兄、正解の展開を探る
小さな手がライネルの指を握りしめる。
すると、たちまちユウトの浄化の魔力が広がった。
霊圧のようなものが赤子の身体から周囲に向かって放出され、部屋全体を清廉な空気が覆う。それに驚いたライネルがとっさにユウトの手を振り払って、大きく飛び退いた。
「ユウト!」
振り払われてベッドの上にころりと転がったユウトを再び自身の腕の中に取り戻す。その身体がくったりと力がないのに気付いて一瞬どきりとしたが、どうやら赤子の姿で急激な魔力放出をしたせいでガス欠を起こしただけのようだ。
それにほっと息を吐いて、今度は兄の方に意識を向けた。
「……兄さん」
レオたちから距離を取ったライネルは、片手に剣を持ったまま、もう片方の手で頭を押さえ俯いている。こうして見ただけでは、その悪心が去っているのかどうか、確認するのは難しそうだ。
下手な刺激をしない方がいいかと黙って様子を窺っていると、やがてライネルが苦しげに唸った。
「くっ……、終わりだ、全て……」
言いつつ、宝剣を両手で握りしめて構え直す。その切っ先は、再びアレオンに向けられた。
……まさか、浄化が不完全だったのだろうか。しかしやり直そうにも、頼みの弟はすでに意識がない。
まずい。ユウトの言動からしてこれが正解の展開だったはずなのに、どこで間違った?
ここから逆転する力を、アレオン自身は持ち合わせていない。どうするべきか考えあぐねていると、ようやく顔を上げたライネルが絶望を滲ませた表情を見せた。
「すまない、アレオン……! 父上にはめられた……!」
「……兄さん? いつもの兄さんに戻ったの……?」
「……その子のおかげで戻ったのは意識だけだ。僕の身体は今、剣に施された術式に操られている……っ」
そう言ったライネルの剣を持つ手が小刻みに震えている。おそらく兄が懸命に術式に抗おうとしているのだ。だがその表情を見るに、最後まで抗いきれるものではないのだろう。
それも当然か。その剣自体が、神に匹敵する力でもってエルダール王家を従えるために呪いが施された物なのだから。
「……その剣を放せば術式は解けるんじゃないの?」
「無理だ。この剣は僕が生きている限り、目的を果たすまで放すことができない。お前を殺すか、僕が死ぬか、もしくはこの剣自体を破壊しないと……。だが、どれも八方塞がりだ! この剣の破壊は人間には不可能だし、僕たちは遅かれ早かれ近いうちに二人とも死ぬ!」
「……確かに、兄さんが死んでも俺はここから逃げる術がない。父さんの別の刺客が来て、兄さんに罪をなすりつけた上で俺も殺される。そして、兄さんが俺を殺しても、『神のようなもの』の怒りを買って、兄さんも殺される……」
「そうだ! 父上はお前が死ぬことで『神のようなもの』から買う怒りの矛先を、僕に向くように仕向けたんだ! 立皇嗣の儀式も、そのための布石にすぎなかった!」
術に抗うために力が入っているせいもあるだろうが、ライネルは珍しく激高しているように見えた。
……なるほど、この兄が父王をひどく憎んでいた理由は、おそらくこれを発端としている。国を顧みることなく、自己の保身のためだけに息子二人を簡単に犠牲にする父を、本来高潔な志を持つライネルが許せるはずがないのだ。
「父上がアレオンを亡き者にしようとしていたことは知っていた! だが、『神のようなもの』はお前がある程度大きくなるまでは、何が何でも生き長らえさせろと命じていたはずなんだ! だからそれを逆手に取れば、どうとでも言いくるめてお前をここから出してやれると思っていたのに……!」
「でも父さんは、僕を死なせる罪を全部兄さんにかぶせて、自分の国王としての座を守った……。どうせ子供なんてまた作れば良いぐらいに思ってるんだろうね」
兄とは違って父に何の期待も感情も抱いていないレオは、やはりそうかと内心でため息を吐いた。
復讐霊による精神的な汚染をされているにせよ、こんな父親の血を継いでいるかと思うとうんざりする。だがその思いは、王家の跡取りとして自覚が芽生えたライネルの比ではないだろう。
兄はその額に大粒の汗を滲ませながら、顔を顰めた。
「弟一人を護れぬ僕に、国を護る資格はなしか……! すまないアレオン、不甲斐ない兄を許してくれ!」
齢十三にしてこの覚悟を持つライネルを、ここで死なせて良いわけがない。この世界の本当の『神』、大精霊は何をしているんだ。
……ああ、そういえばこの頃はランクSSゲートにディア共々囚われているんだったか。クソ、役に立たん。
レオは一度ユウトを抱え直してから、ちらりとベッド下を見た。
……もしかすると、これが防御に使えるかもしれない。
ここに来て、レオはこの展開こそが正解なのではないかと考え始めていた。
そうでなければ、兄が父にこれほどの憎悪を募らせる機会などないからだ。
それにそもそも生まれたばかりの赤子のユウトが、復讐霊が作り上げた血の契約の剣を浄化できるとは思えない。今回は十八歳のユウトが入っていたけれど、当時は本当にただの赤ん坊。魔力の最大値は変わっていないだろうし、今と同じようにガス欠を起こして眠ってしまったはずだ。
つまり、当然だがユウトが思い出したのは目が覚めている時の記憶だけ。この子は自分が意識を飛ばしてから何が起こったかなんて知らないのだ。
おそらくはその後にアレオンとライネルがこうして対峙して、この状況を覆したに違いない。ならば冷静に状況を判断し、正解をたぐり寄せてみせる。
実際、現実世界ではライネルは悪心を払い、賢王としてエルダールに君臨しているのだ。きっとレオ次第で突破口は開ける。
(俺と兄貴が生きているんだから、ここでどうにかすべきなのはあの剣だ。……現実世界では王家に置いてあるとは思えないが、今はどこに行っているんだ? ここで破壊できた? ……いや、それはないか)
非力なアレオンがあの剣を破壊できるとは思えない。というか、人間には破壊できない。何かできる可能性があるとすればユウトだが、この子供は未だに意識を飛ばしたままだ。
ではどうやってあの剣の呪縛からライネルを解き放った?
そうして考え事をしていると。
「アレオン……っ、頼む、避けてくれ!」
術式に逆らいきれなくなったのか、兄が両手で構えた剣を振り上げた。そのまま飛び掛かって来ようというのだろうか。
隙だらけの大上段、本来のレオなら軽々と避けられるところ。しかしベッドから降りて歩くのもままならないアレオンの身体では、それは不可能だ。
ならばこれしかあるまいと、レオは背後にユウトを隠し、ベッドの下に手を伸ばした。
そうして手にしたのはユウトの入っていた卵の殻だ。
卵は内側からの力に弱いが、外部からの衝撃には強い。その上、アレオンにも扱える軽さだ。
それに、卵を丁重に扱っていたレオにはその強度は分からないが、父王とジアレイスがわざわざ魔法研究機関に処分させようとしたということは、剣や棍棒では割れなかったということ。おそらくその辺のバックラーよりよっぽど防御力があるはずなのだ。
そして何より、これを造ったのは人間界と魔界を統べる二人の創造主(+精霊使い)。復讐霊の作った剣に対抗しうるアイテムはこれの他に見当たらないし、当時の事情を知らない非力なアレオンが手にするなら間違いなくこれ。
レオは正解を信じ、卵の殻を盾のように構えた。
(……棒きれみたいに細い腕だが、せめてこの攻撃をいなすくらいは保ってくれよ)
ここまでくれば、どちらかと言うと殻の耐久性よりも、それを支えるアレオンの体力の方が問題だ。おそらく耐えられて一撃。
しかし当時の状況も同じだと考えれば、この一撃で何か展開が変わるに違いなかった。レオにはそんな確信があるのだ。だってまだ、幼少期の記憶の端に引っ掛かっているあの科白を聞いていない。
「く……っ、本当にすまない、アレオン!」
両腕を振り上げたまますぐ側まで来たライネルが、苦し紛れに卵の殻で身を守ろうとするアレオンを不憫に思ってか謝罪をした。見上げた兄の顔は苦悶に満ちている。
まだこんな歳で、父の裏切りと絶望、血に抗えぬ自分の無力感、弟を手に掛ける罪悪感に苛まれているのだ。それでも自身の感情の吐露よりもアレオンへの謝罪の言葉を優先するライネルに、レオは内心で苦笑をした。
この段になっても相手を慮る精神は間違いなく賢王の資質。復讐霊に汚染されたエルダールを復興させるには、やはりこの兄がいなくては。
「気にすんな、兄貴。俺がここから逆転してやる」
「……アレオン?」
いつものレオに戻って不敵に宣言する。
それに驚いたライネルの腕が、次の瞬間アレオンに向けて振り下ろされた。




