447話 頂きは遠く、遥か高み
だらりと両手を下げ、開始位置から自然な立ち姿のまま動かないリル。
対して俺は、待っていることをすぐに理解し、剣を強く握る。
「じゃあ、行くよ」
まずは、ここからだ。
俺の基礎的なステータス値で足りているのか。
トンと跳ねるように近づき、刃を背にして振り下ろした特大剣の初撃は、余裕をもって伸ばしたリルの片腕に受け止められる。
「……」
僅かに、身体が沈み込む程度。
リルの瞳はジッと俺を見据えたままで、ダメージはまったくと言っていいほど見受けられない。
(マジかよ……)
想定していた結果とは違うも、まだ初撃だ。
感触を確かめるように何度か剣を振り、すぐに現状を理解して一度距離を取る。
うーん。
どういうわけか、このままじゃお話にならないらしい。
――【身体強化】――
となれば、ギアを上げるまで。
【突進】を織り交ぜ、速度を変えながら左右にステップを踏んで視線を散らし、這うように接近しつつ斬り上げる。
対してリルは、すぐに反応して剣の棟を片足で踏みつけようとしていた。
ドスッ!
「ぬおっ……」
リルから漏れる、僅かな驚きの声。
ここでやっと、少しだけ通った感触。
これなら――――。
「 」
まさに一瞬だった。
剣を踏みつけたことで、リルの身体が宙に浮いたのは理解していた。
そこから強引に身体を捻じり、そのまま真横から蹴りを放たれたことも。
けど、認識できただけ。
咄嗟のことで防御は間に合わず、スキルも挟めず。
直後には俺の頬に強烈な痛みが走り、何度地面を転げたのか。
気付けば俺は、赤茶けた土の上で大の字になって空を見上げていた。
「ロ、ロキ君!?」
遠くから聞こえるリステの声。
すぐ意識があることを示すように、俺は片手を緩くあげる。
理解はできないが、理解できない何かがあることには気付けたのだ。
このまま中断されてはかなわない。
ザッ、ザッ、ザッ……
こちらに向かって歩いてくる足音。
そして、
「少しは、やる気になったか?」
やや硬い声に、俺は言葉を返す。
「あー……なったなっ……、プッ」
何か異物が咥内を転がる感触。
寝ながら上空に吐き出せば、それは自分の折れた歯だった。
治せるから問題無いにしても、口の中は血の味しかしないし……なかなか強烈だな、これは。
「リル。模擬戦なんだし普通はいきなり顔じゃなくて、腕とか胴体から様子を見るもんじゃない?」
「む? そうか……すまない。以前のことがあって、思わず顔を狙ってしまった」
「なるほど?」
まったく意味が分からない。
けど、今はそれどころではないので、折れた歯を咥内に押し込めながらとりあえず納得しておく。
――【神聖魔法】――『癒せ』
さて……
これはどういうことなんだろうな。
「ごめん、ちょっと頭ん中整理したくて、少しだけ考え事してもいい? 模擬戦はちゃんと続けるからさ」
「それは構わないが、何を考えるのだ?」
「リルのステータス」
「え?」
なぜ、50%【分体】のリルがここまで強いのか。
各スキルレベルのボーナス能力値を把握していれば、スキルツリーの未取得状況から、筋力や幸運などの種別は不明にしても、残りの推定加数は見えてくる。
もちろんレベル10到達時に得られた【転換】のような、ボーナススキルの類や種族固有スキルなど、全てがスキルツリーに表示されているわけじゃないことくらい分かっていたが……
それでも、あまりに予測値との差があり過ぎるという事実に驚きを隠せないでいた。
(魔物専用スキルもあれば、そろそろ自己バフ無しでも、50%なら張り合える可能性が高いと思ってたのに……まいったな……)
先ほどの感触でいえば、【身体強化】を使ってやっと50%【分体】のリルと筋力で張り合える程度。
敏捷に至っては【身体強化】を使ってもまだ負けている気がする。
となれば、俺の見えていない要素。
それらが想定以上に大きな影響を与えているということ。
種族特性、初期ステの差、いくつあるかも分からない女神様専用スキル……
少し考えただけでも要素がいくつか浮かび、的も絞れやしない。
まぁ張り合おうとしているのがそもそも烏滸がましい話だし、神様相手ならしょうがないと割り切るべきなのだろうが。
「はは……はははっ……」
いやいや、いいじゃない。
頂きは遠く、遥か高み。
だからこそ、やりがいもある。
全てを暴き、その域に到達してみたくなる。
「何か、分かったのか……?」
「リル相手じゃ全然計算通りにいかないってのがよく分かった。ちなみに1個だけ、女神様専用の特別な補正みたいのってかかってたりする?」
「そんなの私に分かるわけないだろう。知っているとすればフェルザ様だけだ」
「だよねぇ~」
予想通りの答えに苦笑いを浮かべながらも立ち上がり、パンパンと土を払う。
「お待たせ、これ以上は今考えてもしょうがないし、再開しよっか」
「あぁ、私はいつでも構わんぞ」
「ただ……ここからはごめん。想像以上にリルも、そのリルと張り合っていた裏ボスも強そうだから、本当に全力でやることになると思う」
「何を言っている? それを望んでいるのは私だぞ。先ほどからロキはこちらに刃を向けないようにしているが……所詮は【分体】、複製の器にそのような気遣いなど一切不要だ」
「でも、当たり前のように痛みは感じるでしょ?」
「ハハハッ! 私にとって、痛みがどれほど貴重か、ロキに分かるか?」
普通であれば、理解に苦しむ考え方。
でも戦の女神様だと思えば――、戦うことに飢えたリルであれば、理解できるような気もした。
「……分かるよ」
「ならば話は早いな。改めて言おう、全力で来い。持てる全てを私に見せてみろ。痛みを与えてくれるほどの熱い戦いを、私は期待しているのだ」
リルの、熱の籠ったこの言葉を受け、一度意識を集中するように瞳を閉じる。
「ふぅ――……分かったよ。けど、お願いだから怖がらないでね」
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
改めて始まったロキとリガルの模擬戦。
当初の想定とは異なる展開に戸惑いながら、その戦いを5人の女神は見つめていた。
「ねぇ、リガルは大丈夫なの? さっきからずっと大笑いしてるけど……」
「あれは嬉しくてしょうがないのでしょう。双方が望んで戦っているのですし、水を差さないと約束した以上、中途半端に止めるようなことはできません」
「それより、消火担当を用意した方がいいんじゃないですか~? 闘いの場が小さすぎて、どんどん周囲の木に燃え移ってますよ~?」
「あぁもう……リアは【水魔法】で消火を、リステとフェリンは【結界魔法】で、外部に影響が出ないようこの一帯を広く覆ってください。私は万が一リガルが暴走した時のために備えます」
「ん」
「わかった」
「スキルを入れ替えてきます」
「フィーリルも気を抜かないでくださいね。明らかにリガルが劣勢とは言え、何が起きるか分かりませんから」
「もちろん、いつでも【神聖魔法】が使えるようにはしていますよ~」
とは言うものの、フィーリルの声に心配や不安の色はほとんど含まれていない。
リガルの劣勢。
アリシアの言葉は誰が見てもその通りであり、ロキが戦い方を大きく変えてからは幾度となく殴り合いに発展するも、ダメージはリガルの方が大きく度々吹き飛ばされていた。
加えて魔法だ。
2本の白い炎柱を従えたロキは、試すように様々な魔法を展開していく。
対してリガルは避けるしかまともな防御策がないため、広範囲魔法の連発により距離を空けても追い込まれていた。
「あの身体を覆っている黒いのって魔力だよね?」
「でしょうね~お風呂でよく練習している【魔力纏術】でしょう~」
「あの燃え盛るような揺らめき方は、それだけじゃないような気もしますが……」
「終わったら詳しく教えてもらいましょう。スキルが実戦でどう使われるのか、私達がこのような場面を直接見られる機会などないのですから、これも良い勉強になります」
「たしかにー!」
「私、あの姿が消えるやつ、知りたい」
眺めながらも様々な疑問が浮かび、鎮火を終えたリアも交ざって観戦組のスキル談義に花が咲く。
だが、リガルの精神面を心配する声はあっても、【分体】である身体を心配する者は誰もいない。
自然と皆の姿はロキを追い、その姿に感想を漏らす。
「本当に、強くなりましたね……ロキ君は」
「リガルにやられたのはちょっと前なのに、今は逆転しちゃってるもんね」
「それだけ強くなるための努力をし続けたのでしょう」
「私はもう十分過ぎるくらいだと思いますけど、あの子はどこまでいけば満足するんですかね~」
フィーリルの本音。
ロキには早く落ち着いてほしい。
地図作りや各地の魔物討伐など、世界を巡る旅には反対しないが、間違っても裏ボスの討伐などというリスクある行動を取ってほしくはなかった。
目的や考えに違いはあれど、それぞれがこの言葉に同意する中、否定的な意見を言う者が一人。
「ロキは、これでリガルの……私達の強さを求める。そんな気がする」
「私達の? つまり、神界に身を置く本体の、ということですか?」
「そう。さっき、戦闘が中断する直前、ロキは"リルのステータスについて考える"って言ってたから」
リアが観戦当初に持ち込んでいたのは【聞き耳】だった。
作られた模擬戦場は常識的に見ればかなり広く、端で観戦していたのでは会話などまったく聞き取れない。
その中心で二人はどのような会話を交わすのか、過去に一度やらかしているリガルがおかしな発言をしないか。
その確認のために持ち込んでいたが、結果的にロキの思いがけない発言をスキルが拾った。
強さが可視化された世界に一人身を置くロキであれば、興味を示すのは自然の流れ。
決して悪いことではないが……
ロキの性格と、そして強さへの異常な拘りを考えた時。
リアの言ったことが現実味を帯びそうな気がして、これはまだまだ強さへの欲求が落ち着くことはないだろうと、話を聞いた4人は嘆息を漏らした。











