616話 落日
最初は何が起きているのか、まったく状況を呑み込めなかった。
北の空に赤く光る岩のような塊が浮かんでおり、その大きさは遠目に見てもかなりのモノになるだろうと、思うことはその程度で……
しかしその物体がみるみる高度を下げていると気付いた途端、身体中から嫌な汗が吹き出し血の気が引いていく。
「おいおい……待てよ……」
それはどこに向かって墜ちているんだ……?
先ほど一方的とは言え、マリーに大規模な攻撃を行うなと忠告されたばかりなんだ。
こんなものが自然発生したなどとは思わない。
誰が、なんのために生み出したのか。
ぐちゃぐちゃに思考が入り乱れるも、結論が出るより先に空へ転移し、愕然とする。
思った通り、眼下には見覚えのあるアルバートの王都『ロミナス』が広がっており、上空を見上げれば想像していたよりも遥かに大きな岩が、火を噴き上げながら町に向かって落下していた。
……これを『収納』できるのか?
一瞬、脳裏にそんな考えが過るも、地上に墜ちていくソレはミノ諸島の浮遊島と同じくらい存在感があり、どう見たって俺の収納限界を超えている。
無理に実行すれば魔力が瞬く間に枯渇し、そのまま空で意識を失って死ぬ未来しか見えてこない。
でも、とりあえずは……
――【発火】――
悠長に考えている時間はない。
スキルの性質を考えれば、たぶんいける……!
そう自分自身に言い聞かせながら大きく息を吐き、覚悟を決めて燃える巨岩の真下に飛びつく。
「ぐぅ、お……ッ!?」
が、籠を背負って飛び回っていたあの時とはまるで感覚が違った。
【飛行】の最中は重みなど瞬時に消えていたというのに、質量があまりに違い過ぎるせいなのか?
重みと表現していいのかも分からない重圧に耐えきれず、ただただ呻きを漏らすことしかできない。
それでも限界まで羽を広げて張り付き、必死に抵抗を続けていると、
(軽くなってきている、か……?)
次第に流れる景色が緩やかになってきたので、たぶん【飛行】の影響は徐々に出始めているのだと思うが……
振り返ると、こちらを見上げる小さな人の姿まで見えてきているのだ。
このペースでは、重さを感じなくなるより前に間違いなく墜落する。
そして墜ちたら終わりだ。
アルバートの王都にとてつもない被害が生まれ、流れからしても俺がその犯人として責め立てられることだろう。
「冗談じゃ、ねぇぞ……!!」
使って初めて分かることもあるため、このような危機的な場面で未経験のスキルの使用は極力避けたい。
そんな考えも少なからずあったが、もはや他に選択肢などなく、咄嗟にステータス画面を開いてまだ把握しきれていなかったスキルの詳細を確認する。
【重力魔法】Lv5 任意の方向に力を加え、強制的に対象を動かす もしくは任意の対象に対して加重と軽減を行う その威力はスキルレベルと術者の知力に依存する 効果時間3秒 再使用まで10秒 消費魔力150
元の持ち主であるエルフ男よりもスキルレベルが低いせいか、予想していたより効果時間が短く、消費は重い。
それでも表示された効果は概ね予想通り。
だったら今はこれに懸けるしかなく、祈るような気持ちで発動させた。
――【重力魔法】――『軽減』
……まあ、当たり前か。
発動すると迫る圧が幾分軽減されたような気もするが、ここまで巨大なモノの重さをあっさりとゼロにできるとは思っていない。
だから、即座に繋ぐ。
――『反発』――
あの男は効果時間内であれば、系統の違う効果を追加で発動させていた。
だったらたぶん、俺でもできるはず――その予想通り、燃える岩に両手を当て、下方から空に向かって弾き飛ばすイメージを作りながら唱えると、不気味に軋みながら巨岩はその動きを緩める。
これならいけるか……?
兎にも角にも、落下速度を掻き消すことさえできれば俺の勝ちなのだ。
次の再使用を待たずして、ここでコイツの動きを止める……!
そのつもりで【闘気術】を発動し、落下する勢いに耐えながら巨岩を押し返していると――
「不思議ですね」
「?」
唐突に、人の声を耳が拾う。
思わず目を向けると、立っている――という表現でいいのだろうか。
足元から氷を生やし、宙に浮かぶ巨岩の底に、逆立ちのまま立ってこちらを見つめる女がいた。
不思議というのはこちらのセリフで、意味が分からず言葉を失っていると、女はそのまま言葉を続ける。
「コレを止められそうなことにまず驚きですが、なぜあなたがこの町を護ろうとしているのですか?」
「……」
褐色の肌に漆黒のような艶のある黒髪。
そしてリステに似た、黄金色に輝く瞳をしたこの女が何者で、どの立ち位置から喋っているのか分からない。
が、スキルを見通せず、いつの間にかそこに立っている時点でまともじゃないことは確かなのだ。
「これ、やったの、お前か……?」
話ぶりからして、犯人はこいつかと。
余裕がないこともあって荒々しく問い質すと、この女は首を横に振った。
「ご冗談を、私にこのような芸当はできませんよ。それよりこちらの質問にも答えていただけませんか? あなたはアルバート王国と敵対しているわけですから、その中枢に壊滅的な打撃を与えられるのなら喜ばしいことではないのですか?」
「だとしても、ここの住民はまったく関係ないだろうが!?」
そんなもの、原因を作っている頭と、その頭に染まった連中だけをぶっ潰せばいい。
俺の中では当然とも言える考えを吐き捨てると、女は心底驚いたような表情を浮かべてこちらを暫く見つめていた。
「ここ1年2年ほどで急に頭角を現し始めた人物がどれほどのものかと、想像を巡らせていましたが……なるほど。あなた、個体戦力が高いというだけで、随分と考え方はヌルいのですね」
「は……?」
「でも、それでは困る者達が大勢いるのです。なので、最後に私からプレゼントを――……"メテオラ"。世界が望む結末を、その背にかかる大きな期待を裏切らないでください」
そして、一方的に言葉を告げると、女は冷めた眼差しを向けながら忽然と姿を消してしまう。
あの刀使いといい、なんなんだよいったい……
世界や期待がどうのと言っていたが、アルバートと敵対関係にありそうだというくらいで、どこのどいつなのかもまったく分からない。
だが、はっきりしていることもある。
あの女、喋りながら両手に視認できるほどの魔力を集め、何かしらの魔法を唱えていた。
メテオラとはなんだ……?
この状況だからこそ、自然と連想できてしまったその言葉の意味に嫌な予感をヒシヒシ感じていると、
「おごっ……!?」
轟音と共に、支えていた巨岩にとてつもない衝撃が加わる。
と同時に、視界の隅を何かが通り抜けていったような気がした。
咄嗟に視線を向けると、それは火球で……
しかし、地面に衝突した衝撃と爆音。
そして舞い上がる土煙により、それが頭上の島のような巨岩よりは小さいというだけで、それなりの大きさがあるとを知った時、再び支えていた頭が割れるかと思うほどの衝撃が走り、また先ほどの火球が頭上の巨岩に墜ちたのだと理解した。
と同時に相手の狙いに予想がつき、嫌な光景がいくつも頭に浮かびながら、慌てて詠唱する。
『精霊よ、生み出せ、大地!』
あの女……
犯人は自分じゃないなどと言っていたが、たぶんそれは偽りで、『大きさ』じゃなく、今度は『数』に切り替えてきた。
無作為に生み出すタイプなのか、それとも敢えて巨岩にも当てて俺を拘束しようとしているのか、それは分からないが……
巨岩の重圧が再び増したことで、俺は手が離せずここからまともに動くことも叶わない。
だったら――
「させるか……!」
今は無理やりであろうと、止めるしかない。
より強固に厚みをもたせて、広域に。
それだけを考えながら【精霊魔法】を唱え続け、激しい衝突音が鳴り響く中、頭上の巨岩を中心に火球を遮る大地の壁を形成していく。
が、そんなことができるのも一時の間だけ。
「いつまで続くんだよ……」
身体中から感じる猛烈な渇き。
元から魔力を失っていたタイミングで、過去にないほど消費の激しい魔法を連発しているのだ。
魔力は瞬く間に減少していき、ステータス画面に表示された魔力残は既に2000を下回っていた。
だと言うのに衝突音は止まらず、いくつもの火球が空を覆う大地を破壊しながら町へ落下していく。
「はっ……あ、ぐっ……やめろ……」
先ほどから幾度となく町や大地を焼かれ、死者が山のように積まれたベザートやラグリースの無残な姿が脳裏に浮かんでくる。
一人ならまだしも、あの刀使いのような黒騎士が何人も現れたら、間違いなく俺はその全てを守り切れない。
それに高度を下げたことで、下からは数多の悲痛な叫びや子供の泣き声まで聞こえ始めていた。
「もう、やめてくれ……」
そして魔力残が500を下回り、これ以上減らせば最低限の自衛すらままならなくというところで思わず願うも、現実は非情で。
幾度となく火球を受け止めていた巨岩がその衝撃に耐えきれず、激しく軋みを立てながら崩れていく。
だが、魔力が底をついた俺には、その崩壊を止める術がない。
……そっと手を放し、光が差し込み始めた空をぼんやりと眺めながら、これからどうなってしまうのか。
燃え盛る岩と共に落下しながら回らない頭で考えるも、次第にその光が煩わしくなり、遮るようにそっと手を翳す。
ああ……
本当にもう、止められそうもない。
『【細工】Lv8を取得しました』
「だかラ、やめてクレと、言ったンだ……」
この話で第3部が終了となります。
ちなみに1部は1話~175話(この世界に来た理由)まで。
2部は176話~449話(自白)まで。
では次回からの第4部をお楽しみください。