348話 選択
ヴァルツ兵がなだれ込むように即席の山を駆け登り、マルタの街を囲う城壁を越えていく。
その光景を見て、時間はかかったがようやくこの段階に入ったと、南部の司令官を務めるアトナーは険しい表情のままソッと息を吐いた。
きっかけは、攻城戦や要塞攻めで本領を発揮する【土魔法】使いの存在。
先行して仕掛ければ知識ある者から真っ先に狙われるため、火煙に紛れ、積み上がった徴兵の遺体を内部に含むことで、素早く、そして広範囲に土の山を築き上げていた。
城壁の上を陣取っていたのは、多くが自分達の町や家族を守るために志願した一般市民。
同じく徴兵された元一般市民の尖兵隊ならまだしも、武器を握り、殺す気概で向かってくる後続の正規兵には震え上がる者も多く、次々と散らされては城壁の上を占拠されていく。
そして、その先――城壁の内側を守っていたハンター達も、先行して内部へ侵入したヴァルツの傭兵達に掻き乱され、当初あった防衛線などとうに瓦解しており……
城壁の上に到達したヴァルツ兵達は、易々とマルタ制圧に向けて街の内部へ侵入していった。
「東部からの報告は上がってこないのか?」
「まだ何も。戦況がどうなっているのか、まったく見えませんね」
「ならば余計に急ぐ必要があるな……各所に火を放つよう指示を出せ。それと街内部での魔法使用も許可する」
「はっ」
できることなら戦の後も見据え、街としての機能を残しておきたい。
アトナーはそう思うも、既に予定は狂い、ヴァルツ兵にも想定以上の死者が出ていた。
この状況でマルタ東部を対応しているであろう上位ハンター達が内部防衛に回れば、街の制圧に支障が出る恐れも高い。
となれば、止むを得ない選択――。
王都ファルメンタを孤立させるため、マルタの戦力はここで押し留めるという至上命令は、何を犠牲にしてでも推し進めなければならない。
「あの二人が、やるべき仕事をこなしていれば……」
苦々しい顔で視線を向けるのは、聞き慣れない音が断続的に鳴り響く南部の平原。
本来ならば城壁を破壊することも可能なあの二人が先行し、街の中から防衛に回るハンター達や城壁を潰して回れば、ここまで時間は掛からず余計な死者を出すこともなかったのだ。
姿は見えずとも、この音で未だ戦っていることだけは把握できる。
「何をどうすれば、こんな音がここまで聞こえてくるんですかね……」
「さぁな。人外染みた連中の成すことなど、ただの人には理解できん」
部下の一言に、アトナーは何気なく答え――
「レイモンド卿を南部で足止めできているのならば、一先ずは良しと考えるしかないか」
そう気を取り直し、城壁を越えていく後衛部隊の後ろ姿を眺めた。
一方、アトナーが指揮を放棄していた南部はというと、未だ欠けることなく4人の戦いが続いていた。
「ったく、ウザったい攻撃だねェ!」
「だったら、素直に喰らって、死ね!」
ズン――…………
ジルガが突き出した拳はファニーファニーによって弾かれ、流されたまま大地を叩けば、激しい音と共に砂埃を巻き上げる。
が、攻撃は止まらない。
その隙を突こうとしたファニーファニーに向け、
ドン――……ッ!!
「"空撃"!」
「チッ……」
――明らかに届かない距離から拳を振り抜けば、同時に発生した衝撃波が襲いかかり、その後方にいたエヴィンゲララの『盾』まで破壊していく。
「ちょ! 姉さん、またこっちに来てますって! ちゃんと相手してくださいよ!」
「煩いねェ! そんなことは分かってんだよ!」
ファニーファニーにとってみれば、思いがけない苦戦だった。
レイモンド伯爵――ジルガの過去を知っているが故に弱いなどとは露ほども思っておらず、しかし深手を負うほどの相手でもないと思っていた。
が、ファニーファニーの左腕は肘まで肉がズタズタに切り裂かれており、使い物になっていない。
拳を突き合わせた初撃の打ち合い。
あの時から、既に左腕は壊されていた。
理由は、ジルガが拳の中に握り込んでいるおかしな武器。
ファニーファニーが何かしらのスキルだと思っているそれは、『隠鋼拳鍔』と名の付く特殊付与武器であり、レイモンド家に伝わる家宝の一つでもあった。
魔力を込めることで『衝撃波』を生み出すその武器は、並みの人間でも相応の威力を叩き出すことができる。
だが【体術】を得意とし、力と速さを兼ね備えたジルガだからこそ、その威力と速度を乗せることによって、爆発に近い衝撃を生み出していく。
一見すれば、ジルガが優勢の状況。
しかし、二人の表情はこの先の未来を見通しているようで。
「だいぶソイツの威力も落ちてきたねェ」
「はぁ……はぁ……ちょこまかと……」
息を切らし、苦し気な表情を浮かべるジルガを、ファニーファニーは長い舌で傷付いた左腕を舐めながら楽し気に眺めていた。
「うふふっ、だいぶキツそうじゃんか。アタシに合わせて動けてんのはさすがだけど、そのせいでもうだいぶ苦しいでしょ?」
「てめぇ、どんな体力、してやがる……」
「ふん、呑気に貴族なんかやってたアンタと、ずっと傭兵を続けるしかなかったアタシとじゃ差があって当然。それに言ったはずだよ、血の濃さが違うってね」
この言葉に、ジルガは顔を歪める。
長く現役を退き、大人しく貴族をやっていた弊害が大きく出てしまっていると、ジルガ自身が戦いながら自覚していた。
それに血の濃さというのも間違いじゃないだろう。
人間の中ではとりわけ獣の血が濃く出ているジルガと、獣人の中でも濃さが際立つファニーファニー。
元々の能力に大きな差が生まれていても不思議なことではない。
(厳しいか……)
息を整えながら、ジルガはファニーファニーの後方で戦う二人を見つめる。
レイモンド家の執事であり、ハンター時代のパーティメンバーでもあるモーガンは、間違いなく強者の部類だ。
だが、今回はどう見ても相性が悪い。
ジルガなら崩せるあの『盾』も、細身の剣を両手で扱うモーガンでは、崩すことが難しいのは明らかだった。
それとなくエヴィンゲララを巻き込むように攻撃してきたものの、その程度で崩れるほど敵は弱くもなければ甘くもない。
ならば、どうする――。
「解放すれば?」
「……」
ジルガを眺めながら、先に言葉を発したのはファニーファニー。
それはそれは楽しそうに、嗤いながら改めて助言を与える。
「アンタのその見た目なら、間違いなく【獣血】は持ってるでしょ。レベル2? レベル3?」
同じ性質を持つ稀有な存在だからこそ、ファニーファニーはジルガの考えることが予想でき、ジルガも考えていた可能性を言い当てられたことで顔を顰める。
一か八か。
最上位クラスのランカー傭兵とやり合う以上、そのくらいの覚悟は持っていたが、問題はそんなところではなく――
「うふふっ、あんたくらい特徴が表に出てんなら戻ってこれるよ、きっとね」
理性を著しく失った先に、人へ戻る道が残されているのかどうか。
戻れなければ自身がただの害獣に成り果て、最悪は仲間を殺し、自らがマルタの街まで破壊してしまう可能性もある。
そしてファニーファニーは、敢えて休息を与えようとも、ジルガの返答を待っていた。
同種でありながらのうのうと貴族の身に収まっていた男が、自我を失い、自ら街と住人を破壊していく様を見られるのなら、それはどんなに楽しいことか。
その程度の理由で、後のないジルガの表情を楽しんでいると――。
パンッ! パパンッ! ゴロゴロロ――……
不意にかなり大きい『雷』の音が、連続してどこかから鳴り響いた。
思わずファニーファニーは空を見上げるが、雷鳴轟くような天候でもなく、かと言って今回の南部侵攻に配属された傭兵の中で使い手がいたような記憶もない。
それにマルタでの戦いが始まってから、相応に時間が経ったこのタイミングで鳴り響くことに違和感を覚えるが――。
(雷……まさか、レア物がこっちに?)
そう思いながらジルガへ視線を戻せば、目の前の男は僅かに笑みを零していた。











