兄、賢者の石の行方を知る
「……転移するならイレーナのところだね」
「そうだな。親父も師匠であるイレーナには逆らえないし、俺たちの生存を最初に確認するのがあいつなら、口封じに葬るなんてできやしないからな」
この頃に騎士や衛兵の教官をしていたイレーナは、レオやライネルの剣の先生であり、また父にとっても師匠である。父に剣を教えていた当時から現在と同じ容貌をしているらしく、人間でありながら妖怪と揶揄されることもある人物だが、実際何歳なのかは誰も知らない。
その強さ、存在の特異性も相俟って、彼女に逆らえる者はいないのだ。
さらに政から距離を置き、権力におもねらず人望に厚く、スパルタだが面倒見が良いため信奉者も多い。
レオもライネルも、イレーナならばと信頼できた。
まあ当時のアレオンはこの時点で彼女と接点などなかったわけだが、ライネルも今さら指摘する気はないようだ。ただ意見が合ったことに頷いて、魔王を見上げた。
「王宮の兵舎にある教官室に座標を合わせられるでしょうか?」
『ふむ、良かろう。少し待っておれ』
そう言うと、魔王はライネルに近付きその額に人差し指を当てた。どうやら、その記憶の映像から座標を読み取れるらしい。しばしそうして黙っていると、魔王は再びうむと頷いた。
そしてパネルに向かい直し、何某かを書き込んで閉じる。どうやらこれで剣に術式を読み込ませたようだ。
『……これでいい。接触型の転移媒体になっておるゆえ、その子の魔力を注いで触れれば、すぐに転移するぞ』
「よし、これで地上に戻れるんだな。……魔力を注げるか?」
「ん、だいじょぶ」
レオの腕の中で請け合ったユウトは、魔王が差し出した剣に小さな手を近付けて、しかし触れないように魔力を送る。すると剣にはめ込まれている魔鉱石の色が変わってきた。
最初は黒曜石のような漆黒だったが、だんだん色が薄くなり、やがて乳白色になっていく。これは、魔力に反応しているのか。
レオはユウトを抱えたまま、顔だけを上げて魔王を見た。
「なあ、この魔鉱石って人間界で発掘できるレアメタルなのか?」
『いいや、これは世界で生まれた物質ではない。創世の際に世界に持ち込まれた神宝を、敵する者が勝手に破壊してこの剣に流用したのだ』
「あー、禁忌を冒して創り上げたってのは、そういうことか。何か有用な魔鉱石なら、素材にして魔法武器を作れないかと思ったんだが」
『……まあ実際、これを本来の形で手に入れたのならかなり強力な魔力増幅器になり得たのだがな』
「本来の形? これって、元々どういうアイテムだったんだ?」
『賢者の石だ』
「……は?」
賢者の石。それって確か、人間界の虚空の記録にアクセスするための、必須アイテムではなかったか。それだけでなく、魔法使いにとっては最上級の護符。
もう長いこと所在が不明になっているという話だったが……。
「ちょ、待て! 賢者の石を破壊した!? 何でそんなことを!? 人間界の未来を変えられるほどの超重要アイテムじゃねえか!」
『どうせ精神体である我らには、そのままでは使えぬものだ。そして人間に与えれば力を持ちすぎる。故に、彼奴はおそらく自分の使い勝手が良いように力を割ったのだ』
「……それはつまり、『神のようなもの』の分散してる力って、それぞれが割れた賢者の石の欠片を使って存在してるってことか?」
『そう考えられるな。……まあ彼奴を倒して全ての欠片を集めれば、賢者の石も復活するやもしれぬ』
「いやいや、そいつらをどうにかするために賢者の石が欲しいんだが! 倒した後に手に入れても仕方ねえだろ!」
正直、復讐霊やジアレイスとの戦いが終わった後に世界を変える力を手に入れても意味がない。賢者の石の恩恵を受けたいのは、あくまで「今」なのだ。それなのにまさか、敵の手に渡って破壊されていたとは。
……ならばいっそ、代替品が手に入らないだろうか。
「……賢者の石って『人間界のもの』だよな。魔界にも同じような役割のものがあるんだろ? こっちで言う虚空の記録に該当する『魔界図書館』が閲覧できるんだから、そのアイテムの在処も分かってるんだよな?」
『お前、魔界図書館のことまで知っておるのか……。確かにあるにはあるが、あれは……全なる赫は、管理者が何重もの術式を掛けて厳重に保管しておる。在処は完全に隠されていて、取り出しは不可能だ』
「管理者……あいつか」
管理者とはルガルのことで間違いない。魔界図書館の管理に並々ならぬ愛情と執着を見せていた男。
管理をルガルに任せている魔王が取り出し不可能だというのだから、実際不可能なのだろう。そもそもわずかな閲覧の痕跡も見逃さないあの魔族が、その図書館の心臓とも言えるアイテムを、自分たちに預けてくれるとは到底思えなかった。
魔界のアイテムを借りるのは諦めるほかあるまい。
「チッ、それがあれば今後の展開が楽になるのに……」
『賢者の石に該当するものが欲しいのなら、もう一つ存在するぞ』
「……もう一つ?」
『人間界と魔界以外にもう一つ別の、名もなき世界があるのだ』
「ああ、そういえば」
魔王に言われて、レオはその世界の存在を思い出した。自分は行ったことがないが、ユウトとネイが飛ばされたことのある世界。ジアレイスたちが根城を作っている場所だ。
なるほど、そこのアイテムを手に入れればいいのだ。
「そうか、そこにも世界の全てを記したデータと、それにアクセスするための鍵となるアイテムが存在するのか」
『いや、かの世界には本来あるべき理も、過去も未来も存在しておらぬ。あそこは未だ創世されておらぬからな』
「創世されていない?」
『かの世界は、創造主が創世の役割を放棄した世界だ。故に創世時に使われるはずのアイテムの力は未だ手つかずで、内包されている魔力は人間界の賢者の石、魔界の全なる赫を遙かにしのぐ。……ただ物質として非常に不安定で、扱いは酷く困難なのだが』
創造主のいない世界。だからこそ魔研の連中が倫理観のない好き勝手な研究をしているのだろうか。
その世界のルールを作らず、放棄したという創造主は一体どんな者なのだろう? 鍵となるアイテムは、今もそいつが持っているのか?
「その役割を放棄した創造主って誰なんだ? どこにいる? とりあえずダメ元で交渉しに行きたいところなんだが」
『……それは難しい。現在、かの者は生物としての形を成しておらぬからな。それにおそらく会ったところで、アイテムを持ってはおるまいよ』
「生物の形を成していない……?」
「レオにいたん」
魔王の言葉に首を傾げていると、不意にユウトが振り返った。
「ぼく、ちってゆ」
「ん?」
「そうせいのいし、むこうのせかいのうみのなかにぽーんってしてきたって」
「ぽーん……??」
どういうことだろう、この弟は目的のアイテムのことを知っているらしい。そしてこの話し方、もしやその創造主と会ったことがあるのか。これは後で話を聞かなければ。
まあだがとりあえず、その創造主の手元に創世の石とやらがないのは確かなようだ。ならば手に入れれば自分たちの自由にできるし、探せるなら探しに行きたい。
レオはそう考えて、再び魔王を見上げた。
「創世のアイテムって、見ればすぐ分かるものなのか?」
『いいや、見た目はこの剣の賢者の石の欠片のような黒い石だ。黒曜石や石炭に似ていて、ぱっと見では分からぬ。ただ普通の石と違うのは、特定の条件下で色が変わるというところだ』
「色が変わる?」
『この剣の石のように、ある程度活性化すると白く変化する。これは割られているせいでここまでだが、さらに活性が進むと濃い紅となる。故に魔界では全なる赫と呼ばれているのだ』
「……つまりそれを判別するには、魔力を注がないといけないってことか」
『反応する条件が魔力とは限らぬ。賢者の石や全なる赫はすでに創世に使われた段階で条件付けがされているが、創世の石は何に反応を示すのか分からぬのだ。手に入れればかなり強力な護符となり得るが、発見するのは困難だろうな』
「判別の条件すら分からないのか……。そりゃ面倒だな……」
たとえそれらしい石を見付けたとしても、判別して活性化できないならただの石ころと同じ。ユウトのためにもあれば便利かと思ったが、探そうと思ったらどれだけ時間が掛かるか分からない。これは諦めるしかなさそうだ。
そうレオが割り切ったところで、腕の中のユウトが手を上げた。
「とーたん、まりょくいれた!」
『うむ、そうか。よくやった。さすが我が息子』
剣にはまった賢者の石の欠片は真っ白に変化して、仄かに発光している。今度は弟が意識を飛ばすほどの魔力消費ではなかったようだ。
魔王はどこか誇らしげなユウトの頭を撫で、剣の状態を確認する。
『……我の術式と、あの男の賢者の石と、この子の魔力が上手く調和している。これだけ術式が安定していれば問題なかろう』
「地上に、戻れるのですか?」
今まで後ろで魔王とアレオンの話を黙って聞いていたライネルが、弟の隣に並んだ。
おそらく今の兄からしたら次元の違う不可解な話だったろうに、ここまで疑問を口に出さずにいたのは、この話が世界の命運に係わっていると勘付いたからかもしれない。ライネルは妙に使命感に満ちた目をしていた。
「……ここでの記憶を失ってしまうのは惜しいが、一刻も早く王宮に戻って、これからに向けて準備をしたい。この焦燥くらいは持ち帰れるといいのだけど」
「それほど意気込まなくても心配いらねえよ。兄貴はいい国王になれる」
「そうか。お前のお墨付きをもらえるなら大丈夫かな」
どうやらアレオン暗殺に始まったこの一連のやりとりで、この兄の弟への印象はだいぶ変わったようだ。信頼を置いた言葉でそう言うと、ライネルは魔王に向き直った。
「さっそくですが、地上に戻りたいと思います。此度は僕たちを助けて頂いてありがとうございました」
『気にするな。どうせお前たちはここを出れば、我のことなど忘れてしまうのだから。……ただ、その子のことは何が何でも護るのだぞ』
「……分かってる。もうどこにもやらねえよ」
実際の過去ではここでユウトと離ればなれになってしまったが、ここから先は絶対手放さない。そう誓って、レオは子供をしっかりと抱きしめる。
その腕の中で、ユウトが魔王に手を振った。
「とーたん、またね」
『うむ。お前とまた会える日を楽しみにしておる。……では、しばしの別れだ。この剣に触れるといい』
そう言って差し出された剣に、ライネルと共に触れた瞬間。
レオは、地下迷宮に張ったテントの中で目を覚ました。




