609話 湖の先へ
警報鳴り響く王都の上空をしばらく南に向かうと、広く続いた農耕地の先にそう大きくはない湖を発見する。
その先は木々も碌に生えておらず、よく街道に利用されるような見通しの良い平野が続いていたため――
「あれか……」
――上空からでもはっきりと分かる黒い塊を確認し、改めて周囲を見回してから近くに降り立つ。
すると、岩に腰掛けていた黒騎士の一人がゆっくりと立ち上がった。
「呆れたね。本当に一人で来たのかい」
「……ああ。あなたならここで仲間を引き連れてくるわけですか」
「まったく、その若さで大した自信だよ。お前が死ねば、大事そうに抱えているベザートの町は全てを奪われ消えてなくなる。そいつを理解していないわけじゃないだろう?」
「もちろんです。だから僕は奪おうとする存在を許さない。周囲に害を振りまくことでしか生きられないような連中は必ず殺す」
カルラのように、魔力を使用することで若返る能力がないことはもう分かっているのだ。
いずれは俺がいなくても町が回るようにと思っているが、少なくとも今この段階では難しく、規則に縛られ直接手は出せないリルにアルバート王国との緊張が高まったことを伝え、ベザートに怪しい人物や異変が起きたらすぐに連絡をくれと報告しておくくらい。
少しずつ戻ってきているとはいえ、まだあの魔力量ではゼオに頼るわけにもいかず、力で奪おうとする者達は多いというのに自衛の手段があまりに乏しい。
と、ここでマリーが意外な言葉を口にする。
「はぁ……お前がどう思うかは別として、事実だけは伝えておくよ。まず今回の一件に私は一切関与していない。それこそうちの王を介して、面倒なことになるからロキには手を出すなと強く忠告していたくらいだ」
「……」
「にも拘わらず砲撃したのは、学院でお前が救わなかったオーリッジという子供の親だ。アルバート王国内で自分の子供だけが死んだことに恨みを抱いたんだろう」
……記憶にある名だ。
確かに2つ並んだ遺体の前で、複数人の生徒がオーリッジと言う名を口にし哀れんでいた。
だがさすがにそんなの、逆恨みもいいところ。
見捨てる気などなかったが、あの時の俺ではどうしようもなかった。
「だからアルバートは……王やあなたは悪くないと、そう言いたいのですか? 元はと言えば、あなた達が学院の被害も顧みずに攻撃を加えたことが原因だというのに」
「責任の所在ではなく、砲撃の事実はそうだと言っているんだ。こっちは今このタイミングでお前と戦う気なんてなかった……どう転んだところで西の連中が喜ぶだけだからね」
たぶん、マリーの語った内容は事実であり、本心なのだろう。
だが、戦力など抱えていない俺にとっては、遅いか早いかの違いだけ。
アルバートやマリーの事情など考慮する必要はない。
「……今、このタイミングと、そう言っているのが良い証拠じゃないですか。お互いに存在を疎ましく思い、それでも自国の被害を考えれば直接的な行動には移せないでいた。だったら決着をつける良い機会でしょう? 見てお分かりの通り、僕はたった一人だ。そこで侍らせている黒騎士とやらも、死ぬ覚悟があってマリーに加勢するのでしたら止めはしません」
「……」
「それとも、ここまであなたに有利な状況であってもビビって逃げ出し、またコソコソと裏で薄汚い暗躍に精を出すつもりですか? 結局は通りすがった僕に潰されるというのに」
「ふん、クソガキが……」
正直、ここでどう動けば最善手になるかは分からない。
下手に【洞察】を使うわけにもいかず、相手戦力は未知数のまま。
しかし、マリーが及び腰……というよりあまり乗り気に見えないのは、今動いたところで利点が薄いというだけでなく、今ある戦力にそこまでの自信がないようにも思えてくる。
だったらようやく掴んだこの機会を逃し、マリーに再び潜伏される方が面倒であり、厄介になる可能性が高い。
アルバートだけでなく、旧スチア連邦やパルモ砂国の戦力。
それに55名存在するというオールランカーを、同時に動かされる方が厄介極まりないのだから。
(唯一、仮にここでマリーを始末できたとして、残された他のオールランカーがどう動くのかは気になるところだが……)
余計な欲を振り払うように大きく息を吐き、分かりやすく戦闘の意志を示すため自己バフを唱える。
――【身体強化】――
――【気配察知】――
――【魔力感知】――
――【発火】――
――【嗅覚上昇】――
――【熱感知】――
――【聞き耳】――
――【忍び足】――
――【魔力纏術】――魔力『5000』
するとこちらの動きに反応し、相手も様々なスキルを使用しながら意見を口にする。
初めて聞く、黒騎士達の言葉。
「よいではないか。奇しくも我らに数の利があるこの状況だ。始末できれば見返りも大きいのだろう?」
「ああ、それにどれほど強いのか、単純な興味もある。あれが噂に聞く火纏いだとして、あの黒いのは……純粋な魔力か?」
「……みたいですね。つまり人の形をした魔物ということ。女神も無粋な生き物をこの世に産み出したものです」
「くふっ、敵には違いないんだ。なんだっていいじゃねーか」
「そうだねぇ。もう1000年以上、ずっと退屈していたんだ。たまには命を燃やすような戦いに興じるのも悪くない。ねえ、ユーバ」
「仕事なら、殺す……それだけ……」
仮面で口元も覆われているため、誰が喋っているのかまでは分からない。
だが――
「はぁ……ったく、しょうがないね。やるからには勝ちな。援護くらいはしてやる」
ひとまず、最重要人物が戦いの場に足を踏み入れてきた……
この状況に打ち震えながら剣を抜く。
こうなれば、もはややることは一つ。
――絶対に、マリーを逃がしはしない。