弟、グラドニの希望的観測を聞く
ユウトには発現した力の多寡など分からないけれど、無意識に気圧されて上体が傾いだことで、エルドワに変化があったことだけは分かった。
その身体の動きは止まっているのに、逆立った毛がざわざわと揺れている。
子犬が喉の奥でぐるる、と唸ると、すかさずグラドニがその首根っこを掴まえた。
「ふむ、ふむ。すぐに変化して暴れ出すかと思ったが、頑張って自制しておるの。やはりすぐ近くに愛し子がおるからか。健気なことじゃのう」
そう言っている間にも、首根を押さえつけられたエルドワが牙をむきだし、唸り声を上げている。そのまま床に押しつけられて、苦しそうに絨毯にバリバリと爪を立てた。
「グ、グラドニさん、エルドワ大丈夫ですか?」
「うむ。全然問題ない。というか、想像したよりもずっとマシじゃ。おそらくうぬの聖なる血が、わしの血の暴力的な魔力の奔流を抑制しておるのじゃろう。それにこの小僧、小さいくせに自己制御力もなかなかのものじゃ。ただ無為に力に飲み込まれることに抗っておる。……此奴は、大化けするやもしれぬな」
自分の手の下で悶える子どもを見ながら、グラドニは楽しげに目を細める。じたばたと暴れたところで、押さえつける腕はびくともしない。
ユウトがそれをハラハラと見つめていると、やがてエルドワの身体
に変化が起きた。
魔獣化だ。
ただし、変化した姿は子犬のそれだった。
「おっと……成獣化して力を発散するかと思うたが、これは……」
手の中で小さな子犬になったエルドワを、グラドニは首根っこを掴んだままひょいと持ち上げた。子犬は抵抗もなく、ぶらりと四肢を投げ出している。
どうやら、気を失ってしまったようだ。
「エ、エルドワ!」
ユウトが慌てて立ち上がって駆け寄ると、古竜はぶら下げていた小さな身体をこちらに差し出して、笑った。
「はは、この小僧、わしの血の能力を全部飲み下しおった!」
「グラドニさん、エルドワは大丈夫なんですか……?」
「うむ、心配はいらん。わしの血を身体に取り込むのに体力と魔力を使い切って、気を失ってしまっただけじゃ。しかしまさか、少しも吐き出さずに終わるとは思っておらんかったわい」
「……吐き出さずに、とは?」
「普通その者の身体が受け入れられる許容量を超えた能力は、副反応で暴れた後に、異物として体外に吐き戻されるのじゃ。わざわざ自分の身体に傷を付けて、血を流し出すこともある。それをしなかったということは、全てこの小さな身体の中に収めたということじゃな」
ユウトの腕の中にエルドワを落として、グラドニは満足げに腕を組んだ。
子犬を受け取ったユウトも、その小さな身体を抱いたまま元いたところに戻る。その頭から背を労るように撫でながら、ユウトは古竜を見た。
「……エルドワがグラドニさんからもらった能力って、どんなものが? 不老不死とかも……?」
「いや、不老不死はわしの肉を食わんと影響は出ない。……じゃが、これほど無用な能力もないからの。問題なかろう」
そう言ったグラドニが、自嘲の笑みを見せる。しかしそれは一瞬で、すぐにまた楽しそうに口角を上げた。
「それよりも、その小僧には総ステータスの底上げと、状態異常耐性、即死耐性が付いたはずじゃ。魔獣系は装備による能力補正がほぼ見込めぬからな。重宝すると思うぞ」
「えっ、それはすごいですね……!」
「……それに加えて、一応じゃが、不老不死の代わりに代替的な能力が宿る」
「不老不死の代替、ですか?」
「うむ。致命傷の攻撃を受けても、一度だけわずかな体力で生き残ることができる能力じゃ」
どうやら『不死』の方に引っ張られる能力らしい。
本来の不老不死と比べればグレードは落ちる感じがするが、それでも戦闘をする上での保険としてとてもありがたい能力だ。
そんな力を、アンブロシアの対価という名目とはいえ、分けてくれるなんて。
ユウトはエルドワに代わってぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、グラドニさん!」
「礼には及ばぬ。わしとしても、その小僧の成長が楽しみになってきたからの。……見たところ、由緒ある地獄の門番の一族の血を引く半魔のようじゃが」
「あ、はい。そう聞いています」
「ふむ、ではその類い稀なる忠誠心や能力の許容値の高さは納得じゃな。それに、これほど小さいうちから魔界を出されておるということは、余程……」
そこまで呟いたグラドニは、子犬を眺めたままにんまりと笑う。
この古竜はだいぶエルドワを気に入ったようだ。
それからわずかに視線を上げてユウトを見ると、彼はさらに目を細めた。
「うぬは相当良い縁を持っておるようじゃ。あの庇護者といい、この小僧といい……。さらに魔界屈指の吸血鬼一族である、半魔とも縁がある」
「縁……確かに、僕は助けてくれる仲間に恵まれてる気がします。彼らだけでなく、他にもいっぱい」
「うむ、良いことじゃ。……個人で成せることなどたかが知れておる。うぬらならば、今度こそ『アレ』を消滅させることが出来るやもしれぬ」
「えっ……でも、エミナの『アレ』を倒すための研究書物は、魔研で燃やされてしまいましたけど……」
グラドニのいう『アレ』……復讐霊について研究されたエミナの書類は、先ほど言った通りもう焼失している。
そう告げると、彼は軽く鼻を鳴らした。
「ふん、すでに『アレ』の正体に自力で行き着いた男がおるじゃろ」
「……あ、もしかしてジードさんのことですか?」
「彼奴は通常なら入手不可能なデータまで収集しておる、情報オタクじゃ。人間に比べて研究期間も段違いで長いし、エミナほど深くはなくても、検証するに足る情報はまとめられるじゃろう」
確かにそうだ。
今のジードはガラシュ討伐術式の研究に没頭しているけれど、彼が本気で復讐霊退治の研究をしてくれれば、エミナほどでなくてもそのデータはかなり期待できる。
「……まあ、問題はあの無法者が素直に依頼を受けるかどうかじゃが……」
「それなら僕がお願いしてみます。ジードさんは優しいからきっと大丈夫です」
「優……」
懸念を表したグラドニに対し、にこりと他意なく微笑むユウト。それに古竜が何か言いたげに口を開き掛けたが、口ごもった末に結局そこで言葉を止めた。
「……まあよい。それからこれは希望的観測ではあるが、もしかするとランクSSSゲートでさらに『アレ』の討伐に関する書物やアイテムが見つかるやも知れぬ」
「えっ? 本当ですか!?」
「いや、確信はない。ただ、以前うぬがランクSSSゲートから、本来なら失われたはずのエミナの書物を持ち帰ったという話を聞いて、もしやと思ったのだ。……魔尖塔でできるランクSSSのゲートには、世界から失ってはいけないアイテムが複製収納されるのではないかと」




