兄、自分に似た男と邂逅する
卵の殻に剣を受けたその衝撃を感じたレオだったが、腕に強い負荷が掛かる前に、唐突に視界が転換した。
目を開けているのに目の前が真っ白になって、一瞬視力を失ったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。ぐるりと首を巡らしてみれば、自分がカプセル状の白い密閉空間にいるのだと分かった。
……これはもしや、卵の中か。
さっき手にしていたはずの殻はいつの間にか消え去っている。そしてこの空間を外界と仕切る壁は、その質感と同じもののようだった。
ユウトの入っていた卵の大きさに比べて格段に広く感じるが、空間が調整されているだけで、おそらく間違いないだろう。
アレオンは、卵の中に匿われたのだ。
ユウトが見当たらないことだけが気になったけれど、事が正しく進んでいるならあの子供は最後まで無事でいるはず。まずは自分が正解を掴んで行くことが最重要だと、レオは心を引き締めた。
今この真っ白い空間には自分一人しかいないが、おそらくここにあの科白の主が現れるはずだ。数少ないアレオンの過去に引っ掛かった、記憶の欠片の相手が。
そして、ここに現れるであろうその人物が何者であるか、レオは何となく予想が付いていた。というか、この状況で他にこのような芸当ができる者が思い当たらなかった。
その存在は明言されながら、これまで行方の分からなくなっていた相手。
これはもはや確信に近い。ここでの彼との邂逅こそが、レオの人生を大きく変えた転換点。
やがて、ほぼ時を置かずに空間の歪む気配がした。
現れるのだろう、おそらく……魔王が。
人間界は大精霊の領域、そこでディアたちの手を離れてしまい取り残されたユウトの卵を、別世界の創造主である魔王が息を潜めつつ密かに護っていたと考えるのは想像に難くない。
ルガルたちが魔界で気配を見付けられないと言っていたのもそのせいだ。きっと魔王はここでレオと話をした後、魔界に戻ることなく、この場で……。
『……小さき者よ』
レオの思考を断ち切るように、目の前の何もなかった空間に、それは一瞬の閃光を伴って現れた。
黒髪に、青み掛かった黒い瞳、そして真っ黒い角と翼を持った男。大精霊と違ってペンダントなしでも見えるのは、この空間が特異だからだろうか。
中空に浮遊するその姿を一目見て、レオは目を丸くした。
(似てる……)
誰にって、レオ自身にだ。
もちろん細かい造形は違うが、雰囲気や目つき、体格が似ている。声も似ているかもしれない。
大精霊が初見からレオを「いけ好かない」と言っていたのは、もしかしてこのせいか。
『小さき者よ』
再び声を掛けられて、レオははたと我に返った。そうだ、今はそんなことより正しい答えを導くことが重要。
レオは軽く居住まいを正すと、その姿を正面に見据えた。
「……あなたは?」
『我はこの子を護る者だ』
そう言った男の腕の中に、ふわりとユウトが現れる。外界から引き入れてくれたのだろう。その無事を視覚で確認できてほっとする。
未だ意識を飛ばしたままだが、この間に負った怪我などはなさそうだ。
それを大事そうに抱えた魔王は、自身のことをそれ以上説明する気はないらしい。すぐに話をレオに戻した。
『小さき者よ。よく聞け。お前の存在はこの世界にとって脅威であり、また救いでもある。ただ、このまま生かすには危険の方が遙かに大きい』
「俺が脅威……。『神のようなもの』を憑依させることができる体質だからですか」
『そうだ。其奴がお前に憑依をして実体を得ると、おそらくこの世界は滅ぼされる。そして対である魔界もな。そのような危険の芽は摘んでおかねばならぬ』
男は端的にレオの存在の危険性を語る。
さも、アレオンを生かしておくことはできないような物言いだ。
だがレオは、これがブラフだと知っている。どんな条件か分からないが、おそらく次に来る魔王の提案に乗ることでこの危機を脱することができたのだ。
『しかしお前の選択次第で、状況は一変させることができる』
「……選択次第で、俺は生きて世界の救いになると?」
『お前だけで成せることではないが、その一助となり得る。……小さき者よ、生きたいか?』
ほら来た。とりあえず予想通りに進んでいることにレオは安堵しつつも、次の言葉を待つ。
この言葉こそが、辛うじて引っ掛かっていた過去の記憶の一部。その後ろには、どんな条件が提示されるのか。じっと見つめるレオに、魔王は無感情に言い放った。
『生きたいのなら、その身体を我に捧げよ』
「……は?」
その意図を一瞬計りかねて訊き返す。
こんなガリガリで力のないアレオンの身体など、魔王にとって何の役にも立つまいに。
……だが、当時のアレオンはおそらくこれを受け入れたのだ。
その結果、自分の身体はどうなったのか。そう考えて、レオは魔王が何か言葉を発する前に、自ら答えに行き当たった。
「……もしかして、俺の身体にあんたが憑依するってことか!?」
つい、地のしゃべりに戻ってしまったが、それを気にしている場合ではない。これは、レオのアイデンティティが根底から崩れるかもしれない事態だからだ。
そういえばこの一年後、アレオンが八歳の頃には体調はすっかり回復し、イレーナの剣術指南を受けていた。その脅威の復活はアレオンの自力ではなく、魔王に身体を明け渡したからだったのか。
いや、それに関してはこの際どうでもいい。
問題はレオの思考が、記憶が、心が、本当に自分のものなのかということだ。これらが全て憑依した魔王によって作られたものだったとしたら。
ユウトを何よりも大事に思うこの気持ちが、最初から魔王によって設定されたものだったとしたら。
レオは、レオでいられなくなる。
「憑依をされたら、俺は俺でなくなる! そんなの、死んだのと同じじゃないか!」
もしかすると、今がもうその状態かもしれないのだ。己は本当にアレオンなのかすら、今の自分では分からない。
正体不明な恐怖のようなものにじわじわと心を支配され、身体の負担を考えずに激昂するレオに、しかし魔王は平然と応じた。
『我はお前のような小さき者に憑依している暇などない。ただ「彼奴」がお前に憑依する前に、我が先に力を注いで入り込む隙間をなくしてしまおうというだけのことだ』
「……力を注ぐ? ……憑依するのとは違うのか……?」
『違う。だからお前の自我は保たれる。影響を与えるのは身体だけだ。そも、我が一介の人間に憑依することは禁忌である』
その言葉で、レオは一旦脱力する。
そう言えば大精霊がネイに憑依した時も、禁忌ゆえにペナルティを食らっていたのだった。本来の創造主は神託を下ろすことはあっても、自ら力を奮うことは禁じられているのだ。
ならば問題はないか。とりあえずアレオンという人間の存在だけは担保できたことに安堵する。
しかし続いた魔王の言葉で、レオは再び凍り付いた。
『ちなみに身体を我に捧げることは、その命もこちらで握るということ。今後お前は、自らの意思で生き死にを選べる権利はなくなるのだ』
「自分の生き死にを選べない……?」
それはつまり、現実世界のレオはすでにその状態だということ。
レオの生殺与奪の権利は、魔王の手にあるということ。
思わぬ事実に、レオは言葉を失った。




