兄、邪魔される
ドラゴンの背に乗ったユウトを出迎えると、弟は子犬を抱えたままぴょんとレオの腕の中に飛び込んで来た。わざわざ声など掛けなくても、絶対に受け止めてくれるという信頼があるからだ。
当然のようにそれに応える兄は、容易くそれを抱き留めた。
「ただいま、レオ兄さん」
「ああ、お帰りユウト。……エルドワはどうしたんだ?」
受け止めたユウトの腕の中、子犬が眠っていることに気付いたレオは、思いがけないことだと目を瞬く。弟の騎士を自称するエルドワは、自分のテリトリーでない場所で意識を飛ばずなんて失態を犯すようなタイプではないからだ。
何があったのかと訝しむが、しかし子犬を見つめるユウトは穏やかな笑みを浮かべているから、悪いことが起こったというわけではないのだろうと知れる。
レオもまた穏やかに訊ねると、弟はにこりと笑った。
「グラドニさんが、エルドワの能力を上げるための血を提供してくれたんだ。今は副反応とか自己制御とか、そういうのの反動で体力と魔力を使い果たして眠ってるだけだよ」
「……は? グラドニが、血をくれただと……!?」
「うん。エルドワのこと、すごく気に入ってくれたみたい」
なんてことなく話すユウトに、一方でレオは目を丸くする。
古竜の血。これは欲しいと言って手に入る物ではないからだ。
まあ弟は知らないだろうが、古竜の血は神薬に匹敵するほど高価なものなのだ。それを気に入ったというだけでくれるなど、普通に考えればありえない。……いや、気分屋のグラドニだからこそあるのかもしれないが。
「えっとね、全ステータスの底上げと、状態異常耐性と、即死耐性が付いたんだって。魔獣系は装備でほとんど耐性を補えないから、役に立つだろうって言ってた」
「……エルドワは元々四大属性にも強いから、もはやほぼ弱点なしだな」
「あと、不老不死はないけど『致命傷の攻撃を受けても一度だけわずかな体力で生き残る』能力も付いたって」
「マジか……大盤振る舞いじゃないか」
あまりに付加能力が優秀すぎて、レオは逆に心配になる。
さっきの自分のように、後で不利な対価を要求されるのではなかろうか。もしくは、すでに妙な約束をさせられているかも知れない。弟はひとを疑うことを知らないから心配だ。
「……ユウト、グラドニから何か対価を要求されなかったか? 俺が許しがたいような、変な契約を結ばされたりしてないだろうな?」
「ん? 代わりにアンブロシアが欲しいって言うから、『時間』の効果の薬を渡しちゃったけど……ダメだったかな?」
「アンブロシア……?」
腕の中、こちらを窺うように上目遣いで首を傾げるユウトがあまりに可愛かったので、思わず頬ずりしながら考える。
効果の安定しない神話級の薬。あれだけ上位存在の古竜が、そんなものを何に使おうというのだろう。
まあしかし、自分たちが持っていたところで使いどころが難しい薬だ。稀少性としては古竜の血に引けを取らないし、そんな対価でエルドワの強化ができたなら御の字と言えよう。
ならばいいかとレオはユウトの柔らかいほっぺを堪能することに集中した。
「……レオ兄さん? とりあえず建物の中に入ろうよ」
「待て、もう少し。あっちに行くと邪魔者が入る」
「ま、ここにいたところで邪魔に入りますけどね? ユウトくん、お帰り。待ってたよ~」
「あ、ネイさん。すみません、お待たせしちゃいましたか? ……ほらレオ兄さん、僕のこともう下ろして」
「チッ……」
ユウトから抱える手をぺちぺちと叩かれて、レオはネイに向かって大きく舌打ちをする。
この男、わざわざ気配を消して邪魔をしに来やがった。
無視をしてやりたいところだが、この状況では逆に自分が弟に叱られてしまう。レオは渋々ユウトの足を地面に下ろした。
そして、改めてネイを睨め付ける。
「……何しについて来やがったクソ狐。クリスと一緒に部屋で茶を啜ってればいいものを」
「だってレオさん、周りから突っ込みが入らないといつまでもユウトくんといちゃいちゃしたがるでしょ。たしなめる人間が必要かと思って。そこにキイとクウがいるけど、ほのぼのと見守るだけだし」
肩を竦める狐の視線の先では、すでに人化した竜人二人がこちらを見てにこにことしていた。
「当然です。キイたちはレオ様とユウト様が仲睦まじいとほっこりするので」
「癒やしの邪魔をする狐をビンタしたいです」
「さすが俺の召喚魔、理解がある」
キイとクウは完全にこちらの味方だ。
満足げに頷いたレオと対照的に、その答えを聞いたネイは呆れたため息を吐く。
「いや、おたくらレオさんに甘過ぎでしょ。つか、ビンタとかやめて。ドラゴンにされたら首もげる。……そんなことより、全員そろったんで夕飯が必要でしょ。今からちょっと取りに行ってきます」
「……夕飯を取りに行くだと?」
「ここに来る前に途中で依頼しておいたんです。今持ってる食材減らしたくないし、アシュレイの家のキッチンは俺たちには不便なサイズなんで」
どうやら、ネイがレオの後から外に出たのは、これが本来の目的らしい。本当に気が利く仕事の出来る男だが、素直にそう言わずにわざわざレオをイラッとさせる、その捻くれっぷりが腹立たしい。
そんなビンタどころか拳をお見舞いしたい兄の隣で、弟が首を傾げた。
「……あれ? ラダには料理屋さんなんてありませんでしたよね? 夕飯の依頼って、どこでしてきたんですか?」
「イムカのところのパン屋だよ。元々ジラックで料理人してた奴だし、ピザを何枚かとサラダとか揚げ物とかを頼んできてあるんだ」
「わあ! あそこのパン屋さんのピザ! だったら絶対美味しいですね!」
夕飯の詳細を聞いてユウトが目を輝かせる。
その嬉しそうな様子を見ただけで、ころりと機嫌が直るレオだ。
「そういうことならさっさと取りに行ってこい」
「はいはい。すぐに行ってきます」
「でもネイさん、全員分の食事量だと、持ちきれなくないですか? 僕も荷物持ちに行きましょうか。ポーチに入れようとすると傾いて具材が崩れたりするし、手持ちになるでしょう?」
「まあ、確かに荷物持ちは欲しいけど……あ、駄目だ。ユウトくんの後ろに般若がいる」
「……俺のユウトを貴様の荷物持ちにするなど一億年早い」
せっかく直ったレオの機嫌が、再び悪化しかける。すると空気を読んだ竜人が、すかさず手伝いを申し出た。
「では、キイとクウが狐と一緒に参りましょう。一億年待っていたらピザが冷めてしまいます」
「一億年経ったらピザなんて跡形もないと思う……まあいいか。じゃあキイとクウ、一緒に来て」
思わず突っ込みを入れかけたネイだったが、苦笑をしつつ話を引き上げる。この男も、わざと空気を乱すことが多いが、本来は空気が読める奴だ。引き際はわきまえている。
三人はレオとユウトとその腕の中のエルドワを残し、門を出て行った。




