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ゼアトの未来を語り終えた一同のもとに、侍女が静かに追加の茶を運び入れた。
空気が一度落ち着きを取り戻したところで、レオルドがそっと話題を切り替える。
「――陛下。以前、お話していた回復薬の件につきましても、ここで改めてご相談させていただきたく思います」
国王の視線が動く。
そして一拍置いてから、頷いた。
「うむ。聖教国から帰還したついでとばかりに報告してきた回復薬だな。その存在については既に把握している。自動車だけでも正直、お腹いっぱいな気分だが回復薬もまた火種であろう。どう考えているのだ?」
「この世界における医療常識を塗り替えるほどの効果を持つ存在でしょうからね。色々と手を打たなければ不味いでしょう。そして、回復薬もまた国家事業という体で発表して頂きたく思います」
「ふむ。無用な争いを避けるためか……。いいだろう。私の名において回復薬の製造、販売、流通を認めよう。次は帝国と聖教国に対してどう対応するかだな……」
「まあ、かなりの衝撃を受けるでしょうね。特に今まで回復術士の独占を行い、その利権で儲けていた聖教国はかなりの大打撃となるでしょうから、猛抗議してくるんじゃないですか?」
「そうだろうな。だが、今回はこちらにも口実があるのは知っているだろう?」
「それは勿論、俺とシルヴィアの婚姻を祝して訪問させておいて、教皇の動乱に巻き込まれましたからね。しかも、解決したのは俺ですから向こうも強く言えないでしょう」
「うむ。その点については嬉しい誤算であるな」
回復薬の話題が落ち着いたところで、国王は湯呑を手に取り、香りを一息楽しんでからゆっくりと置いた。
「……さて、問題はこの回復薬の存在が公になった後だ。国内外の反応もさることながら、王都内部にも反発が出るやもしれん」
「回復術士の地位に依存していた貴族派閥も多いでしょうからね」
レオルドが静かに頷きながら応じた。
すでに想定していた展開だ。
あらゆる特権は、失われるときに必ず反発を招く。
「特に、王立医術院の連中が黙っているとは思えません。治癒魔術の権威が脅かされることを嫌って、間違いなく妨害を仕掛けてくるでしょう」
「ならばこそ、王命として上から押さえつけるしかないわけか……。やれやれ、嫌われ役を押し付けられようとはな」
「お嫌でしたら構いませんが?」
「馬鹿者。嫌だからといってお前に任していては何が起こるか分かったものではない!」
「国内分裂……。ひいては国家転覆まで」
「やめよ、宰相! 想像してしまったではないか!」
仮に王命でなくレオルド主導の下で行われた場合、よからぬことを企んだ貴族たちが横やりを入れてくるだろう。
当然、レオルドは返り討ちにするだろうが、その余波でどれだけの被害が生まれるか。
レオルドを旗印にして国家転覆を目論む者も出てくるだろう。
この機に乗じて富と地位と名声を求めてレオルドを担ぎ上げ、新たなる国家を望む者はいてもおかしくはないのだ。
「しかし、陛下。これはあくまでも国の主導によって、平穏裡に進めなければならない事案です。間違っても、私の名を先行させるようなことがあってはなりません」
宰相はきっぱりと断言する。
「王命としての大義、そして王家の威光によって回復薬の存在を国に受け入れさせる――それが最も穏やかで、確実な道です」
「宰相殿の言う通りです。私はほんの少しのおこぼれを頂ければ満足ですから」
「うむ……。相変わらず、無欲と言えばいいのか。だが、己の力を理解しているがゆえに、お前は恐ろしい男だな」
国王はそう言って、肩を落としたように笑う。
「……お前が本気で政を欲すれば、私など容易く超えてゆけよう」
「ですが、私はそれを望みません。ゼアトという土地と、愛する者を守れれば、それで十分です」
まっすぐなその言葉に、国王の表情がわずかに緩む。
だが、同時にその場にいた全員が――この男が真に欲すれば、国家の枠組みすら変えられることを確信していた。
「……それでもだ。レオルド。お前の名はすでに人の口に上り、噂は広がりつつある。未来をもたらす領主としてな」
宰相がぽつりと呟くように言った。
「どれほど取り繕おうと、もうゼアトは辺境の地ではない。王都に匹敵する文明を持つ地として、諸侯や他国からも注視されている。お前の一挙手一投足が、国を揺るがす時代が始まったのだ」
レオルドは視線を伏せると、しばし沈黙の後、低く呟いた。
「……ならばなおのこと、我が道を誤るわけにはいきませんね」
その声には、決意と共に、重圧と孤独が滲んでいた。
「シルヴィア、ついてきてくれますか?」
「当然です、レオルド。貴方と共に歩むと決めたのですから」
二人の視線が交わる。
それを見て、国王は満足そうに笑った。
「良い夫婦だ。……では、レオルド。回復薬の件、正式に王命として取り扱おう。そなたの名は伏せ、王家とゼアトの共同開発とでもしておけばよい」
「感謝いたします、陛下」
「それと――くれぐれも、次の”新技術”を持ち込む際には、心の準備をさせてくれよ?」
「そればかりは保証できません。世界の変革というのは、いつだって突然訪れるものですから」
レオルドの言葉に、誰からともなく乾いた笑いが漏れた。
その日、王都の一室にて未来を動かす密談が交わされた。
それは静かなる革命の始まり――
そして、レオルド・ハーヴェストという名が、さらに深く世界に刻まれていく一幕でもあった。
「では、本日はささやかながら我が家で宴を開催しましょう。王国の未来を祝ってということで」
「ほう。そういうことなら、本日は一泊させてもらおう」
「陛下。よろしいですが、その分、明日は働いてもらいますぞ?」
「……分かっているさ。どこかの誰かさんが余計に仕事を増やしてくれたからな。今日くらいは羽目を外しても良かろう。宰相もどうだ?」
「ええ。ご相伴に預からせていただきましょうか」
「無論、リヒトーもな」
「よろしいのですか? 陛下」
「構わぬさ。このゼアトに私を害そうとする者はおらんだろう。それにレオルドがいるのだ。何も問題はない」
「ええ、警備の方はお任せください。シャルロットにも手伝わせますから」
「かの高名なシャルロット・グリンデ様がいるのなら僕の出番は確かにないかもね……」
いくらリヒトーが王国最強と言われていても世界最強の魔法使いには遠く及ばないだろう。
単体で一国を簡単に滅ぼせるシャルロットが異常なだけである。
「ま、まあ、シャルロットは例外的な存在ですから……」
「そうだね。比べても仕方がない。今日は僕も職務を忘れて飲ませてもらってもいいかな?」
「ええ、それは勿論です。リヒトー殿。一緒に飲みましょう」
「楽しみにしているよ」
「では、それまでご自由にお寛ぎください」
レオルドとシルヴィアは三人に頭を下げて応接室を後にする。
急遽、決まった宴であったが国王の来訪を知っていたイザベルを筆頭にした侍女たちが、あらかじめ準備をしていてくれた。
「どうですか? 流石、私と言ったところでしょう?」
「その一言がなければ手放しで褒めていたところだ」
「レオルド様の言う通りですわ。イザベル」
「くっ! 最後まで出来る侍女として毅然と構えておくべきでしたか!」
二人からの評価にイザベルは悔しそうに歯噛みするのであった。
そうしてその夜、ゼアトの大広間にて、質素ながらも心のこもった宴が催された。
燭台に灯された光が、艶やかなテーブルクロスを照らし出し、豪勢な料理と共に歓談の輪が広がっていく。
楽師たちの奏でる音色が背景に流れ、王や宰相、護衛騎士、そしてゼアトの重鎮たちが和やかに盃を交わす。
「この鶏肉、なんだか不思議な味がするな。風味が深くて……異国の香りがするぞ」
国王がフォークを止め、興味深そうに尋ねる。
「はい、陛下。これは私どもの領地で試験的に育てております香草鶏でございます。特殊な飼料を与え、香りと旨味を引き出しております」
シルヴィアが笑顔で説明を加えると、陛下は満足げに頷いた。
「うむ、なかなかに面白い。ゼアトという土地は、やはり只者ではないな」
その言葉に、周囲の者たちは誇らしげな表情を浮かべた。
やがて、宰相が静かにグラスを掲げる。
「レオルド。お前の示した未来、そしてこの地で育まれる可能性に、心より敬意を。王国は……いや、大陸全体がお前に注目することだろう」
「恐縮です。しかし、私はただ己の信じる道を歩んでいるだけです。たとえそれが、時に革命と呼ばれようとも」
その場にいた者たちは、一瞬静まりかえり、そして再び、祝福の拍手が広がった。
「リヒトー殿。飲んでおられますか?」
「うん。こんなに気楽な宴は久しぶりだよ。今日はありがとうね」
「いつもご苦労様です。今日は思う存分、楽しんでください」
「そうさせてもらうよ」
ゼアトに夜が更けていく中、宴は笑顔と希望と共に続いていった。