兄、ライネルを説得する
周囲の景色が、元いたアレオンの部屋に戻る。
すると途端に剣の切っ先が鼻先をかすめた。……身構えてはいたものの、やはりこのアレオンの身体では反応が遅い。それをレオは脳内で計り、元々の感覚とのタイムラグを修正する。うまく事を運ぶためには、自分の身体が稼働可能な範囲を理解しておく必要があるのだ。
勢いのままに向かってくる二振り目の兄の剣先を、今度は最小限の動きで余裕を持って避ける。それにたたらを踏んだライネルから少し距離を取って、レオはふっと小さく息を吐いた。
幼い身体は体力も肺活量も少ない。無駄な動きをすればすぐに息が上がってしまう。呼吸にも気を付けなければ。
「……アレオン! 突然消えたと思ったら、どこに行っていたんだ!? ……いや、それよりも何故戻ってきてしまったんだ! そのまま逃げ果せれば、お前だけでも生き残ることができたのに!」
レオの視線の先で振り向いたライネルは、弟に向かって剣を構え直しながら痛嘆する。
今の二振りは唐突に現れたアレオンに反応した剣に操られて、堪える暇もなく攻撃する羽目になったのだろう。こうして対峙すれば、再び兄はその術式に抗った。
「……お前、歩けるのか!? ならば僕が堪えられる今のうちに、どうにかしてここから逃げ出して……」
「兄貴、剣を鞘に収められるか?」
ライネルの言葉は無視をして、レオは単刀直入に訊ねる。口調がすっかり戻ってしまったが、まあ問題あるまい。ここでアレオンに寄せておどおどして見せてももはや意味がないのだ。
それよりも今必要なのは兄を従わせる説得力。これにはレオ本来の、強者の態度の方がいい。
そうして口調を変えた弟に、ライネルは少し困惑気味にしながらも言葉を返した。
「け、剣を収めるのは無理だ。僕の意思では抗えない」
「……なら、鞘だけベルトから外すことはできるか? できたら俺の方に投げてよこして欲しいが、無理ならその場に落とすだけでもいい」
「鞘を……?」
レオの問いに、兄は切っ先を弟に向けたまま剣から片手を外した。その肩から腕にかなり力が入っているのは、それなりに術式の抵抗があるからだろう。しかしライネルは歯を食いしばり、そのままベルトのホルダー金具に手を掛けた。
「外す、だけならいけそうだ……!」
とりあえずアレオンを殺す目的から逸れた行動に対しては、いくらか緩みがあるようだ。ホルダー金具で固定された鞘をレオが引っ剥がすとなるとだいぶ難儀だが、自分で外してくれるならそれだけで十分助かる。レオはすぐに次の行動へと頭を切り換えた。
一度鞘を落としてしまえば、剣に掛かった術式がそれを拾う指示を出すわけもない。あとはレオが鞘を拾い、どうにかすればいい。
ゴトリと硬い音を立てて鞘が床に転がるのを確認して、レオは兄に対して半身の構えを取った。
「よし、それでいい。あとは俺が何とかしてやる。兄貴はもう堪える必要ないぞ。剣の赴くままに来い」
「……アレオン……!? 護身術を習ったこともないお前に、何とかできるわけがないだろう!」
「うるせえな、問題ねえよ。それより下手に兄貴の意思が入ると動きを計りづらくなるんだ。いいから俺を殺す気で来い。殺気が乗ってる方が剣筋が分かりやすいからな」
言いつつ、レオは目線だけで鞘とライネルと卵の位置を計る。
卵はさっきまでアレオンが寝ていたベッドの上だ。あそこなら隣に兄を蹴り飛ばしても大したダメージにはならないだろう。
「来いよ、兄貴。安心しろ、今の俺はあんたより強い」
「……アレオン……? お前、本当にアレオンなのか……?」
「俺が何者かなんて今は関係ないんだよ。……いや、兄貴にとってはアレオンじゃない方がやりやすいのか? 面倒くせえな、なら弟に憑依したやべえ奴だとでも思って掛かってこい」
「くっ……!」
レオの挑発に堪える力が緩んだのか、兄が剣を振り上げる。相変わらずぎこちない大上段。国を治める自覚をして以来は知識を入れることに注力していたせいで、ライネルの剣技はど素人だ。
全く腰が入っておらず腕の力だけで振られる剣は、今のレオにとって何の脅威でもない。
軸のない状態で思い切り振り下ろされた剣をするりと避ければ、その勢いに体勢が揺らいだ兄はすぐにたたらを踏む。
その隙に場所を入れ替えて、レオはまんまと鞘を拾った。それを素早く握り直し、剣のように構える。一応これも復讐霊が作った鞘だ。あの剣を相手にしたからといって、容易く壊れることはないだろう。
「これで俺が兄貴に負けることは万が一にもない」
ライネルの剣を鞘で受け流すのは簡単だ。その剣の重心を操れば、卵の近くに兄を誘導することも可能。
そうして自信満々に相対して見せると、ライネルは軽く目を瞠った後、薄く笑みを刷いた。
「……よく分からないことばかりだけれど、お前の言葉がハッタリでないことは分かる。その構え……どこで剣技を覚えたのか知らないが、イレーナと同じ空気を感じるよ」
現在冒険者ギルドの長を務めているイレーナは、元々レオに剣技を教えた師匠だ。構えが似ていて当然。この頃の彼女は王宮の騎士の教官をしていた。その構えを、ライネルも知っていたのだろう。
この兄は剣の才はなくても、王宮で数多の臣下と接し、人を見る目は肥えている。
突然態度と口調の変わったアレオンに困惑していたけれど、こうして一人の人間として今の弟を見れば、猛者の風格。その言葉が信頼に値すると、ようやく納得したようだった。
「ここからは、お前に委ねていいんだな……?」
「ああ。任せておけ」
まだ声変わりもしない子供の声で、子供らしからぬ落ち着き払った声音で請け合う。
それにライネルは小さく息を吐くと、一度頷いて剣を構え直した。
「では、頼む!」
言うなり、今度はスムーズに剣の切っ先がアレオンに向く。兄が剣に抗うのを止めたのだ。それでいい。
どうせ振られる剣の軌道は単調で、力加減も一辺倒。それでも攻撃を受け止めれば体力を削られるから、最低限の軽い力で左右に受け流す。
そうしていなしを駆使して移動しながら、レオはライネルを卵のあるベッドの近くに誘導した。
次はこの鞘を剣に被せる、そのタイミングを計らねばならない。
さすがのレオも、振り回される剣に鞘を被せるのは至難の業。
ならば止めさせればいいのだが、ライネルが剣に抗って、ぶるぶると小刻みに震えている状態も結構危ないのだ。剣に兄の意識が行っていると、その分術式の影響も受けやすい。アレオンが近付きすぎた場合、ライネルが疲弊して、事を成す前に抗いきれなくなるリスクがあった。
だから今はじっと無理をせず、そのタイミングを待つしかない。
兄の意識が剣から逸れ、その動きが止まる瞬間を。
しかしてその瞬間は、それほど時を待たずして訪れた。
爆発音と共に地鳴りがして、その振動で周囲が大きく揺れ動いたのだ。天井や壁に亀裂が入り、瓦礫がバラバラと落ちてくる。
来た、とレオは持っていた鞘を握り替えた。これはジアレイスが上層で地下迷宮の爆破を始めたのに間違いない。
「な、何だ!? どうしたんだ!?」
当然だが、このことを知る由もないライネルは、突然のことに驚き動きを止めた。これこそが、レオの待っていた瞬間だ。
その視線も意識もアレオンから外れた一瞬。レオはそれを狙い澄まし、素早く剣を鞘に収めた。それにすぐに兄も気付いたけれど、もう一度剣を鞘から抜かれる前に、その腹に蹴りを入れる。
「悪いな、兄貴! 大目に見ろよ!」
「う、わっ!?」
今のアレオンの蹴りなど大した威力でもないが、後ろにベッドがあるせいで、ライネルは踏ん張ることができずにベッドの上にひっくり返る。
レオはすぐさまそこに乗り上げて、バンザイしてしまった兄の空いた片手をむんずと掴み、卵に触れさせようとした。
それと同時に、天井が崩れ落ちて来たけれど。
「うわぁ! 潰される……っ……て? え? ここは……どこだ?」
『うむ、間に合ったな。よくやった、小さき者よ』
「あっぶねえ、こんなに早く崩落すると思わなかった……。ジアレイスの奴、どんだけ爆薬仕掛けたんだよ……」
間一髪、レオとライネルは魔王の待つ卵の中に避難することができたのだった。




