弟、幼児用杖を駆使する
夕暮れの頃、馬車は野営地に到着した。
さっそく若旦那たちが持参した鍋やフライパンで、簡単な晩ご飯を作ってくれるという。
待っている間、暗くなる前にとユウトとレオは薪を探しに近くの林に入ることにした。
「ユウト、それは生木だから燃えづらい。落ちて乾燥した枯れ枝を拾うんだ。ウルシ科の植物には気を付けろ、かぶれるからな。ああ、拾った枝は俺に渡せ。俺が持つ」
「大丈夫、僕も持つよ。レオ兄さん、腰に50㎏下げながらよくそんなに持てる……あ」
いつも通り過保護な兄と話しながら歩いていたユウトは、頭上の木の枝に何かの赤い実がなっているのに気が付いた。すぐに弟の視線の先をレオも目で追い、それを確認する。
「リンゴだな。下の方は森の獣に全部食べられて、ずいぶんと高いところにしか残ってないようだ」
「これだけ食べられてるってことは、きっとこの木の果実は美味しいんだよね。みんなに採っていきたいな」
ユウトはそう言って、ベルトに差してあった細い杖と、ポケットに入っていた魔石を2つ取り出した。
「いけるのか?」
「うん、多分。魔石を加工して使い分けると、結構いろいろできるんだよね。見てて」
杖を振るうと、二つの櫛形に加工された魔石がリンゴの元へ飛んでいく。この幼児用の杖では、魔石を二つまでしか扱う魔力がないのだ。しかし特に問題はない。
「二つの魔石をはさみの刃みたいに擦り合わせるように重ねてさ。根元を支点に刃角を30度くらいで滑らせると……」
頭上で細い枝が折れるような音がして、果実が木から切り離された。片手に薪を抱えたレオが、もう片方の手で上手くそれを受け止める。
「これなら非力な杖でも軽い力で切れるんだ。切り口は不格好だけど」
「なるほど、面白い使い方だな。これだけの距離で小さな魔石を正確に魔力で操れるなら十分だ」
「この杖って魔力で持ち上がるのは500gが限界だし、スピードは人が走る程度までしか出ないし、攻撃力は食パンに穴も開かない程度だけど、使い方次第では色々できるんだよね。それになにより、出力が小さいからかな、全然疲れない」
「まあその分頭は使うだろう。しかし今のうちに応用を考えておけば、いざという時の引き出しの量が段違いになるからな。次の街に行ったら新しい杖を買うつもりだが、そのストックは無駄にはならない」
「うん。ほんと、基礎って大事だよね」
会話をしながらさらにリンゴを2つ落とす。食後のデザートには十分だろう。
それからまたしばらく薪を拾って、2人が戻った頃にはもう食事ができていた。
干し肉から出汁を取った具だくさんの野菜スープと、フライパンで焼いたパン、茹でた卵のスライス。そこにユウトが採ったリンゴを加えれば、なかなかに満足できる夕食になった。
食後は明日の朝食のためにみんなで川釣りをして、各々武器の手入れをする。
そして夜もだいぶ更けた頃、最初の焚き火の見張りを任されたユウトと当たり前のようにそれに付き合うレオを残して、村人たちは幌馬車の荷台へと入っていった。
「レオ兄さんも寝てていいけど」
「ここにユウトを残していっても、どうせ心配すぎて眠れない」
「ほんと心配性だなあ」
苦笑をしつつもそれ以上は突っ込まず、ユウトはさっきから考えていた行動を開始した。
ロープを取り出し近くの大木にくくりつけ、そこから焚き火の近くまで引いてくると、先端に魔石を結ぶ。そして同じものをもう一本作ると、レオの隣に戻ってきた。
「それ、もしかして蛾の魔物対策か」
「うん。どんな魔物が来るか分かってるなら、事前に準備しとこうと思って。来ないに越したことはないんだけど」
「面白そうだな。どう扱うのか見てみたい」
何事にも無関心な兄だが、弟のことに関しては違う。興味深そうに魔石の結ばれたロープを眺めている。
「モンスターが来なければ使わないよ」
「今日は月も出ていないし、条件が良いからおそらく来る」
「……条件が良い?」
「焚き火の他に魔物を誘引する光源がなく、かつ無風で真上に炎が上がる。近くにいれば高確率で光に引き寄せられてくるはずだ」
言いつつ兄は薪を大目に焚き火にくべた。
背の高くなった炎が、周囲の木々をゆらゆらと照らす。
「ちょ、わざわざ呼び寄せなくても」
「蛾の魔物はどうせ害魔虫なんだ。人に害をなす魔虫ってことだな。そのため、冒険ギルドなんかでは駆除義務の対象モンスターになっている。そんな厄介な魔物、他の奴らが見張りの時に襲われるより、今のうちに駆除しておいた方がいいだろう」
「駆除義務対象……見つけたら駆除すべき魔物ってこと? そんなに危ない魔物なの?」
ユウトにとっては蛾なんて、そんなに強そうなイメージがなかったのだが。
「蛾の魔物……アッシド・モスは生物を鱗粉で麻痺させ、それを酸で溶かして餌として啜るモンスターだ。攻撃力や防御力、魔力なんかは最弱と言っていいレベルなんだが、一番厄介なのが、完全な不意打ちで近付いてくることでな」
「不意打ち?」
「鳴き声がない、羽音もない、弱すぎて気配も感じない。おかげでいつの間にか近くにいて、気付いた時には何もできずにやられてる旅人や冒険者が後を絶たないんだ。……ほら、お前も気付いてないだろ?」
「えっ!?」
言われて、ユウトは慌ててレオがちらりと視線を向けた先を見た。
焚き火の炎の上空、思ったよりも近くに、1メートル強の巨大な蛾を見つけて目を瞠る。毒々しい色の翅、ぶっとくて細かい毛の生えた胴体が印象的だ。
「うわっ、うそ、全然気付かなかった!」
「驚くのは後だ。1人であれを始末してみろ。駄目だったら俺がフォローする」
「……うん、やってみる」
ユウトはすぐさま杖を構えた。
ゆらゆらとこちらの様子を見るように上空を飛んでいる蛾の魔物の背後へと、ロープの付いた魔石を回り込ませる。
強く羽ばたくと音が立ってしまうからか、自分が知っている蛾よりも動きが緩慢なのがありがたい。
ユウトは間合いを計りながら、アッシド・モスを観察した。まだ鱗粉を飛ばして来ないということは、その効果範囲は限られているのだろう。
だとすれば、これから高度を落としてくるはずだ。
魔物との距離、ロープの長さ、焚き火との位置。それを考えながら、タイミングを待つ。
(魔力の糸で先に軌跡を作っておいて、それに魔石を滑らせれば一気に終わる)
ユウトは細く魔力の糸をイメージし、それを蛾の翅の根元に絡めた。その魔力の弱さゆえ、魔物は気付きもしない。
そうしながら、ユウトはこの魔物と今の自分は似ているなと思った。
攻撃力も防御力も最弱レベル。魔力も弱い。しかし、弱いことを逆手にとって、強さにしか反応しにくい生物の警戒心の隙間を抜けてくる。これはある意味すごいアドバンテージだ。
めちゃくちゃ弱いのに、冒険者ギルドに駆除対象にされる厄介者。
魔物にとって自分がそんな存在になるのなら、とても面白い。
そんなことを考えているうちに、アッシド・モスがゆっくりと高度を下げてきた。
「ユウト、殺気を向けるとすぐに逃げるから気を付けろ」
「逆に殺気ってどう出すの?」
正直今のユウトは、自分の仕掛ける絡繰りが思惑通りに機能するかどうかしか気にしてない。
弟が首を傾げると、兄は「ああ」と納得したような声を出して静観に入った。
(……よし、今!)
見た目からして明らかに弱そうな上、弱い武器しか持っていないユウトに、蛾の魔物がさらに高度を落とす。それを見計らって、ユウトは魔物の後ろにある2個の魔石を、さっき魔力の糸で作った軌跡の通りに滑らせた。
するりと、魔石に結ばれたロープが容易に蛾の翅の根元に絡まる。
それに気付いた魔物が逃れようとしたけれど。その前に結び目を作ってしまえば、飛び去ろう引っ張った自身の力で蛾はその結び目を固く締める羽目になった。
「捕獲するのか?」
「ううん、一応倒すつもり。魔物がもう少し暴れてくれればいけると思う」
逃げるのをあきらめた魔物が、こちらに攻撃を仕掛けてくる。ばさばさと忙しなく羽ばたきながら酸を吐くのを、2人は焚き火のこちら側に下がることで回避した。
そうしているうちに、だんだん蛾の挙動がおかしくなってくる。
「翅が千切れかけてる……?」
「あのロープの先の2つの魔石、さっきはさみ代わりに使ったのと同じやつなんだ。その刃の部分を翅の根元に当てて固定してるの。杖の魔力じゃ力不足で切れないけど、これなら魔物が羽ばたくたびにノコギリみたいに切れるかなと思って」
「なるほど、自分の力が足りない分、あいつの力を利用したわけか」
ついに左右の大きな2枚の翅が千切れると、浮力を失った蛾の身体がそのまま焚き火の上に落ちた。
炎に弱いと聞いていた通り、その身体はあっという間に燃え上がる。声を上げることもない魔物は僅かの間ぐねぐねともがいたが、すぐに炭のように真っ黒くなってしまった。
「ここまで考えてロープの長さを焚き火の位置に固定したのか。よく考えている。えらいぞ。うん、可愛くて賢いなんて最強だな」
一通りを見ていたレオが、事の終わりを告げるように満足げにユウトの頭を撫でる。ユウトもほっと息を吐いた。
「飛んでるうちに火が点いたら体力が削れるかなと思ったくらいで、焚き火の上に落ちたのは出来過ぎだよ。何だかちょっと、可哀想なくらい」
「いや、炎で始末するのが一番いいんだ。アッシド・モスは剣で倒すと、腹の中から200匹を超すうねうねした幼虫が飛び出してきてな。空中で切り捨てた後に頭から被るとちょっとしたトラウマになる」
「うぎゃ-! やめて、想像しちゃう!」
兄の言葉に思わず鳥肌が立つ。まるで経験したことがあるみたいに言うけど、ほんとに何で知ってんだろう。前世での記憶でもよみがえった?
まあ、訊いてもどうせ「チートだ」と言うんだろうけれど。
「また別の蛾が寄って来ないかな?」
「大丈夫だろう。アッシド・モスは縄張りを持っていて、単体でしか行動しない」
「じゃあ今日はもう平気だね」
ユウトは用なしになったロープを片付けると、落ちていた2枚の翅を回収した。
鱗粉から麻痺毒が取れると言っていたから、明日若旦那たちにあげよう。
「ユウト、そろそろ2時間だ。馬車に戻ってお前も寝ろ」
「え? いいよ、この時間兄さんに付き合ってもらったし、僕も兄さんに付き合う。話し相手がいないと暇でしょ?」
「これから圧縮ポーチの荷物の整理をするつもりだから平気だ。お前は旅慣れてないし、疲れを取るためにもゆっくり休んだ方がいい。それにユウトが夜更かししてる方が気になる」
レオに言うなりマントで簀巻きにされて、軽々と抱え上げられる。問答無用で寝ろということだろう。
幌馬車の荷台の入り口に掛かった布を避けると、兄は熊の絨毯の敷かれたところへふんわりと弟を寝かせた。
周囲では他の男たちが大いびきで寝ている。
「耳栓あるぞ。いるか?」
「平気」
軽く首を振ったユウトに、最後に頭を撫でてレオが離れた。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
いつも無表情な兄だが、弟に対する視線は優しい。それが布の向こうに消えるのを見送って目を閉じる。
暗闇に力を抜いたユウトは、自分で思っていた以上に疲れていたらしく、すぐに意識を手放した。