657話 予想外の来客
火河の国ナフカを抜けて2週間ほど。
目指す国との間には小国がいくつか存在しているようで、北東に進路を取りつつ何か目新しいモノはないものか。
探索ついでにマッピングを進めていると、不意に視界の淵が青く点滅する。
呼び出しの相手は門番役のギリオ君――つまりベザートからだ。
最近はベザートに配置している使役魔物を徐々にベッグさんの管理下へ移しているので、以前のように呼び出し相手から用件の当たりをつけるのが難しくなってきたが……
まあそれでも十中八九は町長絡みだろうと思い、石壁の建造と共に新設した来客用の応対室に向かう。
するとダンゲ町長の向かいに誰かが座っており、その横には質の良さそうな鎧を身に纏った、やたらと姿勢のいい老人が佇んでいた。
面会希望の来客なら俺を呼んだりしないはずだし、たまたま居合わせた別のお客さんか?
そう思いながら何も語らず目配せすると、察した町長は一瞬困ったような表情を浮かべながら立ち上がる。
そして思いがけない言葉を発した。
「この娘さんがロキ王の友達じゃ言うてな……」
「え?」
「そうなると無下に帰すわけにもいかんし、一応呼んでおいた方が良いと思うたんじゃが、真か?」
言われて再び客人に目を向けると、向こうも振り返り、立ち上がりながらこちらを見つめていた。
……ああ、確かに知っている顔だ。
茶色い髪に薄い水色の瞳。
制服だったあの時とは服装がまったく違うし、髪も伸びてだいぶ垢抜けているが、少しミステリアスな雰囲気を感じさせるこの人と一時期は誰よりも顔を合わせていた。
「やあ、久しぶりだね、ロッキー。それともロキ王様とお呼びした方がよろしいですか?」
「いやいや、今更気持ち悪いんで止めてくださいよ。ユマ先輩」
「ふふっ、ね? 私と町長さんの予想が正解だったでしょ?」
得意げに横の老人へ微笑む彼女は、確かにクルシーズ高等貴族院で競い合うように本を読み漁っていたユマ先輩だ。
しかし、なぜここに?
混乱しつつも問うと、先輩は表情を変え、真っ直ぐに俺を見つめる。
「どうしてもロッキーに聞きたいことがあってね。目的を達したから学院を去ったっていうのは本当?」
「ええ、まあ、そうですね」
「そっか……朝から晩まで、あれほど毎日時間を共にしたっていうのに、なんの挨拶もないまま突然消えるなんて酷い話だよね」
「うっ、それは……もう本当に、その通りで……」
「「……」」
言い訳を考えるもまったく出てこず、せめて一言くらい告げるべきだったかと一人反省していると、先輩に付きそう初老の男は頬をヒクヒクと引くつかせ、町長は汚物を見るような眼で俺を見つめていた。
待て待て、何か勘違いしてないか……?
「学長はね、ロッキーが学院を守りきれたから次の目的地に向かったような言い方をしていたけど、私はそんなわけがないってずっと思っててさ」
「……」
「ねえ、学院が抱える非公開の本も一通り読んだか、読める環境を手に入れたの?」
一瞬、なんと言葉を返すべきか迷うが。
「……ですね。まだ全てを読み終えたわけではありませんけど」
それでも正直に答えると、ユマ先輩は納得したように微笑む。
「だと思った。あれだけ本に執着していたロッキーが、中途半端に投げ出すとは思えなかったし」
「はは……そんな考えに行きついてここまで来るなんて、ユマ先輩も大概ですけどね」
「可能性があるとしたらもうここしかないって、そう思ったから。……ねえロッキー、図々しいお願いだっていうことは分かってる。けど、どうしても諦めきれなくて……私にもその本の中身、見せてもらうことってできないかな?」
まあ、そうくるわな。
旅慣れているとは思えない官吏科の生徒が、わざわざこの国に訪れる理由なんてそれしかない。
手に入れるまでの労力や希少性を考えれば、普通なら無理の一言で話を終わらすところだけど、先輩には本の選別で世話になったしなぁ……
「ユマ先輩、いくつか聞いてもいいですか?」
「うん」
「まず、なんでそんなに本の知識を求めているんですか?」
ただ、それも目的次第かと。
本を求める理由を聞けば、ユマ先輩は悩むことなく答えてくれる。
「森の女王エディナと、大賢樹ディアニールに会ってみたいんだ。だから対話できるくらいの知識は最低限身に付けないとって」
「女王エディナは分かりますけど、大賢樹ディアニール……? もしかして”木人”ですか?」
女王エディナはいくつかの書物にも名が登場するこの世界の偉人だ。
エルフの中で最も純血とされるエンシェントエルフの長であり、エルフという種の頂点に立つ人物とされている。
だが大賢樹ディアニールという名は今まで聞いたことがなく、その二つ名と、エルフの女王と共に名前が出てきた点から推測で答えると、ユマ先輩は少し嬉しそうに目を見開く。
「そうそう。こっちの地方でも知っている人なんてほとんどいないのに、さすがロッキーよく分かったね」
「古代人種の1つとして存在自体は知っていましたから。ただこの時代にまだ生きていたんだって、驚きの方が強いですけど……」
「それは私にも分からないよ。ただ最古の生命と言われているくらいだし、フィニーケ大静森のエルフ達が存在を否定しないなら、きっと今も生き続けているのかなって」
最古の生命か。
確かに木人は、新たな生命を宿した女性が人から樹木へと変化する性質をもっていたはずだ。
だから最古の生命と言われてもおかしいとは思わないが、果たしてそんな状態で対話など可能なのか。
そしてカルラとどちらが長く生きているのか……
そんなことをぼんやり考えながら質問を重ねる。
「そのお二人に会いたいということは分かりましたけど、でも会うことが最終的な目的というわけではないですよね?」
「うん。この世界で最も長く生きた二人なら、きっと書物にも纏められていないような知識をいっぱい抱えてそうでしょ?」
「それはそうなんでしょうけど……ユマ先輩はそれほどの知識を得た先に何を見ているんですか?」
嬉しそうに語るユマ先輩。
だが知りたいのはその先なのだ。
俺はより確かな強さを得るために。
リコさんはより正確な情報を後世に残すために。
知識を得たその先で成したいことが未だ見えずに問い掛けると、ここで初めてユマ先輩は少し困惑した表情を見せた。
「ん~その先は漠然としていて、まだ何も見えていないよ。知識があればその時々で最良の選択肢を選べるだろうし、何より知ることって凄く楽しいから様々な知識を得ておきたいっていうだけなんだけど……おかしいかな?」
「あーいや……なんか突っ込んだ質問をしちゃってすみません。うん……それが普通ですよね」
冷めたとは違う。
けど急に当たり前の現実を突きつけられ、途端に冷静になる自分がいた。
よくよく考えれば、ユマ先輩は俺と同じ年だと言っていたのだから今が15歳か16歳くらいだ。
自分に置き換えても、そんな年で抱えていたのは精々何をしたいという目先の願望くらいで、その先の目的なんて何もないままゲームの世界に入り浸っていたのだから、これが普通。
いや、年齢を考えればよく考えている方だろうし、リコさんやエニーがだいぶ特殊なだけだと考え方を改める。
となると、だ。
「ユマ先輩にはお世話になりましたし、複製したモノでもよければ、学院で非公開だった分までお見せしても構いませんよ」
「え、ほんとに!?」
「ただ先輩の【異言語理解】だと、解読できない本もそれなりに出てくるとは思いますけどね」
非公開の書物と言ってもそのほとんどが金板書や石板の類いで、読めてもその中身は非常に断片的。
俺やリコさんが見ても場所や事象がはっきりとしない、過去の災いに対する警告や暗示が多く、モノによってはかなり気になることが書かれているのも確かだが、見たからすぐ利益に結び付くとか何かの役に立つといった感じではなかった。
なのでさすがに扱いが違う源書以外は見せても問題ないと思っているものの、そもそもスキルレベルが足らなければ確認のしようがない。
そこはユマ先輩も理解しているようで。
「うん、自分の実力が足りないのは分かってる。だから今のスキルレベルでも解読できるやつだけ先に見させてもらって、無理なのはいつか絶対【異言語理解】を最大レベルにまでしてみせるから、その時にまた確認させてもらうことってできるかな?」
「それはもちろん可能ですけど……」
ユマ先輩の【異言語理解】はレベル8と、職業加護のブーストがあったとしても、その年齢を考えれば突出して高い。
だが、ここからの2レベルを自然に上げるとなれば、果たしてどれほどの年月がかかるのか……
かと言って、ユマ先輩にパワレベは行えない。
目指すべき自分の姿が見えていない人にやってしまえば、最悪はその人の未来を狭め、潰してしまう。
パワレベを行わず、それでもわざわざここまで願望を叶えにきた先輩に恩を返すとなると……
ぼんやり考えていく中で、リコさんが複製作りをしていた時の光景が頭に浮かび、こちらから一つの提案をする。
「なんでしたら、こちらで翻訳しましょうか?」
「え?」
「この町の看板とかにも使われているイニル語なら一般的ですし、ユマ先輩も余裕で読めるでしょう?」
いずれ場所だけは用意されているベザートの学校に図書館を作るため。
ただ複写するだけでなく、より多くの人が書かれた文字を読めるようにと、リコさんは一部の本を大陸中央で広く使われている言語に書き換える作業を行っていた。
と言ってもジョブ系統スキルに関係する内容が中心なので、昔の亜人が残したメモ書きみたいなモノまでは絶対に翻訳していないだろうけど、石板や金板書は本と違ってそこまで文字量が多くないのだから、黙々と作業を続けるリコさんに頼めばそう時間も掛からず出来上がるだろう。
そうしたらいずれは図書館で限定的に公開したっていいわけだし、そこまで幅広い文字は読めないエニーの勉強用に保管しておいたっていいのだから、作ったからとて無駄になることもない。
その程度の感覚だったが、ユマ先輩にとってはだいぶ予想外だったらしい。
「もちろん読めるけど、なんでそんなことまで……」
「んー僕もあの時ユマ先輩に協力してもらってだいぶ時間を短縮できましたし、それに単調な作業を覚悟していたのに、先輩のお陰で思いの外楽しくやれましたしね」
そんな印象を正直に語ると、ユマ先輩はなんとも複雑な表情を浮かべ、なぜか横の老人二人は『やるやん』みたいな表情で俺を見つめていた。
なんなんだよ、この爺さん達は。
そして先輩は、意味深な言葉と共に連れの老人へ目を向ける。
「そっか……じゃあ、ばあ様にはだいぶ奮発してもらわないとね」
「左様ですな」
「?」
すると老人は深く頷き、筒箱に納められた一通の手紙を俺に差し出した。
「申し遅れました。私はアイオネスト王国、グリフォード公爵家の第二騎士団長を務めておりますジャンダルムと申します。こちら、当主のリエン様よりお預かりした封書となりますのでお納めください」











