683話 歪な関係
日帰りでは戻れないリエンのために、数年前から用意されたという、小川の横に立つ小さな家。
案内されたその建物の中で、ユマは今抱えている疑問を果たして口にしていいものなのか。
道中に会話を聞かれていると警告されていたため、どうしたらいいのか分からず椅子に腰かけ茫然としていると、リエンがカップに注がれた湯気立つ茶を差し出しながら声を掛ける。
「驚いたでしょう。先ほどの光景に」
「あ、ばあ様……」
顔を上げると、リエンは手荷物として持参していた革袋をゴソゴソと漁りながら、心配そうな表情で孫娘を見つめていた。
ならば問われているのはこの里やエルフ達の生活などではなく、あの者達のことだと。
意を決してユマも濁しながらリエンに尋ねる。
「古くからこの森はエルフ以外の立ち入りを固く禁じられているはずなのに、実際は違ったのですか?」
「いいえ、違ってなどいませんよ。フィニーケ大静森は町だけでなく、近隣の村にまで役人が回って定期的な警告を行うほどの禁忌の森――そして先ほどの者達は、多くがその掟を破ってしまった」
「ということは、やっぱり……」
「ええ、だからエルフに捕らえられ、奴隷のような立場としてその一部がこの里で生かされているのです。彼らの土地に無断で入り込んだがために」
あの身形や雰囲気から、きっとそういうことなのだろうとユマも内心では答えに予想が付いていたが、それでも事実を語られたことで目の前が暗くなる。
と、そんな孫娘の様子を眺めながらリエンは革袋から取り出した羽根ペンを握り、持参していた羊皮紙の隅にスラスラと文字を描く。
そして無言のままスッと差し出されると、そこには『帰ったら委細は話しますので、念のためエルフに対する侮蔑や非難の言葉は今は避けなさい』と記されていた。
つまりまだ続いているということ。
この会話も聴かれている。
「ならばしょうがないですね」
そう理解した途端、口では同調しつつもリエンの持つ羽根ペンを奪うように掴み、目の前の羊皮紙に本音を記す。
なぜ帰れば話せるというのなら、これらの事実を事前に伝えてくれなかったのか。
もっとばあ様が早くにエルフの内情を教えてくれていれば、このような土壇場で気が動転するようなこともなかったのだ。
どう考えても今の自分はまともな精神状態ではなく、このままではこれからの交渉に影響が出兼ねない。
怒りというよりは極度の不安から今の思いを正直に伝えると、分かっていると言わんばかりにリエンは頷き、会話とはまったく別の答えを書き記す。
そして――
(え、あの関所が……?)
その答えに、ユマは驚きつつもそういうことかと納得した。
"関所でエルフに対する疑心や敵意を抱えていると判断されれば、その時点で里への道が断たれ、交渉の余地が一切なくなる"
だから家族にすら――というよりは、交渉を担う可能性のある家族だからこそ、悪感情に繋がりかねない事実を事前に伝えられなかったというのは、冷静に考えれば当然のことだろう。
いくら豊富な知識を抱え、より良い未来へと導くために共生するエルフとの交渉に挑もうと、その手前で道を断たれてしまえばこれまでのグリフォード家と同じ。
シャウラのような、より高い立場に立つ相手との交渉の場すら作れずに終わるのだ。
関所のエルフ達が自分に対して重ねてきた、当たり障りのない質問もそういうことだったのかと。
疑問が晴れてきたことで、ふと先ほどリエンが零した言葉の1つを思い返す。
「そういえば、先ほど"多くが掟を破った"という話でしたが、この里に拘束されている者達はそれが全てではないのですか?」
入るなと言われている彼らの縄張りに踏み込み、捕らえられる。
それ以外だと、人間の住む町に出てくる"外エルフ"と揉めたか、もしくは大静森の動物や魔物に手を出してもエルフの怒りを買うのだろうか?
そんなことを考えていると、リエンから意外な言葉を返され、ユマは驚愕した。
「この里には捕らわれた者達の間で生まれた子やその子孫も存在しています」
「え?」
「掟を破った者が集められ、そこで共に生活をしていれば子を成すこともあるでしょう。そういった血筋の者達もまた、森の中で与えられた仕事に従事し、生活しているのです」
「で、でも、その人達は何も罪を犯したわけじゃ……」
あまりに横暴だ。
奴隷の子も無条件に奴隷として利用する者は一定数存在するが、少なくともアイオネスト王国では認めておらず、発覚すればその者が処罰の対象となる。
魔物が潜む森の奥へと連れていき、そこで生まれた人達まで強制的に働かせるなんて……
自然と怒りがこみ上げ、険しい表情を浮かべるユマ。
そんな孫娘の様子を眺めながらリエンは、まだ若く経験が浅いとはいえ案の定かと。
先ほど羊皮紙に示した文字を指先でトントンと優しく叩き、改めてユマに認識させつつ会話を続ける。
「少なくとも今は、捕縛された者同士で子を産ませないように要請し、シャウラ殿にもその旨を承諾してもらっていますから安心なさい」
「あ、そうだったのですね。でも既にこの森の中で生まれた人達は……」
「ええ。ですからそういった話を今後進めていくためにも、我々は互いに歩み寄り、より豊かで尊重し合える関係を築くべく議論を重ねていく必要があるわけです」
まるでこの話を耳にしているであろう、一部のエルフ達へ語り掛けるように話すリエン。
ユマもその言葉を聞きながら、現状どこまでエルフの譲歩が進んでいるのかを考える。
ばあ様からエルフが歩み寄ったという話を聞いたのはこれが初だ。
他にもあるのかもしれないが、あったらあったで国が分かりやすく動くか、もしくは悪感情に繋がる話でなければ、ばあ様の口から成果として多少なりは語られていてもおかしくないのだから、ここはあまり期待しない方がいいのだろう。
対して人間側はというと、森の中だけでは生み出すことが難しい生活物資の支援がここ数年で増加し続けており、過去の記録と照らし合わせても運び込まれる馬車の数はもう5倍近くにまで膨れ上がっていた。
近づき、交渉の場に着かせるための代償は、現状一方的にこちらが負っている。
それでもまだ、この問題が解決に至っていないとするなら――
(駄目だ……この機会に解放を求めることなんてできない……)
要求すべき内容の取捨選択。
国家の存亡に係る事案を抱え、否が応でも特大の要求を突きつけなければならないこの状況では、とてもじゃないがさらにこれもなどとは言えない。
自分よりも明らかに小さな子供達が、苦しそうな顔でグリフォード家の持ち込んだ多量の荷物を運び込む姿が脳裏を過るが……
(ごめんなさい……いつか必ず救い出すから、もう少しだけ辛抱して……)
結果的には自分達が苦しめているように見えたあの状況と、実際は解放できたとしていつになるのか。
何も見通しなど立てられず、ただただ自分に対しての気休めの言葉にしかなっていないことに気付き、込み上げてくる震えと嘔吐感を抑え込みながらユマは再び知識の澱みの中に手を伸ばす。
彼らを救い出すためにも、まずは目の前に迫る問題を解決し、エルグラント王国との関係を修復させなければならない。
そのためにも心を落ち着かせ、冷静に、いつでも問われたことを答えられるように――……
自然と会話は途切れ、各々がこれからのために静かな時を過ごしていると、暫くしてドアの向こう側から女性の声が掛かる。
「アニエスだ。宴の準備が整ったから来てくれ」
「……分かりました。行きますよ、ユマ」
「はい、ばあ様」
促され、二人でアニエスの後を追うと、屋根から2本の大樹が突き抜けた、他とは明らかに大きさの異なる屋敷に辿り着く。
中にはシャウラがただ一人、並べられた数多の料理を前に座っており、他には給仕係だと思われる女性が1名、姿勢を正して部屋の隅で佇んでいた。
晩餐会のように、わらわらと人で溢れ返っていないのはありがたい。
これならシャウラただ一人に集中できる。
そうユマが感じていると、静かに笑みを浮かべていたシャウラが二人に手で座るように示す。
「さあ、それでは始めようか。ユマが加わったことで、より一層この宴が有意義な時間になることを期待している」
この時、油皿の上で揺らめく炎に照らされた二人の顔は、シャウラとは対照的な表情を浮かべていた。











