弟、転移のやり方を提案する
最近腰痛がひどく、椅子に長く座っていられないため更新が遅いです……
ユウトの言質を取ったレオが夢の終焉を確信したところで、渋面の魔王が威嚇するような一段低い声を発した。
『……おい。言っておくが、複数人を転移させるのは容易なことではないぞ。それを成すには強い集中力と多大な魔力が必要なのだ。それこそこの子が全ての力を出し切り、それを回復するまで数年の昏睡に陥るほどに』
「……数年の昏睡?」
それはかなり大きな代償だ。レオはその言葉に少々後込みする。
この小さな弟に課すには、その代償はあまりに重いのではなかろうか。
そう考えて、ふと今さらのように思い出す。
アレオンがここを出て後、次にユウトと再会するのは魔研の中だったことだ。
レオにはここを脱出した直後から、それなりに明瞭な記憶がある。だがそこにこの子の存在は微塵もなく、だからこそ魔研での出会いが最初だと思い込んでいた。
つまり今この場所でレオはユウトの記憶を失い、ユウト自体も兄の前から消え失せたわけだ。それがこの『数年の昏睡』を伴う転移の弊害であったのだとしたら。
(……ユウトは俺たちを地上に転移した後、力を使い切ってどこかで眠っていたのだろうか。そこでジアレイスたちに捕まって、魔研に連れて行かれた……?)
暗黒児として酷い目に遭わされていた弟のことを思い出し、レオはぞっとした。兄たちを助けたばかりに、この子は以前、死を望むほどの辛い思いをさせられたのかもしれないのだ。
そう考えてしまうと、夢の中とはいえもう一度ユウトにその転移を頼む気概はなくなってしまった。
本当ならこの弟を、レオが護らなくてはいけないはずだったのに。
「……その子が不利益を被るようなら、別の方法を考える」
他に解法があるとは思えないが、それでもユウトにこの過去をなぞらせるのは許せない。危険だと分かっていながら、それをさせるなんて以ての外。これはレオにとってアイデンティティとも言える、根幹を揺るがす問題なのだ。
「魔法のコントロールを誤ってもしも離ればなれにでもなってしまえば、俺が護ってやることもできない。そんなリスクを負わせるわけにはいかないからな」
『うむ、いい心がけだ。やはりこの子にそんな危険な真似は……』
「だいじょぶだよ、れおにいたん! ぼく、あぶなくないやりかたしってゆ!」
しかしユウトはレオや魔王の懸念をよそに、自信満々に言い放つ。もはやがっつり「レオ兄さん」と言っているが、舌っ足らずのおかげでそこには誰も突っ込まず、魔王とライネルはただ目を丸くした。
まあ、生まれたばかりの子供が安全な転移のやり方を知っている、などと口にしているのだから困惑もするだろう。レオとて半信半疑だ。
もしかすると兄の内心を察して強がっているだけではないのか。
そう思って探るように送った視線に、ユウトは平気でにこにこと微笑んだ。
「えっとね、じゅつしきとざひょう? それをとーたんがよういしてくれえば、ぼくのまりょくでもだいじょぶ。ほんとはばいたいに『すいしょう』か『まこうせき』がいゆけど、レオにいたんがもってるけんがつかえゆ」
「……この剣を特上魔石代わりに使うって?」
確か複数人の転移の術式を使うには、通常なら特大級の特上魔石が必要だ。しかし、ユウトはそれを呪いの剣で代用するという。そんなことができるのだろうか……と考えたところで、レオは以前クリスの報告の中で聞いた話を思い出した。
……そういえば、ジードの奴が特上魔石なしで複数人の空間転移が可能な術式を組み上げていたと言っていた。その術式に座標を読み込ませることで、狙った場所に移動することができるのだと。
おそらくユウトはクリスと一緒にその原理を聞いていたのだ。
もちろんこの弟に術式を組み上げる知識や座標を見る目はない。だが、その仕組みだけを魔王に作ってもらうことは可能。以前に大精霊も通信機を作る際の術式を提供してくれたし、ある意味託宣のようなもので、術の稼働自体をこちらがするなら問題ないのだろう。
吸血鬼一族の中でも魔力の低いジードが使える術式ならば、ユウトなら何の心配もなく使える。
なるほど、これなら確かに大丈夫だ。
「とーたん、あのね……」
ユウトが魔王にこしょこしょと術式の詳細を身振り手振りを交えて説明している姿は、愛らしい小動物のよう。その言葉に困惑しつつも、魔王の目尻が下がっているのが見て取れた。うん、分かるぞ。ユウトは可愛いからな。
『む、確かにその仕組みで術式を作れば、魔力は最低限で済みそうだが……。お前、一体どこでその知識を……?』
「え? えーとね……」
生まれたばかりのはずの子供が持つ知識に、魔王が怪訝そうな顔をする。その指摘に、ユウトが困って眉尻を下げた。さすがにジードの名前を出すのがまずいことは分かっているようだ。すでにこの時代に本人は魔界で生きているし、家柄的に魔王もおそらく存在を認知している。
さらにレオから言わせてもらえば、ジードは極悪で卑怯で狡賢いクズ野郎だ。そんな男と可愛い息子の接点を匂わせられたら、この魔王も黙ってはいまい。言わぬが吉だ。
しかし答えを待つ魔王に、ユウトはどう返事をするのか。
少々ハラハラした気持ちで見守っていると、子供は小首を傾げて上目遣いで父を見上げた。
「えっと……、とーたんのこどもだから?」
出てきたユウトの答えは、全くもって答えになっていなかった。だが可愛い。途轍もなく可愛い。可愛いは正義なのだ。
故に、魔王は即落ちした。
『そ、そうか。それなら当然か。さすが我が息子』
うん、まあそうなる。簡単にごまかされてくれる魔王に自分が重なるが、そこは気付かないふりをしておこう。
ともかくそれ以上の詮索をすることもなく、魔王はひとつ咳払いをすると、レオの方に視線を向けた。
『小さき者よ、その剣を我に』
「ああ、頼む。……これを、どう使うんだ?」
『この剣自体、元々術式を書き込んで現象を具現化する媒体となっておっただろう。だからそれを利用してやるのだ。……しばしこの子を抱えておれ。大事に持つのだぞ』
レオが剣を渡すと、魔王は入れ替わりにユウトをこちらに手渡す。言われなくても弟を大事に受け取って、ひとまずもちもちほっぺに頬ずりした。この感触は今しか味わえないのだ。夢が覚める前に存分に堪能しておかねば。
一時でも惜しいとそのままもちもちしながら、魔王に訊ねる。
「兄貴を操ってた術式は? 普通は完遂しないと消えないんだろ?」
『我の支配する空間の中では、こんな術式など意味もない落書きと同じだ。もちろん人間界に戻れば術式の効果は復活するが、ここでは我が認めぬ術式は媒体に感知されない』
「……一旦その術式を棚上げしといて、あんたが組む新たな術式を読み込ませるってことか?」
『然様。……忌々しい話だが、この剣の作り手が力ある者ゆえ、それを組み入れて対応できるに足る、媒体としての容量があるのだ』
言いつつ魔王が剣に手をかざすと、術式を書き込むパネルのようなものが空間に浮かび上がった。これは以前、リインデルでヴァルドが魔眼を使って術式を呼びだした時に見たものに似ている。
ヴァルドがしていたのは組み替えだが、魔王はここに一から構文を記入するのだろう。
「……時間が掛かりそうか?」
『いいや。構築したい術式のイメージさえあれば、魔界語で構文を組み上げるのはすぐだ。ちょっと待っておれ』
まあ確かに、魔界を作った創造主なのだから、魔界語どころか古代魔界語や術式構文のルールもこの魔王がベースを作っているのだ。それを駆使して術式を作ることなど造作もないことなのかもしれない。
宣言した通り、魔王はパネルに念写でもするように、手を滑らせながらすごい勢いで術式を記入し始めた。みるみるパネルが縦に伸び、まるでプログラミングのような字面が並ぶ。
「とーたん、しゅごい!」
『うむ、まあこのくらい、お前の父だからな』
ユウトの賛辞にドヤ顔を見せる魔王の父バカぶりをうざく感じるが、はたから見たら自分もこうなのだろうと思えば突っ込む気も失せる。
そのまま弟を撫でくり回しながら待っていると、やがて手を止めた魔王はそのパネルを一通りチェックしてから、ひとつ頷いてこちらに視線をよこした。
『……これでいい。あとはお前たちが戻る座標を指定するだけだが、その場所が重要だ。先に言っておくが、ここから出たと同時にお前たちの記憶に改ざんが入ることになる。そのせいでしばし意識を飛ばすことになるゆえ、絶対的に安全な場所を指定するがいい』
「ん……? お前たち? 記憶の改ざんが必要なのは兄貴だけじゃないのか?」
『お前には、我との邂逅については一時的に忘れてもらう。世界最強となり、その子を護るという使命だけは刻んでおくから問題あるまい。……どうせその子さえいれば、どのような経緯であろうといずれ我の元に辿り着く。その時、お前は全てを思い出すだろう』
なるほど、その魔王の元に辿り着く経緯というやつが今、このゲートの夢の中ということか。
結局魔王に関しての記憶はアレオンもライネルも、魔王本人に消されていたわけだ。……ただ、レオの中のユウトに関する記憶を消したのは、どうやらこの男ではないらしい。やはり当時の無理な転移による記憶改ざんの弊害があったのだろう。
結局はこの兄の腕の中に戻ってきたとはいえ、一度でも弟の手を放していたことが、記憶をなくしていたことが、途轍もなく悔しい。
もう二度と放さんと決意を新たに、レオは弟の小さな身体を抱きしめた。
とりあえず、今回の術式では当時の二の舞にはならないはずだ。戻る座標さえ誤らなければ、ユウトと離れることはない。
魔王の言う通り、ここでは座標選びが重要だった。
下手に父王やジアレイスの息の掛かった者に最初に見付かると、命が危ない。そして王宮にはそういう人間が数多はびこっている。さてそれらを回避するとして、ではどこに座標を指定するか。
……と言っても、どうせ自分たちにとっての安全な場所など、王宮では一・二カ所しかないのだが。




