600話 敵の敵は…
おかしいな……
そう思いながら傭兵ギルドで一人、毒ではなさそうなことを確認してから、出された香りの強い紅茶に口をする。
壮年の男に案内され、ギルドの個室に通された。
てっきりそこで、クローズドの案件を紹介されるのだと思っていたのだから、そこまでは良かったのだ。
しかし男は『急ぎ依頼主を連れてくる』とだけ言い残し、俺を部屋に残したままどこかへ消えてしまった。
飲み物の他に数種類の果物や軽食まで運ばれてきたし、何やら普通じゃない待遇を受けているっぽいことは分かるが、なんでこんなことになっているのか……
この待ち時間を無駄だなと感じつつも動くに動けず、【魔力纏術】で癖になっているゼオの真似事をしながら待機していると、暫くして先ほどのギルド職員に連れられ、フードを目深に被った何者かが部屋に入室してきた。
と、その者は俺の前に立つや否やすぐにフードを捲りながら跪く。
素顔は一瞬女性かと見紛うほど長い金髪を後ろに縛った、異様に端正な顔立ちの男……なのか?
「まずは大変お待たせしてしまったこと、並びにこのような姿で馳せ参じたことを深くお詫びいたします。ロキ王様」
「え?」
「私はこの一帯の侯爵領を治めております、レオン・フォート・セルリックと申します。ロキ王様におかれましては、堅苦しいやり取りを好まないという話も耳にしておりましたが、ご挨拶をさせていただく今この時だけはお許しいただきたい」
「……」
まさか、侯爵という立場の領主がいきなり現れるとは……
思わず連れてきたギルド職員に目を向けると、滴るほどの汗を浮かべながら一礼し、足早に部屋を退出していく。
「そうしてもらえると助かりますが、まずは確認を。これは初めから予定されていたことですか?」
「その通りです。ロキ王様がアルバート王国の全てを掴むかの如く外遊されているという事実は、我が国の貴族ならば皆が把握していること。なのでこの地に足を運ばれるその時をお待ちしていたのです。合わせて国王陛下よりロキ王様への接触禁止命令も出ておりますので、このようなお忍びでの恰好となってしまいましたが」
「なるほど……僕が立ち寄る場所なんて限られていますしね。情報には敏いようですし、傭兵ギルドで網を張っていたわけですか」
「申し訳ありません。この領都を発たれる前にと、こちらも必死だったものですから」
謝罪の言葉は口にするが、薄く笑みを浮かべた表情は変わることがなく、そこに焦りや怯えのようなものも感じられない。
向こうは向こうで俺を探っているのか、感情の見えない厄介そうな相手に嘆息を漏らしながら侯爵を眺める。
「それで、僕の前に現れた目的は?」
「まず何よりも、ロキ王様にはぜひ直接謝意をお伝えしたかったのです。我が子を救っていただことに心より感謝を。クルシーズ高等貴族院に子を通わせ、同じ思いを抱く者達を代表して深く御礼申し上げます」
言いながら深々と頭を下げる侯爵に対し、纏う雰囲気と立場のせいか。
なんともいえない違和感を覚えてしまう。
「あの学院にはアルバート王国に所属する子供達も多くいたようですし、子を救われたというその結果に感謝される気持ちも分かりますが……それは王命に背いてまで、直接僕に伝えなければいけないことでしたか?」
理由は理解できるが、行動とリスクがあまりに見合っていない。
感謝の意を示すということなら書簡でもできたわけだし、接触禁止だというのにこうして目の前に現れたことを俺がアルバート側に漏らせば、その時点でこの男は一巻の終わり。
国賊として粛清され、侯爵という立場だけでなく命までも高い確率で失うだろう。
その程度のことに気付けないタイプではなさそうに見えるし、そもそもなぜ、俺にそんな命令が出ていることを告げたのかも分からないが……
疑心から素直な反応を返せず様子を窺っていると、侯爵は分かっていると言わんばかりに軽く頷く。
「覚悟の問題ですよ」
「……というと?」
「見境なく学院を襲わせたのがマリー侯爵であることは既に分かっています。しかし国王陛下は彼女に心酔しており、そのような暴挙に対してさえもなんら処罰を下すことはありませんでした。つまりこの国はもう終わっているのです。憎きマリー侯爵の盾となり、利用されるためだけに存在するただの器……それが現在のアルバート王国なのですから」
「……」
「だから私は知りたいのです。ロキ王様がどのような理由でこの地に踏み込んでいるのか、真なる理由を」
先ほどとは違う、戦場に立つ者と同じような眼差しをした領主の覚悟に、これはまず本気だなと感じつつも暫し考える。
たぶん謝罪というのはあくまで口実であり切っ掛け。
俺の本当の目的を問いたいというのが目の前に現れた一番の理由だろう。
ただ尋ねられただけでは俺が本音を語る義理も理由もないが、ここまで明確にマリーと現王政に対して敵意を示しているとなると話は変わる――それこそ協力関係を築ける可能性もあるわけだ。
しかし、突然現れたこの男をどこまで信じていいものか……
言葉を慎重に選んでいると、答えに詰まっていると判断したのか。
侯爵は俺からの答えを促すように言葉を続けた。
「当初はアルバートにロキ王様が踏み込んできたと知った時、私を含む大半の貴族達は大きな争いになる可能性を強く警戒しておりました。学院の襲撃により我が国は多くの敵を作り、マリー侯爵とロキ王様の敵対関係も明確になったと判断していたのですから当然でしょう。しかし実際は町に硝煙が上がるようなことはなく、各町の市場で商人が蒼褪めるほどの金を落として回り、傭兵ギルドに立ち寄っては報酬も受け取らずに周辺の野盗討伐をこなしているという不可解な報告ばかりが上がってくる始末……それに沿岸部では長らく止まっていた魚人との交易も再開したと聞き及んでいますが、それも移動の経路と時期を考えればロキ王様が何かしらの関与をされているのでしょう?」
「……」
「……不思議なものです。マリー侯爵から攻撃を受けたはずのロキ王様が、まるでこの沈みゆく泥船を救おうとしているようにも見えてしまう……だから問いたいのです。ロキ王様はマリー侯爵を敵視し、アルバートを潰そうとされているのではないのですか?」
なるほど……
特に意識などしていなかったが、外からはそのようにも見えているわけか。
だがまあ、これで侯爵が何を知りたいのかは理解できた。
おおよそどのような答えを求めているのかも。
「一番の目的はマリーを殺すための下準備ですよ。他は正直、マリーに便乗して欲を満たしているゴミがいるならついでに始末しようというくらいで、武器でも向けてこない限りは国そのものに大した興味もありません」
そのままに本音を伝える。
すると、ここに来て侯爵ははっきりと感情が透けるくらいに大きく口角を上げた。
「やはり思っていた通りのお方だ。ならばぜひ、私からもロキ王様に依頼をさせていただきたい。マリー侯爵を一刻も早く始末し、この国を元の正常な状態に戻していただきたいのです」
「依頼ですか……そういえば、強過ぎる討伐対象の紹介という体で僕はあなたを待っていたんでしたね。しかしそうなると、依頼に報酬は付き物ですが?」
「もちろん考えております。と言っても異世界人の王を相手に金品が報酬では、私程度が何を用意したところで霞んでしまう。ですから報酬に、この立場だからこそ知り得た情報をお伝えできればと考えておりますが如何でしょう?」
「へえ、普通では掴めない情報ですか……ちなみにあなたがマリーの手の者でないことをどう証明しますか?」
最悪はその情報に踊らされ、こちらが危険に陥ることだってあり得るのだ。
学院に子を預けていたのなら、マリーを憎む動機としては十分。
可能性は非常に低そうだが、それでも事が事だけに慎重な確認を取ると、侯爵は間髪容れずに答えを返す。
「信用いただけないようでしたら、私自身を奴隷化してもらっても構いません」
「その立場なのにですか?」
「ええ。ロキ王様なら私を奴隷化しても、国民を苦しめるような要求はしないと信じておりますし、この部屋を訪れたその時から、立場も自分の命も捨てる覚悟はできておりますから」
「……」
強い眼差しだ。
一瞬気圧されそうになるも、同時にこれなら心配はないかと安堵の感情も広がる。
元からマリーは殺すつもりだったので、この依頼や報酬もおまけ程度の感覚しかなかったが、敵国の侯爵が持つ情報とはどのようなものなのか……
「僕には僕のやり方がありますし、いつ遂行できるとお約束できるモノでもありませんけど、それでもよろしければ共闘といきましょうか」
言いながら右手を差し出すと、侯爵は力強く俺の手を握った。