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宴が終わり、賑やかだった大広間もすでに静寂に包まれていた。
月が高く昇り、ゼアトの城の中庭をやわらかな光が照らす。
その一角。小さなテラスに三人分の椅子と卓が置かれ、温かな紅茶の香りが夜風に溶けていた。
レオルドは背凭れに身を預け、ゆったりとした声で口を開く。
「……これからますます忙しくなるな」
静かに、しかし確実に差し迫っている問題。
だからこそ、今のうちに語っておかなければならない。
シルヴィアが頷き、口を引き結んだ。
「そうですわね。自動車、回復薬、どちらも国家事業として発表されることになりましたから、こちらで制度や規格に法律の草案を纏めねばなりませんね」
「お披露目会もするんでしょ~? 早いとこ、完成品を作らないとね~」
「すまんな。俺のせいで……」
「何を言ってるのですか。レオルド様はただただゼアトのため、ひいては私たちのために頑張っているのですから恨みなどいたしません」
「私は楽しいし、面白いから付き合って上げてるだけなんだけどね~。でも、貴方が自分も含めた大切な人たちのために努力してるのは知ってるわ」
「二人とも……。ありがとう」
二人の温かい言葉にレオルドは小さく笑みを零す。
そして、レオルドはそっと目を細め、夜空を見上げた。
雲の切れ間から星々が顔を覗かせているのを目にしながら、レオルドは深刻そうに呟いた。
「……だが、問題はそれだけじゃない。魔王の動向も、いずれ俺たちの前に立ちはだかる」
その言葉に、シルヴィアの表情が陰る。
「……魔王が本格的に動き出せば、王国も、帝国も、聖教国も……一国の力だけでは到底太刀打ちできませんわ」
「……未だに姿形も分からないんだけどね~。これが杞憂だったらいいんだけど、そうじゃないんでしょ?」
シャルロットが珍しく真面目な顔でつぶやく。
「嵐の前の静けさ、と言えばいいのか。何もなさ過ぎて逆に怪しいんだ。俺たちのあずかり知らないところで着々と進んでいるんじゃないかと……」
「徹底的に情報を隠匿しているということですか……。魔王にそこまでの知恵があるのでしょうか? いえ、仮にあったとしてもそれを魔物たちにまで徹底させることが出来るのでしょうか?」
「可能か、不可能かで言えば可能よ~。魔王は文字通り、魔物たちの王様なの。人間みたいに悪知恵働かせる魔物がいても魔王という存在は本能で感じ取るからね。素直に言うことを聞くのよ~」
「そうですか。それは厄介ですね。魔王の知恵が人間の知略を上回るなんて最悪の事態でしょうし……」
夜風が頬を撫で、三人はしばし黙った。
――けれど。
レオルドは、その空気を振り払うように笑みを浮かべる。
「だからこそ、今この瞬間を無駄にせず、未来のために動かねばならないんだ。俺たちは、備えることができる。無力じゃない」
その声には確かな決意があった。
シルヴィアは微笑みながら頷いた。
「ええ。陛下も回復薬や自動車を通じて、ゼアトの技術を国家として守ってくださる。今こそ、連携と信頼が問われるときですわね」
「ふふ、シルヴィアってば、ほんと堅いわね~。けど、間違ってはいないわ。今の私たちには、仲間がいる。王様も、フリューゲル公爵も、イザベルたちもね~」
シャルロットはカップをくるくると回しながら、いたずらっぽく笑う。
「それに~! 何より私がいるんだから。魔王なんて目じゃないわ!」
その言葉には確かな自信が含まれていた。
シャルロットは自他共に認める世界最強の魔法使い。
未だにレオルドも勝てない相手だ。
魔王がどれほど強大であろうとシャルロットには及ばないだろう。
レオルドは、ふたりを静かに見つめ、改めて言葉を紡ぐ。
「……ありがとう。お前たちがいてくれるだけで、どれほど心強いか。きっと乗り越えてみせる。魔王の脅威も、この先の混乱も」
「ええ、レオルド様と一緒なら、何があっても怖くありません」
「ま、しんどくなったら私たちが支えてあげるってだけの話よね~」
三人の言葉が重なった瞬間――空気が、少しだけ軽くなった。
その夜の語らいは、何かを決意する場でも、誓いを立てる場でもなかった。
ただ、支え合う者たちが、同じ時間を分かち合った。それだけのこと。
――だが、それが何よりも尊く、力強い未来への礎だった。
夜風がそっと、三人の笑みを包み込んでいった。
◇◇◇◇
朝靄の残る中庭に、王都へと戻るための馬車が用意されていた。
王国の象徴である紋章をあしらった旗が風にたなびき、衛兵たちが整列している。
その中央。レオルドは正装に身を包み、国王アルベリオンの出発を見送るべく頭を垂れていた。
「陛下、短いご滞在ではございましたが、我がゼアトにお越しくださり、誠に光栄でした」
「ふむ。これほど快適な場所であれば、もう一泊してもよかったかもしれぬな」
冗談めかした口調に、周囲の者たちが小さく笑う。
だが、国王の瞳には確かな満足の色が宿っていた。
「さて、レオルド。例の事業計画とやら、近く届けてくれると言っていたな?」
「はい。自動車および回復薬に関する開発状況、配備予定地、想定される影響範囲と予算案、それに伴う法整備案も含めて、近日中に纏めて王都へ送付いたします」
「よろしい。内容を確認し次第、謁見を開こう。貴殿が正式に提案者として登壇できるよう、場も整えておこう」
その言葉に、レオルドは深く頷いた。
「ありがとうございます。謁見の日までに、すべての準備を整えておきます」
「……期待しているぞ、レオルド・ハーヴェスト。王国の未来を共に形にしてくれ」
国王たちは満足げに微笑み、馬車へと乗り込んだ。
蹄の音が響き、王都へと続く道へとゆっくりと動き出す。
その背中を、レオルドは最後まで見送っていた。
――そして、静寂。
国王の一行が完全に見えなくなった頃、背後からシルヴィアが声をかけてくる。
「……さあ、ここからが本番ですわね」
「ああ。時間はない。急いで取りかからないと」
館へ戻ったレオルドは、早速執務室に篭り、資料作成と部署への指示に追われ始める。
シルヴィアを筆頭に文官たちへ指示を飛ばし、レオルドは準備を進めて行く。
回復薬の製造施設の整備、自動車の量産体制、王都への初回配備案。
他にもやるべきことは山積みだ。
レオルド自身も身を粉にして働かなければならない。
今までのようにのらりくらりと過ごすわけにはいかないのだ。
全てを完璧に整えるには、眠る暇すら惜しまねばならない。
――が。
机に並ぶ膨大な書類を見下ろし、レオルドは一度、椅子から立ち上がった。
窓を開け放ち、吹き込んできた冷たい風に頬を打たせながら、拳を握りしめる。
「……ここからが本番だ。積み上げてきたもの、繋いできた縁……全部使ってでも、俺はやらなければならない。俺がやらねば、誰がやるというのだ!」
呟きは誰に聞かせるでもなく、自身への叱咤だった。
あの国王の言葉。
ゼアトの未来を共に形作る――そう宣言させたからには、中途半端は許されない。
レオルドは拳を胸に当て、深く息を吸い込む。
脳裏には、王城で交わした約束、家族の笑顔。
そして、傍にいてくれるシルヴィアやシャルロットの存在がよぎる。
「運命に打ち勝つ。そのために、俺はやるべきことをやるだけだ……!」
気合い一閃。
目の奥に宿る炎が、一層強く燃え上がる。
もう迷いはない。進むべき道は、すでに見えている。
再び机の前に戻ると、レオルドは椅子に腰を下ろし、手にしたペンを迷いなく走らせた。
書き出したのはただの計画ではない。
それは未来への布石であり、希望への道筋であり、
ゼアトという土地に生きる者すべての命運を賭けた、戦いの準備だった。
――もはや止まらぬ。
これより先は、国を動かすための戦場だ。
そして彼は、ペンという名の剣を手に、その剣で切り開く未来へ挑むのだった。