兄弟、迷宮を進み始める
「おはよう。ごめんね、休ませてもらって」
三時間が経って一人用のテントから出てきたクリスは、食事と睡眠のおかげでいくらか疲れが取れたようで、だいぶ顔色が良くなっていた。
身体の重怠さも取れたのだろう、テントを手早く畳んで合流する。
それを待っていたこちらの方はすでに準備万端。
クリスが来たと同時にレオはネイに指示を出した。
「じゃあ出発するぞ。狐、その壁のあたりにランプ用の着火台があるはずだ。そこに魔法ランプを置け」
「着火台? あ、もしかしてこの壁の出っ張りのこと? さっき調べてて何だろうと思ってたんですよね」
ネイがそこに魔力を燃料とするランプを置くと、ジジジッと音がしてから炎がぽっと灯った。赤い炎だ。この男が持っている潜在魔力の属性が火なのだろう。
「よし。そのランプが目的地に導いてくれるはずだ。お前が先導しろ。この迷宮の中央……おそらくその部屋に、敵がいる」
「迷宮の途中に他の敵がいたりしないんですかね?」
「アン!」
「ネイさん、エルドワはいないって言ってます」
「あ、じゃあ大丈夫かな。このゲートは大型の敵しかいないから、エルドワなら絶対気付くもんね」
エルドワのお墨付きがあれば、迷宮を進むのに支障はない。特に進言をしてこないところを見ると、宝箱もないだろう。
おそらくこのフロアは一匹の敵と、一つの宝箱しかないのだ。その両方がアレオンの部屋にある。それが分かれば道中に気を配る必要はなく、一行は幾分気楽に歩き出した。
「わあ、すごい! このランプの明かり、正解の通路しか照らさない仕掛けになってるんですね!」
「ほんとだ、これは興味深いね。術式で制御してるわけじゃなく、正解の壁に特定の魔力の光の粒子を弾く加工がしてあるのかな。その反射で、正しい通路だけ光って見えるんだね。この加工自体はリインデルの書庫にあった本で説明を見たことがあるよ」
「へえ、面白いですね!」
知識を語るクリスに、ユウトが無邪気に感心する。さすが、この男は本の虫だけあって博識だ。その話を弟の隣で聞きながら、レオはふと現在も王宮の地下にある非常用脱出通路を思い出した。
どちらも同じく王宮の地下にある建造物。通り抜ける人間を選別する方法自体は少々違うが、迷路としての建物の造りはここととても似通っている。
設計したのは同じ人物か、もしくは同一の技能集団か。何にせよ、はるか昔のエルダール王国誕生時にこれだけのギミックを作る技術があったというのはすごいことだ。
クリスも興味津々といった様子で通路の壁をぺたぺた触った。
「知ってるかい? この魔法を反射する加工のあるアイテムは他にもわずかに存在するんだけど、その加工法や資材自体は今の時代にはもうないんだよ。その失われた技術や材料をこんなに大胆に使っちゃうなんて贅沢だよね」
「加工法が失われた? ……どうしてですか?」
「表向きの理由としては、魔法反射は術式で代用できるから、わざわざ加工する必要性がなく廃れたと言われてる。でも本当のところは、今ではこの加工に必要な材料を作ることができないかららしいよ」
「えっ? じゃあ昔の人はその材料をどうやって作ってここを加工したんでしょう?」
「それがどこの文献にも残ってなくて、分からないんだよね。ずうっと謎のままなんだって」
そう言って身体を壁に向けたまま肩越しに振り返ったクリスは、ものすごくいい笑顔をしている。
未知なる知識や技術を楽しげに語る様子は少々マッド的だ。こういうところがジードとも話が合う所以かもしれない。
クリスは嬉々として語り出す。
「でも文献が残っていないってことは、逆に言えばエルダール建国の際に焼き払われた、エミナの技術である可能性が高い。実際、私が行ったエミナの研究所で似たような技術が使われる場面があったよ」
「似たような場面ですか?」
「うん。今私は魔法を反射すると言ったけど、実際は照射された魔法に対して特定の反応を返す、もしくは感知した魔力を変質させる、というのが正しいんだ。おそらくその技術でもって、私はリインデル研究所所長の血縁だと判別されたのだと思う」
個々の魔力には、遺伝というものがある。基本属性は当然親から引き継ぐし、代々血族のみが使える魔法なんていうのも稀に存在する。
つまり、その遺伝情報の入った魔力を照射させることでクリスは選別され、その反応として研究所の扉が開いたということだ。スキミングのようなものを受けたと言っていたが、多分それにこの仕組みが使われていたということなのだろう。
レオもその説明を聞いて合点が入った。
「この材料を作る技術はエミナにしか存在しない……ってことはここで加工に使われてるのは、エミナを滅ぼしたエルダール初代が奪ったか見付けたかのなけなしの材料ってことか」
「だから今は作りたくても作れないんですね」
「でも私はその作り方も、エミナの遺産として残っているんじゃないかと思ってるんだよね」
クリスはうきうきとした笑顔で続ける。どうやらリインデルにあるとにらむエミナの遺産の中に、この技術が眠っていると考えているらしい。
だが、魔法の反射や投影などは、やろうと思えば術式を駆使してどうにでもなりそうなものだ。わざわざその技術を後世に残す必要性などあるのだろうか。
「本当に遺産として残すほど有用なものなら、エルダール初代だって国の技術として残そうとするんじゃないのか? 結局復活させなかったってことは、表向きの言葉通り実際術式で事足りるからだろ」
「逆だよ、レオくん。それで事足りるなら、それこそこんな重要な王宮の地下に使用する必要はないだろう?」
逆、と言われてその意味を考える。
つまり、有用なものだから復活させなかったということか?
それに一瞬不条理でわけが分からんと思ったけれど、はたとあることに思い当たってレオは目を丸くした。
「……まさか、復讐霊に対抗するのに有用だから、エルダールではその技術の継承や復活を許されなかったということか……!?」
「うん。私はそう思ってる。これはエミナの研究所が復讐霊に抗するために開発した技術で、だからこそ復讐霊が廃れさせたのだと」
「え、でも術式で代用可能な用途でしょ? 復讐霊が恐れるような効能があるとは思えないけど、そのへんどうなの?」
先頭で話を聞いていたネイも、怪訝に思ったのか話に加わってくる。その質問に、クリスは待ってましたとばかりににこりと微笑んだ。
「じゃあ君たちはこの迷宮にその加工技術が使われているのは何故だと思う?」
「……エルダール初代王が何を思ってここを作ったかってことか? ……この技術が禁じられていたものだというあんたの話を信用するなら、とりあえず復讐霊の指示でないことは確かだろうな」
「ってことはこんな大掛かりな建造物、内緒で作ったんですかね~? 何のために?」
「……この奥に、復讐霊に見付かりたくないものを隠すため……ですか?」
話を聞きながらずっと思案顔だったユウトが、おもむろに口を開く。レオとネイはその答えにいまひとつピンと来なかったが、クリスはそれに笑みを深め、エルドワは賛同するように「アン!」と一声上げた。
「ユウトくんはどうしてそう思う?」
「さっきから思ってたんですけど、この加工をされていると周囲に魔力の気配を感じないんです。術式で制御されていればどうしてもその気配が漂うのに、ここはまるで何もないみたいな……。エルドワが魔力の流れを辿って行けないのも、もしかするとこれのせいかも」
「どういうことだ? ユウト」
「術式と違って、この加工がされているところはエルドワですら感知できないってことだよ。それどころか、加工の設定によっては魔力を変質させ流れを誤認させることもできる。……実際、エルドワはこの通路に所々行き止まりがあるって言ってたけど、こうして歩いてみると何もないでしょ? 多分この加工によって迷宮内に漂っている魔力が操作されてるんだ」
「アン」
ユウトの説明に、エルドワが頷く。どうやらこの子犬もその違和感を感じているようだ。
一方で魔力に対して今ひとつ鈍いレオとネイは、肌感覚ではなかなか理解のできずに首を捻った。
「そんなことが、復讐霊からものを隠すことに繋がるのか?」
「それが、繋がるんだよね」
ユウトに向けたレオの疑問を、横からクリスが引き受ける。その表情は変わらず楽しげだ。
「さすが、ユウトくんとエルドワは魔力に敏いね。でもこれ以上の説明は私じゃないと難しいと思う。多分に考察を含むけど、レオくんたちには今のところ推察できる範囲で話すよ」
ようやく壁から手を放した男は、レオたちの少し後ろを歩きながらそう語る。どうやらここまでのことで、クリスの中で推論がまとまったようだ。その瞳にはやはりどこかマッドな気配が漂っていた。
「まずはこのエミナの加工技術の有用性と、私がこれを復讐霊に抗するための研究成果のひとつだと思う根拠を説明しよう」




