一章-5 ひとり
「やれえぇぇぇぇええ!!」
その声は恐らく彼らのボスのものではなかったが、誰ともつかぬその声に呼応して、仇討ちとばかりに攻撃を仕掛けてきた者は三十をくだるまい。
装備も貧相、武器もばらばら、だがその怒りだけは見るものを怯ませる形相にそのまま表れる。
もはや統率はとれなくなり、仲間が殺されたことに怒り狂う悪党の集団があるだけだ。
それが一挙、隊列に襲いかかってくる。
「ちぇぁぁああああッ!!!」
受けた鋼が鈍い音を立て、イーラの眼前で火花が散った。
野盗の一人が振り下ろした、短い鉈に似たナイフがイーラの短槍に食い込み、そのまま二人の動きが膠着する。
力比べなら、ヒーラーの自分は野盗の男にも遠く及ばない。二歩、三歩と押し込まれ、このままでは不利な体勢になってしまう。
だから、力比べなど端から選択肢には無い。
合わせた刃を押す相手の力を利用して、仰け反るように身体を倒す。相手の重心が崩れると同時に軽く足を払えば、屈強な野盗は頭から転んで背中がガラ空きだ。
しかし、その隙を仕留めるには自分も体勢が悪い。早く立ち上がらなければ、相手も体勢を立て直してしまう。が、
「────しぃッ!!」
「ごぁ───」
イーラが作ったその決定的な隙を、戦局を冷静に見ていたレスタが左腕一本で豪快に仕留めた。
男は首筋に一発を受け轟沈、そのまま戦闘不能である。
「さんきゅ」
「次が来るぞ!」
壁役をレスタに任せ、体勢を整えたイーラは自衛に務める。
回復に特化したイーラは、本来、前線での敵との戦闘には参加せず、後方に下がって負傷兵の治療に専念するのがセオリーだ。
多少の護身術は魔術学校時代に心得ているが、このような前線から10メートルも離れていないようなところではいつ流れ矢にあたるか分からないうえ、刃物を持った手練と1対1なら圧倒的に不利。
つまり、ここでゲリラ戦が発生した時点で、彼女は自分の戦場を持てないのだ。
「ミュヒール!シャガン!隊の後ろへ!」
「承知」
「はいよーっ!」
こんなところで貴重なヒーラーを失うわけにはいかないと、すかさず行動隊長のワカ・ローシェンが後方に戦力を割り振った。
ヒーラーさえ守り切れば、隊に損害は出ずに済む。そのことを、経験豊富な彼はよく理解していた。
見れば、隊をぐるっと取り囲んでいた野盗の集団は早くも総崩れになり、最初に攻撃を受けた1番隊は既にほとんどを戦闘不能化、捕縛しており、ワカのいる2番隊も間もなくその戦いに決着がつこうとしている。
そして最も多くの敵と交戦していた3番隊も、サレンとレスタ、そしてワカの指示で支援に入った二人──ミュヒール・コルザーレンとシャガン・ラーノの活躍により、次々と野盗を戦闘不能化していく。
結局のところ、爵家お抱えの傭兵団の精鋭たちを狙った時点で運の尽きであった哀しき野盗どもは、程なくして一人残らず捕縛されることとなったのだった。
「貴様らがドンポとアールデーを殺したのだろうが!!俺らがいつ殺し合いを望んだ、言ってみろ!ええ!?」
「ラタカフ、もう叫ぶな。こいつらは聞く耳なぞ持っていないぞ」
「知ったことじゃありませんぜ!?ボスも知ってますでしょう、私の可愛い甥とその親友だ!ドンポが先走ったとき、あの小娘は明らかに、ドンポを殺そうとナイフを振った!!」
「ラタカフ!」
「アールデーもそうだ!もう俺たちはほとんど倒されて結果は分かってた……それなのにまたあの小娘……アールデーの母親に何て報告すりゃ……」
「……お前たちの身柄は最寄りの駐屯兵に引き渡される。すでに交信石で通報が行っているが、あと2時間ほどで着くそうだ」
「隊長……」
「……分かってる」
部下の赤髪の女が心配そうにワカを見つめる。
戦いの後、捕縛された野盗を引き渡すため近くの町の駐屯地に連絡を入れてからすでに1時間。大勢いる逮捕者を護送するため、車両の手配に時間がかかっているらしい。その間、道端に逮捕者を放り投げておく訳にもいかないため、こうして隊も足止めを食っていた。
「……もう日が暮れやがる」
すでに赤く染まった西の空を見上げ、サドルスが呟く。
「宿のあるドイールまで四時間ほど……今日はここで野宿かしら。馬も休ませなきゃいけないもの」
「……そうなるな」
二人の間に笑顔はない。ただ、精神消耗によるやり場のない倦怠が両肩にのしかかっているようであった。
武器を持った相手と戦うことに関して、彼ら傭兵ほど経験の豊富な者もそういないだろう。まだ若いとはいえ、小さな頃から環境に揉まれて『炎狼』に流れ着き、そこで様々な死線をくぐり抜け成長してきた彼らだ。当然、今回のような悪党を無力化したことも幾度となくあるし、人を殺したことだってある。
また、この程度の小戦闘で疲労するようなヤワでもない。
しかし、先程から耳に入ってくる野盗の悲痛な声を聞いてなお自分たちの勝利を祝うには、サドルスは少し図太さが足りなかった。
「……はァ」
野盗の怒りと、それを事務的に受け流す隊長の背中。その向こうには、顔に布を被せられた身体が二人横たわっている。
ニカ族の美しいグレーの瞳を細め、サドルスは胸中にざわめく形容しがたい感情を煩わしく思った。
そして、キャラバンの中で黙々とナイフを研いでいるサレンに対する苛立ちを、彼は認めようとはしなかった。
「飯だぞ、食え」
「……どうも」
満月が照らす草原に設営された野営地の外れ。
「飲むか?」
「……まだ17なので」
「もうほとんど18だろう」
「以前父に……団長に飲まされたことはありますけどね。正直微妙な味でした」
「……まぁ無理して飲めとは言わないがな。美味しく飲んでやらなきゃ酒が泣く」
ワカは一人月を眺めるサレンの隣にゆっくり腰掛け、また小瓶を煽った。
「……隊長は」
しばらくの沈黙の後、サレンがおもむろに口を開いた。月に雲がかかり、野営地に影が落ちてサレンの表情は伺えない。
「隊長は……任務の時も、いつもそうやって酒を飲まれるんですか?」
「ん?お前は俺と同隊を組むのは初めてだったか?」
「日を跨いで遠出することは無かったので」
「そうだったか。俺はリヤーリの寒風に吹かれて育ったからな、酒が入ってた方が調子が出るものだ」
クツクツと、喉の奥で小さくワカが笑った音がした。
「しかし」
一度言葉を切ってから続ける。
「……またいつ敵襲があるか分かりませんし、任務の最中に酔っているのは如何なものかと」
「敵襲か」
「酒に酔って能力が上がる人を私は知りませんから」
「……皆が皆、団長みたいに悪酔いする訳じゃないぞ?」
苦笑しながら呟いて、ワカは雲の向こうに微かに光る月を眺めた。
「……まあ、今日みたいな争いにならなきゃ俺も何の心配もせずに酒が飲めるわけだ」
びくんと、サレンの肩がわずかに跳ねる。
「……反省は、しています」
「反省?反省はしなくていい。お前の取った行動が間違っていた訳じゃない。より良い選択肢はあったんだろうが、それを探して判断が遅れるよりはマシさ」
空になった酒の小瓶をワカの中指がぴんぴんと弾く。小気味よく鳴ったシャロフ鋼の軽く乾いた音が、サレンの鼓膜をやけに五月蝿く叩いた。
「しかし……」
「自分がとった行動が招いた結果を正しく分かっているのなら、俺から言うことはないさ。いつまでも凹んでいられる方が隊としても困るしな」
返す言葉が見つからず、サレンは相変わらず下を向いたままである。
「明朝、陽が出たら出発だ。ドイールをとばしてレマまで走る。忙しくなるから今日のうちに寝溜めておけ」
そう言い残して、ワカは自らの1番隊のキャラバンに戻っていった。
再びひとりになったサレンは、身体を倒して草原に寝転び、ひとつため息をついた。薄雲の向こうの月がちらちらと見え隠れし、その存在だけは朧気に知らせてくれる。
「───何で」
何で、私は二人を殺したのか。
何で、ラタカフと呼ばれたあの男はあれほど激昂していたのか。
何で、ワカは私の行動を咎めなかったのか。
何で、サディたちは迷惑をかけた私に何も言ってこないのか。
「────寝よう」
考えてみても思考はまとまらず、諦めて立ち上がった。キャラバンに戻ろう。きっと皆はもう寝ているはずだ。
ひとまず、眠りについてしまおう。
答えの出ないこの感情を、微睡みの向こうへ追いやってしまおう。
サレンが自分の行いの結果を正しく知ることになったのは、翌々日の昼、一行がクルースに着いてからだった。