兄、弟の思惑を知る
「ユウトくん、もしかしてウロの中にアイテムで直接攻撃しようとしてるのかい? 木魂が灯ってるから、攻撃は何であれ弾かれる可能性があるけど」
「はい、分かってます。攻撃は反射されるんですよね。でも逆に、攻撃じゃなければ行けるかもと思って」
トレントに感知されない微量な魔力で、ユウトはアイテムをウロに近付ける。離れていてもその操作精度は高い。
その穴の前でことさら慎重に魔力の操作をしながら、ユウトは自分の見立てを口にした。
「一応魔法薬ですけど攻撃成分は全く入ってないし、含有魔力量も少ないから多分大丈夫。……あとは、トレントが『筋肉』を使って最初に傾いだ身体を立て直してくれれば……」
「含有魔力量が少ない魔法薬……?」
魔法薬と言ってもピンキリだが、敵が感知しないほど含有魔力量が少ないということは、その辺の雑貨屋で買えるようなかなりランクが下のアイテムだ。そんなものがランクSSSの魔物に通用するのだろうか。
それに、必要アイテムは魔工翁の店などで揃えたはずなのに、そんな低ランクの魔法薬を何でユウトが未だに持ち歩いていたのかが分からない。
しかし弟の言葉を今一度頭の中で反芻した兄は、『筋肉』という単語で、はたとユウトがかたくなに手放さなかった迷惑千万なクソ魔法薬を思い出した。
「……もしかして、筋肉増強剤か?」
「うん、そう。……よしっ、行けた!」
ユウトの思惑通り、攻撃力のある危険物として判別されなかった筋肉増強剤が木魂をすり抜ける。トレントが視覚を備えていないことも幸いしたようだ。
そこでレオもようやく弟のしようとしていることを理解した。
「そうか、トレントの筋繊維を肥大させる気か……!」
「えっ、筋肉増強剤なんて投与したら、敵がさらに強くなっちゃうんじゃないの?」
側で聞いていたクリスが目を丸くする。
確かに、上質な筋肉増強剤は全身をバランス良く強化させ、筋肉だけでなく支える骨格にも作用する。それこそ対象を増強するだけの薬だ。その懸念も当然だろう。
しかし、今ユウトが使う薬は違う。
だいぶ前に筋肉にあこがれる弟が兄を説得して買った、旧パーム工房製の粗悪品だ。
「問題ない。あの筋肉増強剤は十秒も効かない上に、投与して最初に動かした筋肉しか肥大しないんだ」
「十秒も効かない? それ、欠陥品じゃないのかい? ……でも、そうか。筋肉しか肥大しないってことは、つまり……」
「中央の心材だけが一気に膨張する、ってことだ」
そう、ユウトの狙いはこれだ。
固い辺材はそのままに心材だけ膨張すれば、その圧力は急激に外側へ向かう。
外からの攻撃に対する防御しか想定していない強固な鎧は、内からの力のベクトルには対応できないだろう。そうなれば、辺材は内圧に耐えきれず破壊される。
その思惑に、ネイが感嘆の声を上げた。
「なるほど、そういうことですか! これからトレントが攻撃に移るとして、どうしたって最初に立て直すのは幹ですもんね。傾いだままじゃ側根も枝も振り回しづらいし」
「後の問題は、トレントの心材が筋肉と判別されるのかどうか……きちんと薬が効くかどうかだな」
「それは平気じゃないかな。作りの甘い魔法薬ほど、汎用成分が多く効果範囲が緩いんだ。つまり筋肉に似た細胞組織になら効く。……まあ、本来ならそんなの全く褒められない薬だけどね」
クリスが肩を竦めて苦笑する。
確かに、本当ならこの筋肉増強剤はただのクソ魔法薬だ。なぜか甘味料とか入ってるし。
結局のところ、それをここで活用できる俺の弟が賢いのだ。そして可愛い。最強だ。
誇らしく思いながらその後ろ頭を眺めていると、不意にユウトが振り返った。
「今から心材に薬零すけど、もしかすると爆発するかも。みんな気を付けて」
「そうだね。膨張して内圧が掛かるなら大爆発するだろうし、きっとここまで破片が飛んでくる。構えておこうか」
「ちっこい破片ならたたき落とせるけど、大きいの来たら避けるしかないよね? 飛び退くとトレントに感知されるかな~」
「それは仕方あるまい。だが外周近くにいれば攻撃を避けるのは容易だ。距離を取りながら様子を見よう」
辺材さえなくなれば、斧以外の攻撃も通るようになる。攻撃を反射する木魂がどう動くのかが少々気掛かりだが、それは後で考えよう。
レオはユウトをお姫様抱っこで抱え上げた。
「わ、レオ兄さん?」
「お前じゃ自分で破片をよけきれないだろう。俺が護るから心配するな」
「あ、そうか。うん、お願い」
自分の身体能力のなさを理解している弟は、あっさりと納得する。
こういうことに慣れきって照れもない兄弟に、後ろで年長どもが生温かい視線を向けてくるがどうでもいい。これは兄の特権だ。
「じゃあ、行くよ」
エルドワたちも獣化して備える。
それを確認したユウトは、ウロの中にある薬の瓶をゆっくりと倒した。
「ギュ、ギャ!?」
唐突に流れ込んだ液体に驚いたトレントが、傾いでいた身体を起こす。途端にウロの奥で、筋肉が膨張して盛り上がって来たのが分かった。筋肉増強剤が効いたのだ。
「よし、ユウトの思惑通り……! 身体を支える幹の筋肉が肥大し始めた!」
「ギュゥ……グ、ギャ!」
トレントの押し潰されたような声がして、その幹がミシミシと鳴り始める。辺材が膨れる様子はないが、それだけ硬度が高いという証明であり、だからこそ逆に内からの圧力を逃がす柔軟性がない証なのだ。爆発は一気に来るだろう。
最初は数えるほどだった亀裂の入る音が、瞬く間に多く、大きくなっていく。
やがてトレントが窮屈そうに身動ぎ、根と枝をバタバタと動かすと、その時はやって来た。
バキン、とひときわ高く大きな音がした途端、トレントは大地が揺れるほどの衝撃波と、凶器に匹敵する破片を弾丸のように飛び散らせて爆発した。
「うっわあ、すごい風圧……! 目を開けてるのもやっとなんですけど!」
「くっ……破片がすごいな! ユウト、平気か!? 風が収まるまで目を瞑っておけ!」
「僕は大丈夫。……でも上手くいって良かった。鎧もこれだけ粉々になれば、修復もできないよね?」
「うんうん、ユウトくんお手柄だよ。これなら私も無理に憎悪の大斧を使う必要はないし、全員で攻撃に行ける」
そうだ、これで状況はずっと良くなった、はずだ。
辺材の鎧を失った心材は、それ自体が弱点であり、通常攻撃も通る。つまりこれまで手をこまねいていたネイとレオも、力を振るうことができるということだ。ならば勝率はぐっと上がるに違いない。
あとは薬さえ切れてしまえば。
そう思ってトレントを見ると、筋肉増強剤のせいで心材が木の幹の十倍ほどの太さになっていた。シルエットがかなりデカい。あれが辺材の中から圧力を掛けていたのだから、壊れるのも道理だ。
……ただ、ちょっとレオが思ってたのと違った。ムキムキと言うよりブヨブヨだ。筋肉でなく脂肪というか。
その状態を見たユウトが、兄の腕の中であんぐりと口を開けた。
「……筋肉増強剤……?」
「増強っていうか、単純に質量の増加による肥大だな」
「短い間でも、身体の一部だけでも、ムキムキになるって言ってたのに……」
「甘味料のせいで太るんじゃないか? プロテインが入ってなかったんだろうな」
ショックを受けているらしい弟に、レオは内心で万歳しながら適当なことを返す。
この筋肉増強剤は未だに兄の手元に一本あるが、こんな効果だと判明すれば、きっともうユウトが飲みたがることはないだろうからだ。
可愛い可愛い弟がムキムキになるのを断固阻止したいレオは、ようやくこの薬と決別できることに小さくガッツポーズをした。
「エルドワみたいな筋肉付けてみたかったのに……」
「ユウトはその姿で至高だ。筋肉などいらん」
「もう、そんなのレオ兄さんの贔屓目じゃん! 筋肉は僕のあこがれでロマンなの!」
「筋肉なんてなくてもお前は究極に可愛い」
「むぅ~……」
話の通じない真顔の兄に、ユウトは納得いかなそうにむくれたまま身体を預ける。
そんな二人に、武器を持ち替えたクリスが声を掛けてきた。
「……レオくん、ユウトくん、おしゃべりはそこまで。……トレントの様子がおかしい。何をするつもりか分からないから気を付けて」




