帰郷 6
ソラ達が辿り着く三十分前。
袴着家の玄関から『ピンポン』という音が聞こえてくると、奈美は玄関に行こうと立ち上がるが、それをイリーナの細い左手が邪魔をした。
「だ、駄目。行ったら殺される」
怯えた様子のイリーナに奈美はただならぬ状況だと判断できた。
この時奈美の頭には二つの方法が存在し、一つは周囲に助けを求める、二つ目は裏山の方へと逃げる方法だった。
しかし、イリーナが尋常ではないほどに怯えているという事、これが奈美に相手が並々ならぬ相手なのだと理解させる。
イリーナの左手を掴んで靴を履くとそのまま二人で裏山の方へと駆け出していった。
「相手は誰?」
「………私を殺しに来た人。殺人鬼」
イリーナが何かを秘めているという事ぐらい初対面でもよく分かった。
初めての時からイリーナが何かに怯えを持っていたことも、自分に心を開いていく瞬間の本当に楽しそうな表情だって知っている。
だから「守らなくちゃ」と本能で察した。
その考えはソラと比較的に似ている感情なのかもしれない。
「何も聞かないの? 私が何者で、どうして殺されそうになっているのか」
普通なら殺されそうになっていると知れば誰でも疑うだろうし、何より人によっては売り飛ばそうとする。
しかし、奈美はそんな事も考えずにただイリーナを守る事だけを考えた。
「聞かないよ。だって聞かれたくない事でしょ? それに友達が殺されそうになっているのに見過ごせないよ」
その真直ぐな思いはイリーナには眩しすぎた。
(皆私の歌が気持ち悪いと罵り、ある人は私の歌声を聞いて利用しようとしてきた。そういう世界しか見てこなかった。でも、歌うのは好きだし、いつか誰かに心で聞いてほしいと思ってきた。初めて私の歌を聴いてくれた人、初めて褒めてくれた人、初めて……私の友達になってくれた人)
イリーナは涙を流しながら奈美と繋ぐ手を更に強める。
奈美からすればどうしてイリーナが泣いているのかもよく分からなかった。
茂みに一旦身を隠したのも、目の前に人の集団を見付けたためだ。
「誰かな? イリーナは知ってる?」
「ううん。でも、服装から見れば警察と自衛隊じゃないかな?」
奈美が目を凝らしながらじっと見つめてみると、確かに警察と自衛隊の服を着ている気がしてならない。
でも、なんとなくここで出てはいけない様な気がした二人はそっと近づいていき、聞き耳を立てる。
「呪詛の鐘は発見できていないのか? 首相は帝国より先に発見しろと必死だぞ。話ではテロリストまでもが狙っていると噂だ」
聞きなれない単語に奈美が首を傾げていると、隣で隠れているイリーナに尋ねてみた。
「イリーナは知ってる? じゅそのかねっていう道具」
「聞いたことはあるけど……良くは知らないの。でも、私を追いかて来ていた人達がそれを求めていたのは知っている」
イリーナの耳がピクンと動くと爆音のような鼓膜を刺激する音、暑いという言葉以上の熱風が通り過ぎると、警察官と自衛隊を吹っ飛ばした。
倒れて苦しんでいる自衛隊や警察に駆け出したいという気持ちをグッと抑える二人、そんな中派手な髪形をしている男と、黒人の女性が二人が来た道から現れた。
「イザーク……やっぱりあなた」
「あれがイリーナを殺そうとしている人」
「気を付けてね。あの人炎を操る事が出来るの。信じてもらえないかもしれないけど」
「信じるよ。だってイリーナの目は嘘を言ってないもん。目を見れば分かるよ。私をジッと見てくれている。私に語り掛けてくれるって事は嘘じゃないって事でしょ? だったらあの女の人は?」
「名前はアラウだったかな。すごい早い速度で移動することができる人だったはずだよ。でも、確かじゃないの。アラウって人はダウナーで積極的に戦う人じゃないから。でも、あの真っ赤な髪をしたイザークは別。あの人は殺人衝動みたいな側面を持っているの」
イザークは何かを呟くと、一人の自衛隊員目掛けて炎で作り出した炎球を力一杯ぶつけた。
弾けて飛んできた火の玉は周囲の木々に燃え移り、当たった自衛隊は跡形もなく消え去った。
その姿に悲鳴を上げそうになる奈美の口を覆う。
「だから………教えて欲しいんだよ。この街に本当にあるのか。『呪詛の鐘』があるのかどうか。それぐらい教えてくれてもいいんじゃないのか?」
「だ、だから言っているだろう! 我々もそれを調べている最中だと! それにテロリストに……『ミュータント』にいうべきことなんて一つもない」
「酷いな。我々は丁寧に聞いているというのに」
奈美とイリーナの心の中に「丁寧な人は人を吹っ飛ばしたりしない」というツッコミが出てきた。
奈美は小声で「ミュータントって何?」と尋ねた。
「私みたいな特殊な力を持つ人間をそう呼びみたい。でも、私が知ったのも最近なの。各国の政府が極秘裏にそう呼んでいるみたいで。発見されたのも三年ぐらい前だって聞いたよ。六月ぐらいに初めてイザークが発見されて以降だから」
六月という単語に奈美は心の中で(お兄ちゃんが行方不明になった後?)と試行してみたが、周囲の状況がそれを許さない。
「さて……来る途中にイリーナはいなかったしな。この辺に隠れているのか、それとももっと遠くに逃げているのか」
「間違いなく共犯者がいる事は間違いないわ」
「アラウ。こいつらを殺せ。私はこの辺を焼け野原にしてあぶりだす」
イリーナは顔を真っ青にしてしまい、奈美に「ごめんね。隠れていてね」と告げるとあえて身を乗り出した。
「止めてイザーク! 大人しく従うから! これ以上人を殺さないで!」
「ほう。君の能力は貴重なんだ。君が大人しく従ってくれるならここにいる者達を殺すだけで済ませよう。アラウ。こいつらを殺せ」
ゆっくりとゆっくりとイリーナに近づいていくイザーク、それに耐えきれなかった奈美はついに飛び出してしまう。
「イリーナに近づかないで!」
「奈美ちゃん! 駄目!」
「こ、これ以上近づいたら、ゆ、許さないから!」
「何を許さないのか教えて欲しいな。所でイリーナ、その子は友人かな? 君みたいな存在でも友達が出来たんだね。だったら分かるよね?」
恐怖が込み上げてくるが、それ以上に初めて出来た友達がどうしても大事だった。
それ以上の事なんて存在しない。
「これ以上近づいたら………許しません。私だって戦います!」
「ほう……怯えて、追われて、私達に「助けてください」と懇願したのは誰だったのかな? 知っているだろ? 私達のように神に選ばれた存在は一般人には理解されないんだ」
「そ、そんなこと無い! 奈美ちゃんは私の友達! 私の友達に手を出したら誰が相手でも許さない!」
精一杯の強がり。
そんなの役にも立たないぐらいは知っているし、そんな事をしても何か現状が変わるわけでもない。
二人で殺されるだけ。
抗う事だって出来ない。
でも、イリーナやアラウは初めて見たイザークが憤怒の表情を、何が憤怒へと導いたのかが分からなかった。
「いいだろう。どうやら殺されたいみたいだし。跡形もなく消し飛ばしてあげるよ」
殺されるという感情が二人を咄嗟に瞳を閉じさせ、襲い来る攻撃に身を縮ませてしまうが、一向に攻撃が来ることは無く、二人はそっと目を開けると青いブレザーの制服を着た黒い髪の男性が目の前にいた。
エメラルドグリーンの片刃直剣をイザークに向けているその後姿を見ると奈美は何故か涙を流していた。
「俺の妹に。妹の友人に手を出すな」
「そっちの自称友人は私の元仲間なんだがな」
「冗談はその派手な髪と顔だけにしておいた方が良いな。それとお前の方こそ『自称元仲間』という言葉を選んだ方が良いぞ」
火花をバチバチと散らせる二人は戦いへとひたすら突き進む。