5話 ミルドの祭り
「そら、あれがミルドの街だ。」
森が急に開け、緩く右にカーブした東西道は、少し先の城門へと続き、そして門の中へと消えて行く。
城壁の周りは、広大な小麦畑になっており、そろそろ種まきが始まるようで、丁寧に掘り返された黒土がどこまでも続いているように見える。
メリダは、今まで見たことのないような景色に感動を覚える。
見たことのない城壁に、広大な小麦畑、そして、その中で働く人の姿……。全てが夕日で金色に染まっていた。
メリダは、その仕事のほとんどを、王都近くのダンジョンで行っていた。
毎日ダンジョンに潜ってはモンスターを狩り、そして飲んでは眠るだけ。
パーティー以外の人と会うのは、酒場と、あとはメリダのパーティーを気に入って、よく素材を買ってくれる商人だけだった。
「なあ……綺麗だな。」
「そうだな。俺もこの時間に来るのは久しぶりだ。……本当に綺麗だと思う。」
門へと近づいて行くと、ピカピカに磨かれた鎧を着た、二人の衛兵が向かい合うように立ち、街へと入る人々に何事か声を掛けている。
メリダとリチャードの馬車も、行列に並んで順番を待った。
「ようこそ、ミルド市へ。今日は祭りです、楽しんで行って下さい。」
列が先に進み、衛兵の声が聞こえて来た。
「…………! 」
リチャードに向けられたメリダの目が、歓喜に溢れた。
「良かったよ。メリダが喜ぶかと思ってさ。」
「そうだったの? 盗賊が出るって話は嘘だったのか? 」
「いや、それは本当。明日は山越えがあるから、もう一つ先の村に行っても良かったんだけど、今日は雨宿りしてたから、間に合わなかっただろうね。」
「そっか……結局、ここに来る事になったんだな。」
「そういうこと。そろそろ順番だ。メリダは冒険者章を出しておいてくれ。」
「……うん……わかった。」
リチャードは、隣のメリダをちらりと見てくすりと笑った。
彼女の目は、門の先に向けられており、色とりどりに飾り付けられた街の姿に釘付けになっていたからだった。
*
「え……? 一部屋しか空いてない? 」
先に宿に荷物を置いてから祭りに行こうとしたメリダとリチャードは、宿屋の受付で、もう部屋が一部屋しか空いていないと、受付嬢から言われていた。
「今日は春大祭の日ですので……。お部屋は広いので、お二人でしたら、十分快適にお過ごしいただけるかと……。」
この辺りでは有名なお祭りらしく、方々から人が集まっており、午前中に来たとしても、残りは二部屋であったらしい。
受付嬢は、他の宿に行っても、今日はどこもこんな感じです。と、付け加えた。
「…………。」
「あたしは構わないよ。今までも雑魚寝が多かったし。」
駆け出しの冒険者なら、安宿に男女構わず寝るのが当たり前だった。酷い時には、ベッドが二つしか無い部屋に十人で泊まったこともある。
むしろ、一人一部屋取るつもりだったのかと、メリダは呆れながら答えた。
「……あ……ああ。そうか、そうだよな。じゃあ、その部屋でお願いします。」
「…………? 」
何故か残念そうにリチャードが答えた事をメリダは疑問に思ったが、敢えて何も聞かなかった。
「ありがとうございます。こちらのお部屋は、通りに面しておりますので、パレードもお部屋から見られますよ。」
「ありがとう。あと、馬車と馬を繋ぎたいんだが……。」
「はい。裏手にあります庭に馬車をお回し下さい。馬丁がおりますので、馬の方は、その者にお聞きください。」
そう言って、受付嬢はリチャードに極上の笑顔で笑い掛けた。
「……よろしければ、私が後からご案内しますよ? 」
チラリと横目でメリダを見ながら、受付嬢は、続けてリチャードに話しかける。
メリダは、なんだか面白くない気分になった。
多分、この女は今までのやり取りで、自分とリチャードが、そういう仲では無いと気がついたのだと、彼女は解ってしまったからだった。
───こいつは、あたしのものだ。
激情が身体を駆け上がってくる。
「……いや、大丈夫。自分で行くよ。メリダ? どうした? 行くぞ。」
歩きだしたリチャードに、着いて来なかったメリダへ、彼は不思議そうに声を掛けた。
「あ……ああ。解った、リチャード。」
そう言って、メリダはリチャードに腕が触れそうな距離で歩く。
自分の中に沸き上がった、怒りに似た感覚には、まだ戸惑っていた。
それが何かは、メリダはもうとっくに気がついていた。
*
「やっぱりあたしには似合わないって……。」
「よく似合ってるよ。いつもの十倍増しで美人だ。」
メリダは、普段は上げて編み込んでいる髪を下ろし、ペティコートの上から前側をコルセットのように紐で縛るドレスを着ていた。
胸元が強調されてウエストが細く見える、この地方の民族衣装らしい。
宿で服を洗濯に出せるので、その間にと衣装屋で借りて来たものだった。
「なんだか、足元がスースーするし、パンプスもちょっと歩きづらい。」
せっかくのお祭りなんだからと、リチャードにそそのかされてお洒落はしてみたものの、普段との勝手の違いにメリダは苦労していた。
「じゃあ、お手をお借りしますね。」
「あ……ちょっと! 」
リチャードは、メリダの抗議を無視して、自分の腕にメリダの腕を絡ませた。
「これで少しは歩きやすいか? 」
「全然。あたしはやっぱブーツの方がいい。」
そう言いながらも、メリダはリチャードの腕に、しなだれ掛かるように、しっかりとしがみついた。
それから二人は、屋台を回り、露店を冷やかし、街の飾り付けを堪能した。
街角では楽団の演奏が始まり、囲みの中から数組の男女が躍り出て、演奏に合わせて踊り出した。
「俺たちも行くぞ。」
「あたし、踊りなんてしたこと無いから! 無いからってば! 」
リチャードに手を引かれて、メリダは人の輪の中に入ってしまった。
陽気な音楽に身体を揺すっていた人たちの注目が、乱入して来た二人に集まる。
もうこうなったら覚悟を決めるしかない。メリダは思う。
「ちゃんとリードしてくれよな。」
「もちろん。」
音楽が変わり、今までよりもずいぶん早くなった。
最初は何とか身体を動かすだけだったメリダも、持ち前の運動神経の良さで、あっという間に上達していく。
リチャードの腕に抱かれたり、そして回りながら離れてまた抱かれて……。
周りから手拍子が聞こえはじめ、メリダも段々楽しくなって来た。
───このまま、ずっとこんな時間が続いたらいいのに……。
楽団の音が、ジャン!と締められて、一瞬ののち、集まっていた人たちから、盛大な拍手が送られた。
「いやー楽しかった。メリダは本当に踊った事ないのか? 」
「だから無いって。今日が初めてだよ。」
上がっていた息も、やっと落ち着いて、二人はまた大通りを散策する。
「さすがに疲れちゃったよ。」
「そうだな……あとはパレードくらいだし、残りは部屋から見るか。」
「それならつまみと……いや、止めとこう。」
この楽しい気分のまま、ちょっと飲めたらいいなと思って言った言葉を、慌ててメリダは取り消した。
「…………よし、部屋に戻るか。小腹が減るかも知れないから、途中の屋台で何か買って行こう。」
「うん。いいね。」
自然に二人で顔を見合わせて笑う。
それが、メリダの心を弾ませた。
*
「俺はちょっと取ってくるものがあるから、先に部屋に戻っていてくれ。」
受付は、初老の紳士に変わっており、メリダはホッとする
鍵をもらうと、メリダは言われた通りに先に部屋に戻って、紙袋をどさりとテーブルの上に広げた。
屋台を眺めているうちに、両手はおつまみにするような食べ物でいっぱいになっていた。
目抜き通りに面したこの部屋は、広々としていて、調度品も豪華だった。
部屋に風呂場まで付いているのに、メリダは驚いた。
ずいぶんリチャードに無理をさせてしまったのではないかと、申し訳ない気分になる。
並んだベッドの上には、メリダの普段着ているネルシャツと綿のズボンがきちんと畳んで置いてあった。
もう着替えてしまおうかとも思ったが、まだ魔法が掛かったままのような気がして、今日眠るまではこのままで居ようとメリダは思う。
「おまたせ。」
「あ、お帰り、リチャード。」
そう、何気なく言ってしまってから、 まるで夫婦みたいだと自分で思ってしまい、メリダの頬が赤くなる。
「ただいま。パレードはあと半刻くらいではじまるとさ……どうした? 」
「いや。なんでもない! 」
メリダは、暑くなってしまった身体を冷ますように、水差しからコップに水を注いで、一気に飲み干した。
「……そうそう、護衛の君に、是非商品を見てもらおうと思ってね、試飲用の一本を持ってきた。」
リチャードは、透明な液体の入ったボトルを掲げる。
「え……? 」
「これはあくまでも味見だからね。俺は商品の確認をするけど、メリダはどうする? 」
「……味見ね、それなら仕方ないな。」
まるで、自分の心の内を読んだような、リチャードの心遣いにメリダは嬉しくなる。
「それでは、味見会をはじめよう。」
リチャードは、まるで小人のビールジョッキのように小さなグラスを取り出した。
「ホントに味見だけなんだな。」
「ん……? そう思うかい? 間違っても一気に飲むなよ。舌先で舐めるように楽しむんだ。」
「…………? 」
何の事かとおもいながら、一口含んで飲み込むと、喉が焼けるように熱い。
一口で酔いがまわり、いつもの感覚が久しぶりに戻って来る。
「…………ゴホッ! なにこれ? 」
「北連邦で作られてる、ヴォトカって酒だよ。火酒なんか目じゃないくらいキツいんだ。」
リチャードは、咳き込むメリダを笑いながら、自分もその酒を舐めるように口にした。
*
「うわぁ……きれい……。」
緑色の飾りを車体一面に貼った、何台もの山車が、ミルドの街の目抜通りを、ゆっくり通り過ぎて行く。
蝋燭の光に飾りが煌めき、山車の中に乗った演奏者が、厳かな笛の音を奏でる。
春の妖精に扮した子供たちが、通りを埋めている人や、窓から眺めていたメリダとリチャードに手を振っていた。
屋台の親父さんが、このパレードを見ないと、春が来た気がしないと言っていた意味が、メリダには解った気がした。
「あたし、思いきって王都を飛び出して来て良かった……。」
「どうして? 」
「だって、こんな素敵な祭りがあるなんて、ダンジョンで狩りをしてるだけじゃ、知ることも出来なかっただろうから。」
「確かに旅はいい。こうして素敵な思いが出来る事もあるしね。」
二人は顔を見合わせて笑い、そしてキラキラと光る薄緑の光の中で、はじめての触れるだけの口づけを交わした。
*
「でねー。聞いてくれる? リチャード。」
机に突っ伏しながら、メリダが話しかける。
「ああ、聞いてるよ。」
ニコニコと笑いながら、リチャードが相づちを打っていた。
パレードが終わり、口づけに気恥ずかしくなったメリダは、かなりのペースで飲んでいた。
リチャードの顔を見るだけで、恥ずかしくて死んでしまいそうだと思った気持ちが、やっとアルコールで紛れて来ていた。
「あたしが一緒に飲んでた子がさ。無事に帰れたかなーって思って次の日に帽子店まで見に行ったんだ。」
「うん。フレデリカだっけ? 」
「そうそう。その子が振られたって話を聞いてたら、なんかあたしも悲しくなっちゃって、結構深酒しちゃったんだよね。」
「それで寝坊しちゃったんだよな。」
「そう。それでさ、帽子店……ハロッズさんのところに行ったら、ずいぶん眠そうな彼女が居てさ。」
「それで、朝までその御者……じゃ無かった、御曹司さんと一緒にいたんだろ? 」
「そうなんだよー。本人もいい子でさ……。あたしが王都を離れる事になったって言ったら、自分のせいだって泣くしさ……。」
「羨ましかったのか? 」
「……うん。その時はね……。でも、今はとっても幸せだから、もういいの。」
もう、ヴォトカのボトルは半分以上、空いていた
リチャードに話を聞かせているだけでも楽しく、メリダは幸せな気分で満ち足りていた。
そんな二人の話は、深夜まで続いた。