彼女は聖女と言われた 5
甲板に出てみるとこれまた心地よい風が吹き荒れ、先ほどまでの試み出される状況とは打って変わってくる。
しかし、どうしても先ほどボウガンが言っていた『第二実験』という言葉がどうしても心に引っ掛かってしまい、一人で風に当たっていてもまた同じことを考えてしまう。
ボウガンが言っていた『第二実験』、という事は『第一実験』があったという事、言葉から考えると前の海洋同盟での戦いが第一段階だったという事だ。
ボウガンの戦いや性格から考えればあの男一人でやり遂げたという事は無いだろうし、という事はもう一人ぐらいいたという事だ。
しかも………それをボウガンに仕事を割り振っている人間もまたいる。
第一実験の結果があの戦いという訳でも無いだろうし、ボウガンたちからすればあくまでもあの戦いを『利用した』に過ぎない。
ならばこれから訪れる場所で、間違いなく何か争いごとが起きること言う事でもある。
しかし、前回はまだある程度最初の段階で『何かが動いている』と判断でき、かつ最初の段階で『敵の想定』が出来ていたからだ。
格納庫で偶然見つけたコンテナで背後関係の推測が出来たが、今回はまるで分からない。
しかもその情報源があの吸血鬼である。
どこまでが真実でどこまでが現実なのか、全ては嘘で全てが夢だという可能性もあるから困った。
「考えれば考えるほどに思考が詰まってしまう。確定的な証拠も無いし、かといって仮説を立てようにもパズルのピースが一つもないような状況だ」
青空を見上げ、遠い海の向こう側にある見えざる敵と見えざる脅威、これを政府に通達し事前に大会を中止にするべきなのだろうか。
それこそ、確定的な証拠も仮説も無いのに言っても誰も信じてくれないだろう。
何せその殆どが俺が開示出来ない理由ばかり。
悩んでいると俺のスマフォが突然鳴り響き始め、俺は急いでスマフォを取り出して画面を見ると、そこには師匠の名前が映されていた。
少しばかり悩み、同時に俺は「師匠なら最悪大会を中止できるのでは?」と考えた。
「もしもし?」
「やっと出たか。開会式までには間に合うだろうな?」
「それは大丈夫だよ………」
何を言えばいいんだ?
大会中か、その前後に何かが起きる。
今回は武術大会だけじゃない、多くのスポーツ大会……西暦世界で言う所でオリンピックのようなモノであり、今回の高いの為に多くのアスリートと武人達が訓練を繰り返してきた。
それを俺の勝手な結論で中止にするなんてありえない。
「何かあったのか?」
「………どうして分かるの? 超能力者? テレパシー?」
「声のトーンだな。『悩んでいる』や『落ち込んでいる』時のトーンだからな。で? 何があった?」
俺は「実は…」と語りだし、先ほどの不確定の情報と俺自身の意見を素直に話した。
師匠に俺自身の隠し事何てするだけ無駄だ。
「なるほど。まあ、各国は納得できないし、そんな理由で帝国政府は動かんだろうな。それに、私が何を言っても各国は納得できない」
「だよな…」
「ソラ………良い事を教えてやろう。推測しようにもパズルのピースが足りない。仮説も立てられない状況で敵も見えない。敵の形は愚か目的すらも。ならやるべきことは一つだ」
「………?」
「考えないことだ」
まるでさも当たり前のように言って見せる。
しかし、それが出来るのならだれも苦労しない。
「簡単にできたら苦労しない……」
「というよりは無駄な事は考えるなだ。そんな事探しながら出なければ出来ない事だ。仮説もできないような敵の事は一旦脇に追いやれ。それに……お前はそんな事をしている場合か?」
「そんな事って?」
「お前にはお前のやるべきことがあるだろう。まずは武術大会の本選に出場する為に、第一予選を突破することを考えろ」
「じゃあこの案件はどうするんだ?」
「だったら今何が出来る? 各国を納得させ、かつ帝国に迷惑が掛からない方法をお前は思いつくのか? 私でもできないぞ。もし、今お前がそこでボウガンと戦い捕まえたとしよう。その際に生じる犠牲をお前は良しと出来るのか?」
出来るわけがない。
して良い訳がないんだ。
「全く犠牲を出さないで救えるわけがない。全ての人間が納得できる結末が描けるわけがない。なら、お前がするべくことは目の前にある問題に挑む事だけだ。それ以外の事なんて起きてから考えればいい。お前なら出来る」
本当に出来るだろうか?
事件が起きてから俺に解決することが……?
「私はお前を信じる。師匠が出来る事は結局で弟子がする事を信じてやる事、弟子をその為に鍛えてやる事だ」
ずるいと思う。
この人はこういう事を平気で言うのだから。
「まずは開会式に参加することだ。いいな? 飛空艇の時間なら問題なく到着するだろうが……」
「それは大丈夫だよ。このグリーンカードを都市に入ったことに見せればいいんだろ?」
「そうだ。それが開会式に参加できる唯一のチケットだ。私は軍の仕事があるから開会式には参加できないし、第一予選の直前もお前の面倒は見れないが、予選は客席から見せてもらう。お前のこの数か月の特訓の成果を見せてみろ」
まずは目の前にある大会に集中しよう。
俺が参加したかった大会じゃないけど。
アンヌはドレスを一旦脱いで鏡の前で自分の右腰に残る痣のように見える跡にそっと触れる。
彼女の記憶は十年前からしか残っていない。
今の両親に引き取ってもらってから、それより前の記憶は全く無いし、何より意図的に消されたのではと思わせるほどに思い出そうとするとノイズが走る。
この痣も引き取られた時から残っているもので、医者は手術痕だと教わった。
自分にどうして『治療』の力があるのか、この痣は何なのか。
何より自分の事を自分が全く理解されていない。
今の両親が自分を疎んじていることも、この力が自分を聖女と言わしめている事だって分かっている。
そっとドレスを着直し、髪をもう一度束ね直す。
髪留めを右側に付けてそっと部屋の外へと出ていく。
「準備は出来ましたか?」
「ええ。行きましょう……」
開会式での参加の後、大会中ずっと大人しく微笑みながら見守り、怪我人が出れば治療して。
そんな詰まらない作業をしなくてはいけない。
しかし、彼女はいざとなれば聖女を演じる事ぐらいなんてことは無かった。
だってこれも又今更だから………、いつだって周囲が求めるのアンヌという女性ではなく、治療の力を持つ聖女だけ。
それを演じる事で家に居る事が許されている身、今更不満があるわけでもない。
「私は聖女。聖女アンヌ」
そう自分に言い聞かせてきた。
彼女は聖女と言われてきたのだから。
赤いカーペットをガルスの案内で歩いていき、階段をゆっくりと降りて三階にある外への桟橋を歩いて降りると、多くの記者のカメラが彼女を捕らえる。
彼女へのしつこい質問攻めを彼女は微笑みで返し、歩きながら優雅に手を振る。
黒いスーツ姿の男性がアンヌに近づいてくると、そのまま開会式の会場まで案内してくれた。
曲がりくねった道、いったん外に出るとリムジンのような車で開会式の会場への道を進む。
(おかしい。始めてきたはずなのに………ここに来た事がある。そんな気がする)
窓の外に見える高層ビル群とアスファルトの地面、海から無数に伸びる支柱に支えられる本島と呼ばれる場所、その本島から伸びる実験場と呼ばれる四つの区画。
その全てが彼女は初めてのはずで、来たことは無いはずなのに記憶が、頭が刺激されてしまう。
「お嬢様?」
「大丈夫です」
大丈夫ではない。
大丈夫なはずがない事ぐらいガルスにだって分かっていた。
彼女にとって聖女とは………重荷なのだ。
禍根の聖女は真っ直ぐに式典会場へと向いていた。
そこに何があるのかまだ知らない。