631話 お返し
アルバート王国の新王都『ミケーレア』。
その中央に位置する宮殿内部で、現れた人影に文官の一人が慌ただしく駆け寄る。
「お、お待ちしておりました新王様! それにシェム様も!」
「ったく、こっちは目が回るほど忙しいんだ。また下らない用件だったらいい加減クビにするよ」
国の中枢で働いていた者達のほとんどが死亡したか行方が分からなくなっていたため、新王都で政務に当たる者達は兎にも角にも不慣れが多く、膨大な仕事量も相まって現場は混乱を極めていた。
度重なる緊急連絡に苛立つマリーは青筋を立てながら用件を問い質すが、返ってきた答えに表情を大きく変える。
「さ、先ほど異世界人ロキを名乗る人物がここに現れまして、"プレゼント"だと、こちらを……合わせて新王様にということで、封書もお預かりしております」
「……そいつの容姿は? 何も被害はなかったのかい」
「容姿は……まだ幼さも残る黒髪の青年でした。向けられた眼差しに独特の冷たさというか、竦んでしまうほどの恐怖を感じましたが、危害を加えられたなどはありません。気付けばそこにいて、受け取ったらその場から消えてしまいましたので」
「となると、本人で間違いないか……で、その箱に収められた羊皮紙が持ってきたもんかい」
「左様でございます。確認しましたところ『地図』の一部で間違いはないと思うのですが……」
言い淀む文官に怪訝な表情を浮かべるも、手に取ってすぐにその意味を理解し、マリーは目を剥く。
と、横で覗き込むように内容を確認していたシェムが異変に気付き、残る羊皮紙の束を纏めて手に取った。
「今まで見てきた地図とは明らかに違いますし、記された地域がばらばらでこの4枚がまったく繋がっていませんね……」
「地図にしてはサイズが小さいと思ったが、あの小僧……縮図を大きく変えて、より精度の高いモノを作っていたのか。それに――」
4枚全てに目を向け、すぐに気付く。
それぞれの地図には町や街道だけでなく、国の重要な防衛拠点が周辺の環境も含めて記されていた。
それにシェムは理解できていないようだったが、マリーは等高線の意味も、それに記された『M』という単位から各町の記号が何を示しているのかもおおよそ理解し、このバタついた状況でこれかと。
身体から力が抜けていくのを感じて咄嗟に腰掛け、封書を開く。
そして――大きな溜め息と共に、瞳を閉じた。
「シェム。このままだと少しは落ち着いてきた感情がぶり返しそうだ。とりあえず私の肩でも揉んどきな……」
「どぇっ!? そそ、それはマズいので直ちに!!」
心得たと言わんばかりに絶妙な手捌きで肩揉みをしながら、マリーが手に持つ手紙を背後からガン見するシェム。
そして悪びれた様子もなく呟く。
「む……王都を攻撃したのは見たこともない黒髪の女であって自分じゃないって、死体が証言したあの黒髪女と同一人物の可能性が高そうですね……」
「ああ。ファルコムを襲い、そのついでに証拠の隠滅――もしくはロキに擦り付ける目的で町を破壊したって考えるのが自然だろう。それに例の証言もあるしね」
「黒い羽と王都を守ろうとしていた存在ですか」
ロミナスを襲撃した人物、もしくは勢力を絞り込める情報は拾えないのか。
ファルコムから消え去った者達の足取りも含めて当時の状況を聞き出していく中で、多くの生き残りや死体から得られた証言。
それは降り注ぐ数多の大岩に対して空を覆うほどの防壁を生み出し、町を護ろうとする存在がいたということだった。
当然マリーにはそのような人物に心当たりがなく、誰かに依頼した覚えもない。
不可解に思いながらも証言を集め、その中で巨大な岩を支える黒い羽や靄という言葉が出始めた時。
ロキは王都を攻撃したのではなく、守っていたという……
あまりに理解し難い可能性が強く浮かび上がっていたため、今更ロキが自分じゃないと言い出したところでシェム達は驚きや苛立ちを覚えるようなこともなかった。
だからこそ、いったい何がマリー様の癇に障ったのか。
興味に駆られて読み進めていく中で、これかという答えを見つけて肩を揉む手が止まる。
「なんと……アースガルド王国及びラグリース王国への攻撃の気配を感じたらというのはまだ分かりますが、諸外国への攻撃だと判断されてもこの詳細な地図をバラまかれるわけですか……」
「あのクソガキ……わざわざ実効支配にまで言及して、これ以上侵攻しようとすれば世界中に流すと伝えてきたんだ。パルモ砂国やスチア連邦にも気付いている可能性が高い」
「となるとかなりの金を撒くことになるでしょうが、今のうちに各商業ギルドへ根回ししておくしかありませんね……」
シェムはすぐに対策を述べるか、マリーは乱暴に手紙を机の上へ放り投げるとその言葉を否定する。
「いや、それじゃ止まらないだろうよ。そもそも地図の中身が嫌がらせかと思えるくらい軍事用に寄せられているんだ。こんなのロキが直接各国の上層部に渡せばそれで終わりだ。あとはいくらでも複製されて必要な箇所にうちの情報が共有されていく」
「あ……今までが商業ギルド経由だからと言って、この地図もそうするとは限らないのか……」
「それでも無視して他所の国を落とそうとすれば、敵国の民すら守ろうとするあの男がどう動くのか、すぐに想像がついちまうねぇ……」
この言葉に、ロキがどう動くのかはっきりと予想できてしまったシェムは深く納得する。
言わずもがな、絶対にしゃしゃり出てきて派手に妨害されるだろう。
その時、投入した戦力にどれほどの被害が生まれるのか……
そう考えると奇襲でも暗殺でも、異世界人ロキを始末してからでないと安心して動けそうもない。
「まあ厄介は厄介だが、今はそれどころじゃないからね。お前の父親――ヨシュアやルカ、それにギルクライブも"隕石を降らす黒髪の女"に思い当たる節がないってんなら、もう西の連中でほぼほぼ確定と言ってもいい」
「では今後も予定通りということで?」
「……いや、派手に動き過ぎて成果が出る前に妨げられても面倒だからね。とりあえずは戦力にもならないような連中を西の広域に送り続けときな。しばらくはただ溶け込むように生活させておくだけでいい」
「承知しました。では市場の変化は特に注意深く観察させておきます」
「ああ。いくらファルコムの連中を隠したところで、活かし、利を求める限り必ず生まれた成果物の一部は表に出てくるんだ。ある程度地域が絞れたら、その時は広がり切る前にこちらから動く。そこでエルグラントと帝国との三つ巴になり、多くの戦力を溶かすことになろうともね」
シェムはこの時、表情は見えずともマリーの覚悟が籠った声色を聞いて息を呑む。
アルバートの地で生み出されたモノが西に渡っていることもあるため、すぐのすぐに分かりやすい痕跡が表に出てくるとは思えない。
が、それでも時間が経てば経つほど様々なモノが生み出され、敵国が豊かに、そして戦力も増強されていく中で奪われたアルバートだけは衰えていくのだから、可能な限り早期に発見して敵を潰すという考えは当然の方針だ。
ここで戦力を消耗しようと、異世界人ロキや獣人の王が自ら積極的に動くとは考えにくく、西の影を気にしながら東の異世界人同士で争う状況とはまったく質も違う。
そう、違うはずなのだが……
シェムは放り出された手紙に再度目を向け、気になっていた一文の意味を考える。
"これ以上侵攻しようとすれば"と書かれているが、それはどの程度のことを指しているのか。
攻撃の気配という表現もそうだし、その曖昧さがどのタイミングで介入してくるのか分からず、やりづらさとより一層の不安を掻き立てる。
それこそ一方的な条件を突きつけて脅し、あとの解釈は受け手に委ねつつ行動を強く縛ろうとするマリー様を真似たようなやり方だ。
(もしや阻まれるという意味だけでなく、やり口を返されたからここまでの苛立ちを……?)
なんとなく、そういうことかと理解したシェムは、より状況が厳しくなってきた中でどのように動けばアルバートが最良の結果を得られるのか。
声を荒らげて文官に指示を飛ばすマリーの肩を揉みながら、暫く思考に耽っていた。