兄弟、馬車に乗る
ユウトが杖の扱い慣れた頃、若旦那がまた隣街に仕入れに行くというのでその馬車に同乗させてもらい、村を離れることになった。
「短い間でしたがお世話になりました。また来ますね」
見送りに出てくれた村長にお辞儀をする。
その丁寧な所作に、彼は優しく微笑んでくれた。
「ああ、また来い。待ってるからの。お前さんなら、きっと次に会う時はずっと強くなっておるだろう」
「どうでしょう。でも、『成せること』をいっぱい増やして来ようと思ってます」
「うむ、良いことだ」
頭をわしわしと撫でられる。兄とは違う遠慮のない力加減で、また髪をぐちゃぐちゃにされた。
その手が離れるとすぐに後ろから手が伸びてきて、ユウトの跳ねた毛が整え直される。
振り返った間近には、しっかりと鎧を身にまとったレオがいた。
「村長、頼んでいたものはできていますか」
「おお、兄さんか。もちろんできておるよ。身分保証の書状2通だな」
「身分保証?」
書簡を受け取りポーチに入れる兄に問いかける。
「新しい街に入るには検問を受ける必要がある。その時に身元の分からない人間は簡単に入れてもらえないんだ。これがあれば俺たちの保証は村長がしてくれるから、簡易の検査で入れる」
「ああ、なるほど」
「お前さんたち、冒険者ギルドに登録するんだろう? 必要であれば、ギルドへの推薦状も用意してやるぞ。兄さんがいるなら下位ランクすっ飛ばして、パーティランクBくらいから始められると思うが」
「いえ、この2通で十分です。ありがとうございます」
村長の申し出を断ったレオは、取引先にするような一礼をしてからユウトに向き直った。
「そろそろ行くぞ。馬車に乗る前にこれを飲んでおけ」
「酔い止め薬……こんなのまで持ってきてんの?」
「エアークッションもあるから車中ではこれに座っていろ。あと膝掛けと、冷めにくいマグカップと……」
「えええ、いらないよ。日本からそんなもの持ってくるくらいなら、自分の替えの下着入れて来たら良かったのに……」
「下着など気合いでどうにかなる」
「気合いなの?」
よく分からない根性論で話を締めた兄に連れられて馬車に向かう。
幌の付いた馬車には、若旦那を含む村の者3人と、ユウトたちが乗った。荷物を積むのが目的の荷台なので、もちろんただの板張りだ。
1人は御者席に座り、他は荷台に思い思いに座った。
「忘れもんはねえな? じゃあ出発するぞ!」
若旦那の号令で馬車が動き出す。
ユウトたちは村人に見送られながら、テムの村を後にした。
出発して30分もたたないうちに、ユウトはエアークッションを尻に敷いていた。
そんなものいらないとか言ってごめんなさい。これがなかったら尾てい骨砕けてたかも。ビバ、エアークッション。お前は神か。
舗装されていない道に、金属と木でできた車輪。衝撃吸収のための板パネは、あまり意味を成していないようだ。内蔵揺れるわ骨に響くわで半端ない。これに比べれば日本の路線バスって、実は王族の乗り物だったのかもしれない。
村人たちはさすがに慣れているのか、定期的に体勢を変えたり立ち上がったりしてやりすごしている。
ただ、兄だけは弟の隣で幌に背をもたれながら目を閉じ、微動だにしなかった。
もしや尻の痛みで昇天してるんじゃなかろうか。
気になってその頬をつつくと、ちらりと視線を向けられた。
「どうした」
「レオ兄さん、お尻痛くないの?」
「お前よりは筋肉が付いてるからな」
そういうものなんだろうか。まあ、この兄が弱みを見せたところなんて見たことがないけれど。
「座る?」
エアークッションを指さして訊いてみる。
「じゃあそれに座った俺の上にお前が座るか」
「え? 膝抱っこ? 駄目だよ」
「駄目か」
「兄さんと座ったら重さでクッションが破裂しちゃうよ」
2人のやりとりを聞いていた村人たちが、駄目な理由がそれでいいのかと複雑そうな顔をしたが、口に出す者はいなかった。
代わりに若旦那が揺れる車内で大きく伸びをし、口を開く。
「出発してからそろそろ3時間だな。もうすぐ水場があるから少し休憩するか。御者も交代しよう」
「若旦那さん、あとどのくらい掛かるんですか?」
「休憩したあとさらに3時間てとこだ。夜になると魔物がうろうろしだすから、夕方には馬車を止めて火をたいて、明日の朝まで野営する」
隣街に着くのは明日の昼間だという。移動だけでかなりの体力の消耗だ。彼らはこれを毎月2回往復するというのだから尊敬する。
しばらく行くと、馬車が轍のある道から逸れて小川のほとりに止まった。馬に水を飲ませている間に、全員が馬車の外に出る。
水を汲みに行ったり、ストレッチをしたりとそれぞれが動く中、ユウトもレオを伴って水辺をのぞきに行った。
「水、綺麗だね」
「涌き水だ、今のうちに水筒の中の水を入れ替えておけ。ここでは水道水のような塩素が入ってない分、水とはいえあまり長く保存はできないからな。容器の滅菌もしていないし、機会があれば水の入れ替えはマメにしろ」
「うん、わかった」
兄の言葉に従って水筒の水を入れ替える。ついでに掬って飲んでみると、冷たくて美味しくて、少しだけ気分がすっきりとした。
「身体は大丈夫か。お前は細いから心配だ」
「僕よりレオ兄さんとかみんなの方が心配だよ。衝撃すごいよね、座骨が削れそう。絨毯か何かあれば負担も減って、もっとくつろげるんだろうけど」
「……そうか、絨毯か」
ユウトが言うと、レオは何かを思い立ったように馬車に歩いて行った。そして圧縮収納ポーチをあさる。
「どうしたの?」
「ユウトがくつろげそうな、手頃なサイズの敷物があるのを思い出した」
言いつつ、何か黒いものを取り出す。
一見小さく見えたそれは、ポーチから出た途端思わぬ大きさにふくれた。幌馬車の荷台をゆうに埋め尽くす大きさだ。
「これ、敷物?」
「敷いておけばユウトも同じ姿勢でいなくて済むし、横にもなれるし楽だろう」
「ん? お前ら、何して……え? これ殺戮熊の毛皮の稀少部位じゃねえか!? こないだの五ツ目のよりでけえ!」
「あ、若旦那さん。これ絨毯代わりに勝手に敷いちゃったけど大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫って、おま、それ、超高価な上級素材なんだけど!? それを敷物扱い!?」
レオが敷いたものを見た若旦那がプチパニックを起こしている。
しかしその価値がよく分かっていないユウトは首を傾げた。
「兄さんはこの間のゲートの中で他にも何枚か手に入れたから気にしないみたいです」
「こ、これを何枚も……。マジか……」
「せっかくだから、荷台の大きさに合わせて切っちゃいましょうか」
「うわっ!? ばか! 待て! 止めろ! ナイフしまえ! 素材の価値が下がる! そのままでいい!」
「そ、そうですか?」
すごく焦った様子でたたみかけられて、ユウトは素直に引き下がった。とりあえず、敷いておくのは構わないみたいだ。
「若旦那、そろそろ出発……うおっ!? 何この高級な敷物!」
「こ、これ、乗って良いんすか……!? やべえ、緊張してちびりそう……。靴脱ご……」
他の村人もやってきて、やはりキョドる。それでもユウトとレオが平然と乗ってしまうと、恐る恐るといったていで続いてきた。若旦那も妙に緊張した足取りで乗ってくる。
「よ、よし、とりあえず出発」
何となく固い声で若旦那が指示を出すと、ゆっくりと馬車が動き出した。するとすぐに分かる、毛皮の効果。それはおそらく、荷台にいる全員が感じた。
「すげえ、全然振動がこねえっす」
「殺戮熊の毛皮は密度が高い上に毛足が長くて固えから、ちょうどいいクッションになるんだな。保温と撥水の効果があるし、防具の素材以外にもラグなんかに加工されることがある。元々敷物に向いた素材なんだろ」
「稀少な上にこの効果があるなら、高くもなるなあ~」
確かに、これがあれば馬車旅がぐっと楽になりそうだ。
エアークッションが不要になったので、ユウトはそれを御者の村人にあげた。
「この毛皮、加工されてない素材のままなのに獣くさくないね」
「迷宮で見つけた強力消臭剤をふってある」
「あ、消臭剤ってこういう時使うんだ」
「夜になると、素材に付いた血の臭いに誘われて寄ってくる魔物もいるからな」
なるほど、村や街以外ではそういうことにも気を回さないといけないのか。
「今日は魔物がいる中で野営するんだよね。夜中にいきなり襲われたりしないのかな」
「心配すんな、この辺の魔物は炎に弱いからな。一晩中ずっと火を焚いてればそうそう近寄ってこねえよ」
ユウトの質問に、向かいで胡座をかいていた若旦那が答える。
「一晩中ですか」
「ああ。焚き火の番は交代制だ。お前らにも手伝ってもらうぞ。明日の御者は休ませるから、4人で2時間ずつ回す」
それならみんな6時間は寝れる。問題はないだろう。
「見張りん時は、もし近付いてくる魔物がいたら俺たちを呼べ。馬を守ったり火を守ったりで1人じゃ対応しきれないからな」
「分かりました。……ちなみに、炎があっても近付いてくるような魔物って、どんなやつがいるんですか?」
「虫系の蛾の魔物。炎に弱いくせに寄って来んだ。麻痺効果のある鱗粉を持っててな、まあとにかく厄介なんだ。倒すと素材で麻痺毒が手に入るのはありがたいんだが」
「麻痺か……粉被らないよう気を付けます」
蛾の魔物自体はそれほど強そうではないが、確かに動けなくなると厄介だ。焚き火の番もできずに火が消えてしまったら一大事。もしも遭遇した時の対策を今から考えておこう。