521話 凡俗だからこそ
やってきたのはクアド商会。
今は奥まった場所まで棚が設けられ、やっとお店らしくなった店内で、慌ただしくバックヤードから補充用の商品を運んでいる人達がいた。
しかし、暫く眺めても目的の人は見当たらない。
うーん、探査でも反応が拾えないし、どうしたものか。
「こんにちは~ベッグさんってどっか出かけちゃってます?」
「なんだ、ボスか。ベッグの兄貴なら配達に行ってるよ」
「ってことは町の方かな?」
「そうそう、詳しい場所までは分かんないけど、お客さんの家に家具を運んでくるって、一緒に出てったから」
「そっか~どうしよっかな……」
「ボスは空飛べるんだし、探してんなら上から眺めればすぐ分かるんじゃないか? 最近は連結したやつ使ってるから、あれならすぐ判別できそうだしさ」
「ん? 連結?」
「なんかトロッコだかの話が出た時に思い付いたらしくて、最近は馬車の後ろにもう1台荷車を繋いでんだ。まぁよく外れて、積んでいる荷物地面に転がしているみたいだけど……」
「な、なるほど……それじゃちょっと探してみますね」
すぐさま上空に舞うと、まだ大通りの一部だけではあるけれど、少しずつ石畳に変わってきていることが一目で分かる。
そしてその先。
まだ土が剥き出しの脇道で動きを停めているそれっぽい馬車と、大きな家具をお客さんと一緒に運んでいるベッグさんを発見した。
邪魔にならないよう、近くに降り立って馬車を眺めてみるが……うーん。
馬車の後ろに何本か革紐を通し、それで後部の荷車を引っ張っているだけって感じだな。
素人目から見てもやっつけ感のある雑な作りに、そりゃ後ろの荷物も転がすだろうと苦笑いを浮かべてしまう。
それぞれの底を鉄板で補強して、ヒッチメンバーでも付けてから牽引すれば安定するのだろうか。
「うおっ!? なんでこんなとこでボスが寝てんだよ!」
馬車の底を覗き込みながらそんなことを考えていると、どうやら作業が終わったのか。
ベッグさんが横で怪訝な表情を浮かべながら立っていた。
「いや、ちょっと気になって、馬車の補強案を……それよりもう配達は終わりました?」
「あ、あぁ、終わったけど、どうしたんだ? 店長なら店だぞ?」
「いやいや、今日はベッグさんに用があって、とりあえず行きましょうか」
「え? どこに?」
「馬車置き場です。ちょっとベッグさんに相談したいことがあるんですよ」
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
最近は訪れる商人達の情報交換の場にもなっているようで、いつの間にか出店まで並ぶようになった馬車置き場。
その場所に着いてそうそう、ベッグさんは感嘆の声を上げる。
「す、すげぇな……こんなデカい馬は生まれて初めて見た……」
「でしょう? 大陸でも有数の良馬で、今回縁があって8匹だけ譲り受けたんです」
もちろん馬は、ガルムの『赤馬』だ。
ウォズニアク王は好きなだけ持ってけとか、閉店間際の八百屋みたいなことを言っていたけど、家や資源と違って動く生き物だからな。
収納ではなく転移で運ばないといけないため、どれも3メートル以上はあるこの赤馬だと、ベザートまで運ぶのに8匹が限界だったのである。
「で、俺に用があるってのは?」
「そこなんですけどね。ベッグさん、この馬の管理者になってみません?」
「ん? 管理者?」
「ですです。移民組の中で荷運びの仕事を希望されていた方達は、今ベッグさんの下についているんですよね?」
「ああ、俺と同じように配達の仕事をやってもらっている」
「でしたらベッグさんに、せっかくもらったこの馬を有効活用してほしいんですよ。通常の馬よりも力がありますから、より大きな馬車でも用意して配送用に活用したっていいですし、半日は休まず走り続けるようなので、他国への輸送用に活用したっていい。どう使うかも含めてお任せできればなって」
コストがカツカツ過ぎて、俺ではこれ以上仲魔を増やすのは難しいし、いずれはうちと他国を繋ぐ鳥の管理者も必要になってくる。
生き物全般を扱える人間は、これからのベザートに必ず必要になってくるのだ。
そんな先々の話にも少し触れると、ベッグさんは馬を見つめながら徐に一歩二歩と踏み出し――しかし、すぐに足を止めて振り返る。
その顔は明らかに恐怖で引き攣っていた。
「い、一応確認するが、コイツらは【調教】レベル2の俺でなんとかなるもんなのか……?」
「今は僕の管理下にあるので安全ですけど、それだけでは難しいですね。半分は魔物なので」
「はぁ!? じゃあ、俺なんかに務まるわけ……っていうか、新しく来た中で魔物に馬車を牽かせていたってやつが一人いる! まずはそいつに声を掛けた方が――」
「知ってますよ。でも僕は、元奴隷組の皆を纏められて、真面目に働いてくれているベッグさんにできればお願いしたいんですよね」
「……」
「ただ、無理は言えません。強引に管理できる状態まで能力を引き上げることになるので、後々心変わりがあったとしても、そこから他の道へはかなり進みづらくなります。なのでもし、ベッグさんにそれほどの覚悟が――」
「んだよ、嬉しいじゃねーか」
「え?」
それは少なくとも、すべてを説明しきれていないこの段階では想定していない言葉だった。
エニーやリコさん、それにノアさんとも明らかに状況が違う。
あの3人は自身の望む未来が鮮明に見えており、俺はその環境を整えるための強引な後押しをしただけだが、ベッグさんの場合はそもそも配送という仕事を望んでやっているかも不明――というより、巡り合わせでたまたまその仕事を手にした可能性の方が高いくらいだろう。
今後の人生を決定づけるほどの重要な分岐点。
だからこそ、もっと慎重に判断すると、そう思っていたが……
俺を見下ろしながら、ベッグさんは不敵な笑みを浮かべていた。
「ボスは、店長のことをなんて呼ぶ?」
「へ? クアドだけど」
「じゃあ、俺は?」
「?」
「俺のことは、なんて呼んでる?」
「え、っと、ベッグ……ん? ベッグ、さん?」
なぜか混乱し、たどたどしく答えを吐き出す。
「気付いてたか? ボスは俺やアイツらをだいたいは"さん付け"で呼ぶが、たまに呼び捨てになったりもする。その口調だってそうだ。俺らは砕けている時を、ボスの機嫌が良い時って呼んでるけどな」
「……」
「ギニエって町の酒場で、いつか言ってくれただろう。もう俺達のボスで、仲間なんだから固い言葉は使わないって」
「言った……間違いなく……」
「だから、まぁ……仕事のできる店長だけが特別なんだって、正直に言えばそう思ってた。今だって俺がアイツらを纏めちゃいるが、俺より頭の回るやつ、能力の高そうなやつらが次々やってくるんだ。すぐ立場も変わるだろうって」
「ごめん……ごめんね。そんなつもりじゃ……!」
ヘドロのようにこびり付いた、俺の悪い癖だ。
無意識に壁を作り、自分を守ろうとしてしまう。
少しずつ良くはなっているんだろうけど……
人が怖いという思いは、今もまだ心のどこかで燻り続けたまま消えることがない。
「なんでボスが謝んだよ。俺は嬉しいって言ったろ?」
「そうだけど……」
「ちゃんと俺を見てくれていた。おまけにこんなとんでもないチャンスまで寄こしてくれたんだ。なら内容はよく分かっちゃいねーが、全力でやるしかねぇだろう」
「いや、でも、これからの人生を左右するほどの決断になるんだよ? あまり前のめり過ぎると不安になるんだけど、そこら辺ちゃんと理解してる?」
思わずそう問うも、なぜか「はぁ~」と特大の深い溜息を吐かれてしまった。
「分かってねーのはボスの方だぞ?」
「え?」
「俺らみたいな大した能力もねぇ、どこにだっている凡俗はな。そもそもアレだコレだと仕事を選り好みしている場合じゃねーんだよ。生きるために、まずは自分でもなんとかやれそうな仕事を見つけて、辛かろうがなんだろうが、よっぽどじゃなけりゃーその仕事に噛りつく。家業のある連中でもなければそんなもんだ」
「あっ、それは……」
かつての俺だ。
やりたいかどうかではなく、自分にもできそうだと思える仕事を探し、必死にそこで食らいついていた。
「ボスには正直に言っておく。俺は別に馬車を動かすのが好きってわけでもねーし、荷物を運ぶのが好きなわけでもない。動物はまぁ結構――いや、だいぶ好きな方だが、魔物なんて怖いからほんとは近寄りたくもねぇ!」
「なんか、顔と体格に似合わないこと言ってるよね」
「しょうがないだろ……でもな、今だって店長と一緒に俺達も纏めて拾ってくれたことは感謝してるんだ。チャンスをくれるってんならそれこそ死ぬ気で働いて、ボスの役に立ちたいって思ってる。その判断を後々になって悔やむなんてありえねーよ」
「そっか……」
やっぱりベッグさんは、あの3人と違う。
けど、それでもいいじゃないか。
誰も彼もが才能を得ているわけではないし、都合よく自分の望む仕事を手にしているわけでも、見つけられているわけでもない。
それでも今を必死に生き、チャンスを掴もうとしているんだ。
俺はベッグさんを信頼し、ベッグさんはその期待に応えようとしてくれている。
それだけで十分だろう。
「それじゃあ、ベッグさんにお願いするよ。数はお願いすれば増やすこともできるから、この馬達を皆の生活に役立ててあげてね」
「おう! 結局"さん付け"のままだけど、見てくれてるって分かったんならもうなんだっていいか!」
「あ、あはは……その顔だとどうしてもね……直せるなら直すからもう許して!」
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
こうして数時間後には、スキルポイントにある程度の余力を残しつつ、【獣語理解】と【調教】をレベル5まで。
解放された【魔物使役】は一気にレベル8まで引き上げた<魔物使い>のエキスパートがベザートの町に誕生した。
ロキから管理を引き継ぎ、本格的に配送事業をスタートさせたベッグは、元奴隷組や新しく配送の仕事に加わった移民組と一緒に、仕事の幅を少しずつ広げていくのだが……
元より自分の力量を弁えているからこそ、ベッグはより多くの意見を求めて町民に『馬で何かやってほしいことはないか?』と聞いて回った。
その結果、とある女性の要望からまったく想定していなかったことまでやり始めていると、丸投げしたロキが気付くのはもう少し先の話になる。











