79話 望み
チャポーン……
俺は今、一点に火を見つめ、生簀の罠に入っていた3匹の魚と、ついでに取った小さい海老を焼いている。
なんせ女神様のご入浴だ。
俺の煩悩に塗れた瞳に映らぬよう、灯りの元となる火を消すかは悩みに悩んだ。
だが、俺がついつい風呂に入りながら食べる食事は最高だなんて言ったもんだから、それにフィーリル様が食いついてしまった。
私もやってみたい、と。
なら火を消すことなんてできないだろう?
生で食べさせるわけにはいかないからな。
それにこんな作業だって女神様にやらせるわけにはいかない。
俺は召使い。
護衛しながら食事の準備をするのが至極当然と、心の底から思っているのだから不思議なものである。
「素晴らしい景観ですね~地球にもこのようなお風呂が存在するのですか~?」
「い、いえ、さすがに川のど真ん中に作る人はいないと思いますよ。地熱で温まった天然のお湯を利用する温泉であれば、川辺にあったりはしますけどね」
ふむ。
より広範囲を確認できる【探査】でも魔物の気配はヒットしないな。
今日頑張った甲斐があるというものだ。
だが油断は禁物。
当たり前のように何かあった時のためにと、【夜目】と【気配察知】も全力発動している。
フィーリル様に何かあったら大変だからな。当然だろう。
ふぅ~……
風呂は真後ろだ。
正確には、俺は石塊の隅にある焚火にへばり付いているため、目を可動域限界まで横に向ければフィーリル様のおみ足がチラリと見える。
不思議なものだな。
さっき裸足であることをこの目で確認しているのに、湯の中にあるというだけでその足がエロティック100万倍になっている。
チャプン……
あっ、肩に湯を掛けた。
別に女神様の風呂の様子を事細かにチェックしているわけではない。
魔物の気配を得るための【気配察知】が、しょうがなく女神様の動向も俺に教えてくれているだけだ。
対象を絞れないんだから不可抗力である。
「良い湯ですね~このようなお湯の温め方も地球の知識なんですか~?」
「ど、どうでしょう? 現代の地球だと大半が自動でやってくれますから、地球の知識と言えばそうなんですけど、かなり古い湯の温め方になると思います」
よし、魚が良い感じに焼けてきたな。
あとは塩を振って、と……
こんな料理とは呼べない食事を女神様が気に入るかは分からないけど、今ある食材なんて魚かオーク肉くらいしかないんだ。
さすがにフィーリル様の小さなお口で、オーク肉を噛り付かせるわけにもいかないだろう。
「さぁ魚が焼けましたよ。塩を振っただけなので微妙かもしれませんがどうぞ!」
「まぁ~ありがとうございますぅ~!」
必死に腕だけを無理やり後ろに伸ばせば、しっかりフィーリル様は枝に刺さった魚をキャッチしてくれる。
ついでに俺も1本食べておくか。
いくらド緊張しているとはいえ腹は減ったしな。
「そういえば、このお風呂かなり大きいですよね~」
「モグモグ……そうですね。【土魔法】で『巨大』なんて伝え方をしたら、こんな大きな石ができてしまいまして……」
「なるほど~。でも、だからといってお風呂をここまで大きくする必要は無かったんじゃないですか~? ロキ君の背丈以上あるでしょうし~」
「モグモグ……確かに、そう言われればそうですね」
「まさか~……私と一緒に入ることを想定して作りましたか~?」
「ブッフゥー!!!?」
なんて失礼なことを言うんだフィーリル様は!
いくら俺がスケベを否定しない男だからと言っても、そこまで厚かましくはない。
たまたま石のサイズに合わせて作ったら――
そう、合わせて作ったらこんなサイズになっちゃったわけだが……
うーん、なんで石のサイズに合わせたんだろうか?
風呂がデカけりゃデカいほど、掘る場所も増えて魔力を大量に使う。
それなのに戦闘で余計な苦労をしながら、俺は魔力を温存してまで風呂作りに注ぎ込んでしまっていた。
言われてみれば確かにその通り。
この半分のサイズだって俺からすれば十分である。
あくまでここに滞在している最中使うだけのもので、持ち帰って一生使うモノでもないわけだしな。
ま、まさか……フィーリル様の「お風呂楽しみ」なんて言葉を聞いて、心の中で一緒に入るつもりでいたのか俺は……?
でも考えてみれば、あの言葉を聞いてから一心不乱に掘り進めていたような気もする……
食いかけの魚を握り締めたまま、完全に動きがストップしている俺の心は、【読心】なんて持っていない【分体】であっても透けていたのだろう。
「私は……構いませんよ?」
なんだ?
見えてはいないが、雰囲気が変わったような気がする……
優しさと穏やかさを兼ね備えた母性の塊のような女神様から、僅かに妖艶な雰囲気を感じとってしまった。
――本当に良いのだろうか?
俺はここでヒヨるような男ではないぞ?
訳の分からない言い訳を作って逃げるなんて、そんな勿体ないことをするつもりはないぞ……?
「い、良いんですか? そんなこと言われたら本当に入っちゃいますけど……?」
「もちろんですよ~。ロキ君が作って、ロキ君が準備してくれたお風呂なんですから~。先ほど血だらけって言ってましたし、本当は早く入りたいんですよね~?」
……ここまで言われたら止まる必要も無いだろう。
後ろを向いたまま、手早く皮鎧を外し、服を脱ぎ捨てる。
――ゴクリ。
喉が、鳴る。
女神様随一のワガママボディか……神に感謝を。
それでは有難く拝見させて頂きます!
ガバッ!!
「ふぁ!?」
「あらあら~。毎日世界に貢献されているせいか、身体も引き締まってますね~」
「……服、着たままじゃないっすか」
「誰も脱いだなんて言ってませんよ~?」
「ふ、風呂に布を入れたら駄目だろぉおおおおおーーーーー!!!」
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
なぜか俺だけ素っ裸を曝け出した入浴タイムが終わり、フィーリル様と拠点の穴倉で寛いでいた。
フィーリル様は一度【分体】を引っ込め、再度出現すれば濡れた肌も衣類も元通り。
完全に乾いていて便利なスキルだと改めて痛感する。
コソッと舌打ちしたのは言うまでもない。
まぁ女神様の爆乳を拝めなかったのは残念だが、それでも一緒に魚を食べながら同じ湯に浸かり、地球の話やこの世界の話をしたあの時間は物凄く貴重な体験だったと思う。
この世界の信者からしてみれば、羨ましくてしょうがない出来事だっただろうな。
そして戻ったついでに、引継ぎの件についても確認してくれたようだ。
「これで大丈夫です~。ロキ君が泊まっていた部屋の場所はちゃんと覚えましたので、明日そちらに飛んでから行動するようにしますよ~」
「それは良かったです。靴とお金は部屋に置きっぱなしってことですかね?」
「みたいですよ~。なので申し訳ありませんが、私もそのお金で靴だけ購入させてもらいますね~」
「リア、様がどれくらいお金使ったか分かりませんけど、何か必要な物があれば、靴以外にも普通に買っちゃって良いですからね?」
とりあえずこれで引き継ぎも一件落着だな。
宿屋の女将さんには予定が分からなかったのもあって、結構な額をまとめて払っているので、少なくとも俺がルルブの森から帰還するまでは部屋の確保も問題無いだろう。
難があるとすれば、部屋に女物の靴が増えていくことくらいか……
「ふふっ、ありがとうございます~。それと~」
「ん?」
「リアのことは普通にリアと呼んで構いませんよ~? 練習させたことは聞いていますから~」
「そ、そうでしたか。忘れるとついつい呼び捨てになっちゃって。でも、ほんとに良いんですかね?」
「私達もその件で少し話し合ったんですけど~、ロキ君はこの世界の人種ではないじゃないですかぁ~?」
「確かに転移者なのでその通りだと思いますけど……それと何か関係が?」
「この世界の人種であればどうかと思う部分もありますけど~、そうでなければ敬うことを強要するのはおかしいと思いませんか~?」
うーん、どうなんだろうか……
まぁ確かに日本人の俺が天皇陛下を偉い人だと思うのは自然なことで、仮に対面すればオロオロしながら畏まることはまず間違いない。
もっと現実的なところで言えば、勤めていた会社の社長なんかは身近で感じる最も偉い人だろう。
じゃあそれが、他国の偉い人となればどうなる?
そりゃ偉いんだろうが、まったく接点も恩恵も受けていない王様から「俺は偉いんだぞ」と言われても、「はぁそうですか」と思う程度。
精々空気を読んで周りに合わせるくらいだ。
それがさらに別世界。それこそ地球外の偉い人となれば――
頭を捻りながら唸る俺に、フィーリル様は言葉を続ける。
「それに私達もロキ君に対してはそんなこと望んでいないんですよ~? リガルだけは性格の問題でちょっと抵抗があるみたいですけどね~」
んん?
悩んでいるところにさらなる疑問が降ってきたな。
どういうことだ?
「えーと……?」
「私達と話せる存在自体が物凄く希少で~その中でも自然体で話してくれるのはロキ君くらいなんです~」
「確か女神様達と話せる人って、元からいる神子だけですよね?」
「そうなんです~今の子も今までの子も、悪い子達じゃなかったんですけど、皆どうも堅過ぎてですねぇ~」
なるほど……なんとなく分かってきたな。
勘違いだったら恥ずかしいが。
「リア、が言ってましたが、女神様達は俺の魂が運ばれるあの空間に6人で住んでいるんですよね?」
「そうですよ~」
「他の神様や女神様との交流はどの程度あるんですか?」
「どういう方がいらっしゃるというのを少しだけ聞いたことがあるくらいで、フェルザ様以外は直接お話ししたこともありませんよ~」
「……」
想像しただけでゾッとしてしまい、思わず言葉を失ってしまった。
6人だけの世界。
下界の様子を監視することはできても、直接手を下すことは特別な事情でもなければ禁忌とされ、人との接点は歴代の神子以外ほぼ無し。
そこまでは分かっていたが、まさか別の世界を管理する神様達とも接点がまったくと言っていいほど無いとは……
そんな期間を何年――いや、そんな次元じゃない年月過ごしてきた?
魔物が先に生まれ、そこに人種が生息可能かを調査するために【分体】を降ろしたはずなのだから、少なくともフィーリル様は、人間がいない時からこの世界を観測していたんだ。
まさに想像もできないほどの永い時を、【不老】というスキルに縛られながら6人で過ごしてきたことになる。
おまけに……女神様達には感情がある。
俺が罵声を浴びせた時は怒り、靴を買ってあげたり風呂を用意すれば喜び、俺がこの世界に降り立った経緯を聞いた時には少なからず同情もしたのだろう。
弱いながらに効率を重視しようとする俺を見て、リアは楽しんでいた感もある。
その姿はなんら人と変わらないし、俺にはその違いも分からない。
……となれば、まさに地獄だ。
長く引き籠り、人との交流を自ら断絶していた俺でさえ、そんな環境なら確実に発狂すると断言できてしまう。
そんな運命をもし引き当ててしまったのなら、せめて感情を消したい、殺したいと切に願ったことだろう。
女神様の立ち位置を自分に置き換えて想像してしまったからか。
自然と言葉が出てしまった。
「――今まで、ずっと頑張ってきたんですね」
「ッ……」
不思議だったんだ。
最初の出会いは不穏そのものだったけど、その後は俺に対する女神様達からの好感度が不自然に高く感じられた。
リアは相変わらず警戒もしていたが、それらはてっきり俺が異世界人だから。
地球の先進的な知識と、謎のスキルによって女神様達も知らないこの世界の知識を得られる人間だから、良くも悪くも利用価値があるのだろうと思っていた。
だけど……そっか。そういうことか。
俺が『転移者』だからだったのか。
この世界の常識とも呼べる、女神様達への先入観が無いからこそ――
なら、不躾かもしれないけど、敢えてこの言葉を投げかけよう。
俺の勘違いだったなら全力で謝罪すれば良い。
そう思って俺は口を開いた。
「友達、欲しいですか?」
すると、一拍の間を置いて――――
「……はいっ!」
フィーリル様は涙で頬を濡らしながらも、これ以上無い笑顔でそう答えてくれた。