615話 主の帰還
「おお、無事お戻りになられましたか! って、あれ……」
主が転移先に指定している部屋から出てきたことで、若執事のシェムは声を上げて帰還を喜ぶ。
しかしその後に続く人物は、素顔の一部を晒したユーバしかいない。
そのことに気付き、なんと声を掛ければいいのか戸惑っていると、マリーが世にも珍しい言葉を投げ掛けた。
「シェム、今回ばかりは助かったよ。感謝する」
「あ、父上の件ですか?」
「ああ、私が頼んだくらいじゃ動いてくれなかっただろうからね。お前の父親が来てくれなければ諸々の回収すらままならなかった」
父親と言っても歳の差は通常のそれと全く異なるが、戦力不足を危惧したマリーに頼まれ、シェムが手を貸してもらえるよう頭を下げて依頼していた。
そしてシェムは、マリーのこの言葉で参加した他のランカー達がどのような結末を迎えたのか理解し、思わず口を開く。
「父上が参戦しても、第五の異世界人を倒すのにそれほどの被害があったわけですか……」
「来たのは他が殺られた後だったからね。それにあの男はまだ始末できていない」
「え?」
「お前の父親が勝てるか分からないと判断するくらいだ。今回は和解条件を突きつけ撤退したが、確実に殺るとなればオールランカーの中でも最上位クラスを4、5人は用意する必要があるだろう」
「うっ……」
シェムは癖の強過ぎる父親を想像し、それがどれほど難しいことなのかをすぐに理解して呻きを漏らす。
が、それ以上に大事なことに気付き、はっとした様子で声を荒らげた。
「ということは、マリー様のあのお力まで破られたのですか!?」
もしそうなのだとしたら、覇道の道を根底から揺るがすほどの一大事だ。
しかしマリーは分かりやすく溜息を吐くと、椅子に深く腰掛けながら首を左右に振った。
「私がこんなところで手札を晒すわけがないだろう。それにあの男を誘導するため、戦場は分かりやすい目印がある王都南のシラズ平野を選んだんだ。ロキを殺せても、うちの王都まで壊滅したんじゃ意味がない」
「そ、そうでしたか……」
その言葉に一瞬シェムは安堵し、いやいや違うと自らを否定する。
世界有数の強者たるオールランカーが5名と番外が1名死亡したというのに、第五の異世界人を倒し切れていないのだ。
最も厄介な存在が想定以上に強いと知れたことで、これは暫く屋敷も国も大荒れになるだろうと。
シェムが心密かに覚悟を決めるも、仮面を取ったマリーの表情にさほど不穏な空気は感じられず、それどころか薄っすらと笑みを零していた。
「んん? てっきり事態はより深刻になったと思っていたのですが、違うのですか?」
「確かにかなりの守備兵が死に、まず戦いになっても生き残ると思っていたヴァルゴまで殺られたんだ。戦力的な痛手はかなり大きいが、それでも差し引きで言えば十分プラスだろうよ」
「これでプラス……あ、ユーバ殿が生きて戻られたということは、もしかして……?」
「ああ、"呪印"を成功させた。と言ってもあの男は何か裏があるとしか思えないほど全般的な耐性が高いからね……スキルそのものの効果にはあまり期待できなさそうだが、だからこそ副次的な効果が生きてくる」
「副次的な効果?」
すぐに退室したためこの場にはいないが、ユーバの持つ種族固有スキルは特殊であり極めて希少だ。
シェムは知識が追いつかずに首を傾げると、その姿を見たマリーがわずかに口角を上げる。
「居所の特定さ。と言っても方位を掴めるくらいらしいが、呪者であるユーバだけはやつがいる場所を感覚で掴める。十分な戦力さえ集められれば、無防備な就寝時に奇襲も狙えるわけだ」
「なるほど……本来の効果があまり期待できないからこそ、いつまで経っても気づかない可能性があるわけですか。それに呪者がユーバ殿なら、仮に気付けたとしても解除が難しい」
「ああ、あの男も自己回復は多用していたが、さすがに回復職でもない者が【神聖魔法】を最大レベルまで上げているとは思えないからね」
「おお……!」
自分の父親と似たような存在ならば、居所が判明したからすなわち確殺というわけにはいかない。
だが今回の戦いで第五の異世界人に対する情報はかなり得られたようだし、仕留めきれるほどの人材が揃ったタイミングで奇襲を仕掛けたならば、それはほぼほぼ確殺に匹敵するだろうと。
勝ち筋が見えてきたところで、シェムの脳裏に一抹の不安が過る。
「……あの、大丈夫でしょうか?」
「あ?」
「突きつけたという和解条件に納得し、これで第五の異世界人は大人しくしてくれるのかなと……」
これまでの話を聞く限り、第五の異世界人が優勢の状況だったことは間違いないだろう。
となると、相応の条件をこちらが提示しなければ動きは止まらなさそうだが、こうして身近で見ているからこそ、マリー様がそのような妥協をするとも思えなかった。
下手をすれば、再び王都が危険にさらされるのではないのか。
そんなシェムをマリーは鼻で笑い、一蹴した。
「ふん、やつの弱点は既にはっきりしているからね。大事に抱えているチンケな町の住民を人質にでもしておけば大抵の動きは止まるだろうが、まあ今回は事情が事情だ。派手な動きを取らせないためにも詫びとして、うちの王の命をくれてやることにした」
「えっ? ポラン王を、ですか……?」
「ああ、砲撃の責任を私や王に求めたのはロキ自身だからね。当初の予定よりは早くなったが、ここで肥え豚の命が役に立つ時が来たというわけだ」
予定より早い――その言葉にシェムが目を見開き反応を示す。
「ということは、ようやくマリー様が……」
「異世界人の襲撃により危険に晒された王都を強大な力で以て守護する。古参の反対派を押し込め、民衆の理解も得ながら円滑にアルバートの王位を継承する流れとしてはそこそこの筋書きだろう」
……やはり、恐ろしい人だ。
シェムは淡々と語るこの流れを耳にし、ゾワリを肌が粟立つ。
想定外の事態を逆手に取り、気付けばここまでこちらにとって優位な流れを組み立てている。
甘い蜜の中で飼殺した王家にもはや敵はいないし、これなら何も心配はいらない――そう感じながら、失ったオールランカーの枠をどう埋めていくか。
マリーと共に協議を進めていると、ほどなくして部屋に放置されたままだった通信魔道具が鳴り響く。
「早速か」
マリーが背後でそう呟く中、シェムも当然、"王が殺された"という報告を聞かされるのだと思っていたが。
「早くマリー侯爵に報告を……!! 王都に燃え盛る岩が次々と降り注いで、広域に甚大な被害が……! 幸い陛下は地下道から避難されておりますが、魔天閣が倒壊し、王宮魔導士も陛下の護衛に回っているためまともな迎撃もできません! 既に防御結界は砕かれ、ディグアス城塞も崩――………」
「……!?」
聞こえてきたのは数多の悲鳴の中で、王都の現状を必死に伝える高官の叫び。
しかしその内容も途中で途切れてしまい、明らかな異常事態にシェムが慌てて振り返ると、マリーは目を見開いたまま微動だにせず、人形のように固まっていた。