641話 ダンゲ町長の涙
数日前にやると言われていたベザートの大工事に取り掛かる。
だから暫くは騒がしくなるけど、これも町のためだから許してほしい。
そうロキに言われ、住民に事情を触れ回った町長のダンゲは、これから何が起きるのか。
分からないなりに覚悟を決め、不安と期待が入り混じりながら王の起こす町の変革を受け入れるつもりだった。
しかしダンゲの想像する町の未来像というのは、あくまで凡人のそれだ。
強いて挙げれば、ニューハンファレストが1日で作られていく光景を数度視界に入れたくらいで、実際にこの世界の人外とも言える力を目の当たりにしたことはなかった。
だからダンゲは想像を遥かに超える結果を目撃し、頼もしさや安心感などといった肯定的な感情よりも戸惑いで溢れかえる。
頻繁に不気味な音が北の森の方から鳴り響いているのは知っていた。
が、来客の応対をしていた僅か1~2時間の間でニューハンファレストよりも倍くらいの高さはありそうな城壁が東区の農地に向かって築かれており、朝になったら反対側――グラーツ養成学校の方にもその城壁は長く延び、入り口には巨大な金属の門と、城壁よりもさらに高い見張り塔のようなモノまで建造されていた。
この時点でダンゲは泡を吹いて倒れそうになったが、それでは終わらない。
その日から来客が口々に道中の異変を訴え説明を求めてくるも、何も聞かされていないダンゲには『穴』やら『谷』という言葉の意味が分からなかった。
『うちの王が工事中なんです』としか言いようがないままひとしきりの対応を終え、慌ててラグリースへと通じる石畳の街道に向かうと、まず壁と表現していいのかも分からない城壁の分厚さに驚き――2枚目の金属門を抜けたところで言葉を失い立ち尽くす。
まったく記憶にない光景。
左右は気持ち悪いくらいに視界がすっきりとしており、街道はその脇を流れるセイル川の自然だけが取り残された、幅50メートル程の橋のようになっていた。
ご丁寧に人の胸辺りまである壁が左右に設けられており、身長の低いダンゲが同じく見学に来た町人に抱きかかえられて壁に上に立たされた時。
底がはっきりと見えないほどの深い谷がどこまでも続く光景を見て、ダンゲは股間が腹の内に引っ込むほどの恐怖を覚えてその場で意識を失った。
そして作業開始から6日が経った今、町を一望できる城壁の上でロキから図案を見せられ、再び固まる。
「今いるのは町の入り口となるこの位置で、先ほどようやくラグリースに向く正面の石壁は作り終えました。で、横に見える深い溝はこの石壁の外を覆うようにこの辺りまで伸びて、そこからはハの字って言って伝わるかな……まあこの図のように、緩く広がりながら町を囲うように森の奥へと伸ばしています」
「もう、農地の先の方まで終わっとるのか……」
「なので町長にお願いしたいのは2つ。まず1つはここに登るための階段とか、石壁の上部に落下防止のための柵を作るとか……魔力を節約するためにこの手の細かい部分は省いて進めてきたので、この辺りの仕事は住民の方にお願いしたいんです」
言われてダンゲは周囲を見回し、すぐに納得する。
「……確かに、このままでは確実に死人が出るな。承知した、ヤーゴフと相談しておこう」
「で、2つ目が溝の周知です。今日までは魔力を全部この石壁造りに注ぎ込みましたけど、明日から『ギムレー』『ウートガルズ』への移住も開始しますし、他にもやることがあるのでペースはかなり落とします」
「ふむ。つまりあの深い溝だけが暫く残っているということか」
「ですね。今のところベザートという町を完全に囲う予定はなく、開墾されていく速度を見ながら溝を掘り、その溝に合わせて徐々に石壁を作りながら広げていきますので、ハンターとか木こりの人達が落ちないようにだけ注意してもらえればと」
「承知した。完全には囲わない……言葉にされると不安も過るが、わざわざあの溝を迂回し、深い森の背後からベザートへ侵入してくることはないか」
「その点も対策は立てていますけど、まあ町の規模が大きくなるほど現実的ではなくなるでしょうね。なのでかつてのラグリースのように、大軍が攻め込んできてボロボロにされるようなことはないと思いますよ。怖いのは空からの侵入ですけど、そちらもアマンダさんと魔道具技師のクライブさんに案は伝えているので、いずれ形になると思いますしね」
「ふーむ……これだけ聞いても十分過ぎるほどにこの町は安全じゃと思うが、それでも新しい町というのは必要なもんかのぉ……」
ベザートの町を眺め、どこか寂しげな様子で呟くダンゲ。
辺境の田舎町から生活を共にしてきた者達が、別の町へ移住しようとしているのだ。
大半の者達は仕事のためにベザートと新天地を行き来するとは言え、それでも目前に迫ってきた別れにダンゲは思わず隠してきた本音を漏らしてしまう。
「結局ここまでやっても、一握りの強者がその気になればあっさりと侵入され、町は破壊されてしまう。もちろんそうならないように僕がいるわけですし、相手もそんな簡単な話ではないから今もこの町は平和に過ごせているわけですけど……それでも結局は町の所在を知られていないことが一番の安全に繋がっちゃうんですよね」
「普通ならば数年――いやいや、下手をすれば数十年と掛かる仕事を、1週間足らずで終わらせてしまうような存在がすぐ近くにいるんじゃ。頭ではよう分かっとるつもりじゃが、それでも寂しいもんは寂しい。老い耄れの戯言だと思って聞き流してくれ」
そう気持ちを吐露すると、ロキは暫し考え込んだ末に思いがけない言葉を吐き出す。
「……じゃあ、カレンダーもすぐに広まると思いますし、明日を開通の記念として国の"祝日"にしちゃいますか」
「え?」
「基本的には仕事を休みにして――それで1年に1度このベザートでお祭りをしたら、新天地に出た人達も戻ってくると思うんです」
「お、おお……」
「今後はちゃんとした税収も入るわけですし、食事やお酒を振る舞ったり、あとは町長の主導で何か催しをやってもいいと思うんですよね。まあそこまでのやる気があればですけど」
そう言ってニヤリと笑うロキに、ダンゲは何度も頷く。
「おおぉ……! や、やる! やるぞワシは! どうせなら子供達も喜んでくれるモノを何か――……」
ダンゲは両手を上げ、町に向かって叫ぶ。
その瞳にじんわりと涙が浮かび、気恥ずかしくてロキの顔は見れなかったが、心の中ではロキに対する感謝の念が尽きなかった。
やることなすこと突拍子もないし、碌に連絡も寄越さずほぼ全てを丸投げにしてくるので、胃薬は1年通して手放せないが。
それでも住民を想う、良き王で本当に良かった。
これ以上の王など、探したところでまずいない――……
ズズ……
――僅かに震動を拾い、ダンゲは不思議に思いながら視線を足元に向ける。
工事は一段落着いたと聞いていたが……
「はて、誰か別の者がまだ奥の方で城壁を作っていたりするのか?」
「えっ? いやいや、僕しかこの石壁は作ってないですけど」
この時、ダンゲは目敏くロキの表情の変化に気付く。
これはやっている――何かやましいことがあるという、そんな表情。
それが今まで経験してきたロキのやらかしから自然と理解できてしまったため、ダンゲは眼つきを鋭くさせた。
「今、不自然にこの巨大な城壁が揺れたんじゃが……?」
「あ~…………風?」
「んわけあるかい! どうやったらこんな巨大な城壁が揺れるっていうんじゃ! 何を隠しておる!?」
ずいっと一歩踏み込み、詰め寄りながらロキの顔を下から眺めると、ばつが悪そうに口を曲げ、頭を掻いたロキが観念したように言葉を吐き出す。
「はぁ…………この石壁、実は壁じゃなくて"箱"なんですよ」
「は……?」
「この下、鉄で補強された檻のようになっていて、魔物が潜んでいるんです」
「はっ……はあ!?」
「いざという時の戦力としてここに何万匹か溜めようと思っているので、一応町長にだけはお伝えしておきますけど……まだ秘密にしておいてくださいね。安全性を確かめた上でやっていると言っても、ベザートの住民にバレると混乱しそうなので」
そう耳元で呟かれ、ダンゲは先ほどの感情などどこへやら。
新天地を夢見て一人静かに涙した。