に時刻は午後三時半。
罪悪感と気怠さで最悪の寝起きだ。
のろのろとリビングに行くと、母親が台所で夕飯の支度をしていた。
「あら、おはよう。よく眠れた?」
「まぁね。ちょっと外出るわ」
「あんまり遅くならないでよ?」
「はいはい」
洗面所に行き、最低限寝癖を直す。
歯を磨いて薄っすら生えていた髭を剃り、顔を洗って。
なんとか見ていられる社会人の顔に戻った。
自室で適当に服を漁ったら準備は万端。
とりあえず行く当てもないが、外に出たくなったのだ。
外に出ると、五月だというのに物凄い熱気に見舞われた。
都市部のビル熱もヤバいが、田舎は田舎でなんか熱い。
久々の草木の匂いを嗅ぎながらあてもなく歩いていく。
特に用はなかったが、五年前の夢を見て少し思い出に耽りたかった。
あの子は、勇乃は何をしているだろう。
あれから五年経つが、今はもう高校生だろうか。
あの時の俺と同じまで成長しているのか……と思うと感慨深いものがある。
それと同時に、ふと自分の顎を触り、老いを感じて苦笑する。
彼女に言わせればもう『おっさん』なんだろうな。
切ないものだ。
なんて意味のない事を考えながら歩いていると、ふと前方に人の気配を感じた。
しばらく待っていると、そいつが姿を現す。
ショートボブの今風な髪型。
折って短くしたスカートに、胸元のボタンを外しネクタイを緩めて着崩した制服。
そしてだらんとベルトを伸ばしたリュックを背負った姿。
紛う事なき女子高生である。
まさか、とは思った。
しかし、顔を上げて俺の目を見た彼女の顔を見て、俺は息をのんだ。
「……お兄ちゃん?」
「いや……俺はお前の兄ちゃんじゃねえ」
「……やっぱそうだ」
彼女は成長していた。
確かに昔から可愛かったが、あどけなさが抜けて大人っぽくなった。
物腰もかなりクールになったし、『お兄ちゃん』と呼ばれなかったら人違いだとスルーしてしまったかもしれない。
勇乃は突っ立って俺を全身舐めるように見る。
そしてムッとした顔を見せた。
「久しぶりだな」
「五年ぶりだもん」
「あぁ。元気してたか?」
「普通だし」
「ふぅん」
流石に昔みたいな可愛げは無くなったな。
目を輝かせて遊ぼう遊ぼうとはしゃいでいた頃とは大違いだ。
懐かしむ俺に、勇乃は聞いてくる。
「何してたの?」
「仕事だよ」
「今日平日だけど」
「あっれぇ。そうだっけ?」
「何かあったの?」
「……ただちょっと現実逃避したくなっただけさ」
真っ直ぐに聞かれると、誤魔化すのも気が引ける。
深くは語らなかったが、彼女は納得したように頷いた。
「お前は高校帰りか?」
「そうだよ。私もう高校生だもん」
「じゃあもう遊ぼ!って言わないのか?」
「ッ! ……は、恥ずかしいこと思い出させないでよ」
「可愛かったのに」
「……」
顔を赤らめて睨みつけてくる勇乃を見ていると、もっといじめたくなる。
反抗期のガキってのはなんでこうもいじり甲斐があるのか。
と、そこで俺は思い出して聞いてみる。
「そう言えばお前、昔のこと覚えてるか?」
「なにそれ」
「世界一のお嫁さんになるの!って言ってただろ? どうだ? 夢は順調なのか? 彼氏の一人くらいできたか?」
言っていてウザい親戚のおっさんみたいだなぁとは思った。
勿論彼女も同じことを感じたらしく。
そのまま何の返事ももらえずに、ただ肩を殴られた。
あまりの威力によろける社会人男性(23)。
立ち去っていく女子高生の可愛い後ろ姿を目で追いながら、俺は呟いた。
「なるほど、世界で一番ってそういう意味か……」
どうやら腕っ節で世界を取るつもりらしい。
◇
夕飯の時。
珍しく俺が食卓にいるからか、母親も父親も嬉しそうだ。
そう言えば大学進学時に一人暮らしを始めてから、ロクに帰省もしていなかったもんな。
「久々の地元はどうだ?」
「変わらないな。暑いし、田舎だし」
「五年程度で都市化はしないわよ」
他愛もない会話をしながらご飯を食べる。
と、そこで俺は先ほどの事を思い出した。
「そう言えば勇乃に会った」
「あら、よかったじゃない」
「随分成長してたな」
「そりゃもう五年経つし、彼女も女子高生だからね」
俺にとっての五年と彼女にとっての五年は違うよな。
身長すら伸びていないし、逆に退化しているのではないかと思う程だ。
「可愛かったでしょ? ここ最近でグッと可愛くなったのよ」
「へぇ。愛想は悪かったけど」
「そうなの? 私にはいつも笑顔で挨拶してくれるわよ?」
「お父さんの前でも前と変わらないな」
「なんでだよ」
俺にだけあんな不愛想ってわけか?
意味が分からない。
確かに数年顔を見せてはいなかったけど、昔は誰よりも俺にべったりしてたくせに。
「垢ぬけてきたよな、最近」
「そうそう。彼氏でもできたんじゃない?」
「なるほど」
彼氏か。
女子高生と言えば青春だもんな。
未だに彼女ができた事もなければ、初体験も済ませていない俺には縁のない話だったが。
おっと、飯が不味くなるのでやめよう。
おっさんの終わった人生なんて考えるだけ無駄だ。
「あんたは……」
「ごちそうさま」
都合の悪い話題に移行しそうだったため、速やかに食べ終えてリビングを後にした。
◇
翌日の昼の事。
両親ともに不在だったのだが、そんなタイミングで来客があった。
田舎の古い家なせいでインターホンすらないため、面倒だが玄関を開けて顔を出す。
すると立っていたのは勇乃だった。
「お前、何して……」
「お兄ちゃん、遊ぼ?」
「はぁ?」
今日は土曜。
学校が休みで暇なのだろうが、だからと言って何故うちに来る。
高校生にもなっておっさんを遊びに誘うってなんだろう。
「ってか俺はもうお兄ちゃんじゃないだろ。おっさんで十分だ」
「まだ二十三でしょ? 全然お兄ちゃんだよ」
「まぁなんでもいいけど、遊ぶって何する気なんだよ。なんもねえぞ」
「もう! なんでもいいから入れて!」
「お、おい」
やや強引に家の中に押し入られ、俺はため息を吐きながら受け入れる。
「わぁ~。ひっさしぶりだ~」
「マジで何なんだよ。昨日路上で殴り倒したおっさんの家に上がり込むって。まさか、金でも取る気か?」
「なんてこと言うの?」
呆れたようにジト目を向けてくる勇乃。
あまり可愛げはないが、でもどこか懐かしい距離間ではある。
と、彼女はなんでもないように言う。
「部屋入れてよ。お兄ちゃんの」
「え……」
「昔は一緒にお絵かきとかしてくれたじゃん。ほら、早くぅ」
「あ、あぁ」
やましい物は全くないし、一昨日帰ったばかりだから汚れてもいない。
そのため何の気無しであげたのだが。
「あはは。この本まだあるし」
四つん這いで俺の部屋の本棚を漁る勇乃から、俺はそっと視線を外す。
今気づいたが、何故か制服姿だったのだ。
昨日みたいにスカートを短くしているため、この体勢は色々と危険である。
「なんで制服なんだよ」
「えー。今日昼まで学校だったの」
「土曜なのに?」
「自称進だから特別講義があった」
「そうかよ」
居心地が悪いため、なんとなくベッドに座る。
そんな俺を見て、何故か隣に座ってくる勇乃。
距離感が近いのは昔から変わらないが、色々成長してるし、なんなら制服姿だから緊張する。
今の光景、事案じゃないか?
こうして仕事をサボっている俺が言うのもなんだが、一応社会人だ。
問題行動は起こしたくない。
気まずいため、窓の方を見ながら頭を掻いていると、勇乃が口を開いた。
「お兄ちゃん、約束破ったよね」
「え?」
「私、怒ってたんだよ」
急にそんな事を言われ、目が点になる。
どんな約束を破ったのか、全く身に覚えがない。
「忘れたの?」
「……すまん」
「私が『世界一のお嫁さんになるの!』って言ったのは覚えてるくせに?」
「……」
「そのあとに待っててねって言ったじゃん」
「あ」
「でもお兄ちゃん、すぐにどっか行っちゃったじゃん……」
勇乃は俺の太ももに手を置いて、そのまま肩に頭を押し付けてきた。
そう言えば、そんな事を言われていた。
若干震える彼女。
もしかして、泣いてしまったのだろうか。
ヤバい、どうしよう。
慌てる俺に、ゆっくり顔を上げる勇乃。
彼女は泣いてはいなかった。
「私が泣いたと思って焦ったの?」
「……あぁ」
「悪いと思ってるの?」
「すまん。でも、待つって何を?」
あの時もよく分からずに返事をしたのだ。
彼女は俺の問いに少し驚いたような顔を見せて、すぐにムッとした。
「ねぇ、ドキドキしないの?」
「は?」
「女子高生にこんなに密着されて、ドキドキしないの?」
ドキドキはしている。
社会的抹殺を恐れてビクビクしていると言った方が正確だが。
しかし、彼女が聞きたいのはそんな言葉じゃないのはなんとなく察しがついた。
「ずっと、ずっとお兄ちゃんの事大好きだったもん」
「そっか」
「だから、待っててねって。世界一お兄ちゃんのこと大好きなお嫁さんになるから、それまで待っててねって……。なのに、なのにぃ」
「ごめん。勝手に地元から出て行ってごめんな」
俺はあの『待っててね!』に返事をしてしまっていた。
例えこの子の気持ちを受ける気がなかったとしても、約束を破ったのは事実。
俺が悪い。
「悪いと思ってる?」
「ッ!」
涙を浮かべながら聞いてくる勇乃の真っ赤な顔を見て、言葉を失った。
「悪いと思ってるなら、頭撫でてよ。昔みたいによしよしって」
「いや……高校生だぞ? もう」
「関係ないもん!」
「お、おう」
物凄い剣幕で言われて、俺はちょっと身を引く。
しかし、それを追うように体をくっつけてくる勇乃。
相変わらず甘え方が変わらない。
だけど、今それをするのは危険で。
俺は社会人で、彼女は高校生だ。
近所の兄ちゃんと女の子の関係を超えてしまえば、それはもうはみ出し者だ。
「ダメだ。俺は社会人で、お前は高校生だ」
「理由になってないもん。私の事が嫌だって言ってくれなきゃ納得できない! そもそもお兄ちゃん――奏太君が相手だったらお母さんも反対しないから大丈夫だもん」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
「なにそれ。意味わかんない!」
まるで五年前の小学生のころと変わらない言葉に、こんな雰囲気なのについ笑いそうになる。
相変わらず可愛い奴だ。
しかし、だからこそ危うい。
俺は少なからず拗らせている。
この年まで恋愛経験や、そこから派生する諸々の経験がないのは、そういう事だ。
そのため、自分の中のストッパーがいつ外れるか分かったもんじゃない。
こんな小さな幼い女の子に向けてしまうのは、怖い。
だが、そんな俺の葛藤なんて知る由もなく。
「ん」
小さくて柔らくて、ちょっと震える唇に俺は意識を奪われた。
唇を離し、見つめてくる勇乃。
彼女は真っ直ぐな瞳で言った。
「私、絶対世界一のお嫁さんになるから。拒絶されない限り、諦めないから」
「……おう」
迫力に気圧されたのか、根負けしたのか。
何かは知らないが、俺は間抜けに返事をしてしまった。
これで良いのかは知らないが、少し心にゆとりができた。
彼女を家に帰した後、俺は胸に手を当てて呟いた。
「よし、月曜から会社に戻ろう。元気貰ったしな」
自分の事を愛してくれる人がいるのは、嬉しい事だな。
少しここ数日のストレスから解放された気がする。
そして思い出す受験期のこと。
なんだかんだあいつの愛嬌に癒されたんだっけな。
‐‐‐
数日後、勇乃はお兄ちゃんこと奏太にあることを伝えられた。
曰く。
『三年後、勇乃が俺の事を好きでいてくれたなら考えます』
同時に連絡先と住所も一緒に教えてもらった勇乃。
その時、彼女の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
読んでくださってありがとうございます。
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