弟、新たな世界の創造主を考える
「先ほど話したのは、別の空間に飛ばされたところまでじゃったな」
「はい。『聖なる犠牲』とグラドニさんと、『おぞましきもの』がそこに飛ばされたのですよね」
「そうじゃ。そこはアンブロシアによって生成された、魔界と人間界の狭間の空間じゃった」
「……何もない空間だったんですか?」
訊ねたユウトに、グラドニは少し逡巡した後、苦く笑った。
「……うむ、何もなかった。上も下も、マナも瘴気も、光も世界の秩序も理も、何もない場所じゃ。ただ、世界樹の恩恵として空気と、時間の概念だけはあった」
「えっ……空気と時間だけ? 精霊がいなければ魔法も唱えられないし……それじゃ何もできないじゃないですか……」
「そもそも『おぞましきもの』に対して、わしらができることなど何もない。できたのは、滅びの対象をすげ替えることだけじゃ。……まあそれを成し遂げたのじゃから、何もできなかったというのは語弊があるのかもしれぬが」
光がなければ当然漆黒の闇。空気はあったのならかろうじて『聖なる犠牲』と何らかの会話くらいはできたかもしれないが、グラドニはそれに触れる気はないようだった。
事実として、何の対処をするすべもなかった、そう呟く。
「その後はさして時間も掛からず、その空間に置かれた小さな世界が『おぞましきもの』に飲み込まれた。闇の中で何が起こっているのか把握するのは困難じゃったが、わしは目の前に新たな世界が生成されたことでそれを知った」
「……たったひとりの半魔で、あの広い世界はできているのですか?」
「『おぞましきもの』は世界の理に縛られぬ。まあ、あの時は空間自体が理を持っておらんかったが、そうでなくともな。……つまり、わしらが考えるような物理的な質量保存や等価交換など、彼奴には適用されぬのじゃ。小さな半魔から大きな世界に作り替えるのに、その体積や材質などまったく問題にならぬ」
世界樹が宿す全ての世界を管轄下とする上位存在の『おぞましきもの』には、世界の理を無視する権限があるという。
ただ、無から有は創り出せず、有を無に帰すこともできない。
その取り込んだ存在を元に、いかようにも世界を作り替えるだけのものなのだ。
「『おぞましきもの』は、『聖なる犠牲』をまっさらな世界に作り替えた。……陽光が差し、表面は水ばかりの世界じゃ」
「……一面が海、ということですか? 陸地はなく?」
「そうじゃ。そこから世界を創るのは、『創造主』の仕事じゃからな」
「創造主……って、あれ? あの世界の創造主は、グラドニさん……」
「わしは創造主にはならぬと言ったじゃろうが」
「確かにさっき、そう言ってましたけど……」
どういうことだろう。
ならぬと言ったところでその空間に他にいたのはグラドニだけだし、あの世界にはすでに陸地やマナや瘴気が存在している。世界は創造されているのだ。
「グラドニさんの代わりに、誰かが創造主になっているんですか?」
「……あの世界に創造主はおらぬ」
「えええ? よく分からないんですが……。そもそも、アンブロシアが『聖なる犠牲』もろともグラドニさんをその空間に呼び込んだのって、新しい世界を生成するためには元となる世界と、創造主となれる者が必要だったからですよね?」
「うむ。……実際わしも『聖なる犠牲』同様、『おぞましきもの』に飲み込まれ、創造主になるべく破壊された。しかしわしは不老不死を持っておったからの。作り替えられてもわしはわしとして生成されたのじゃ」
どうやら、グラドニも一度は破壊されてしまったらしい。けれど彼の持つ不老不死の身体が、『おぞましきもの』による再生成に影響を与えたようだ。
その結果、古竜はその記憶も姿も損なうことなく、あの世界に降臨した。
『おぞましきもの』が無視できなかったところを見ると、もしかするとグラドニの『不老不死』もまた世界樹がもたらした何かなのかもしれないが、今はそこに突っ込んでる場合ではないか。
ユウトは古竜の言葉を反芻しながら、やはりまた首を傾げた。
「どちらにしろ、グラドニさんが創造主として再生成されたのは間違いないのですよね?」
「……まあ、状況的にはそうじゃな。わしの手には、世界の理を創るための創世の石が握らされておったし」
「創世の石?」
「人間界で言うところの、賢者の石のようなものじゃ」
どうやら創造した世界の理を世界樹に記録したり、それにアクセスして管理書き換えをするためのデバイスらしい。
そこまでお膳立てをした後、『おぞましきもの』は消え去ったという。
「だったら、やはりグラドニさんが創造主で間違いないのでは……」
「いや。わしはその直後に創世の石を海の中に投げ捨てて人間界に戻ったから、創造主になっておらぬ」
「……え?」
「世界の理とか創らずに、放置してきたのじゃ。つまり、創造しとらん」
「ええええええ!? そっ、創世の石を投げ捨てて世界を放置……!?」
ようやくグラドニが創造主はいないと言い張った意味を知って、ユウトは愕然とした。
確かに、彼は創造していない。
だが予想の斜め上過ぎて、その真意が全く想像できなかった。
「ななな、なんでそんなことを……!?」
「……わしはあれを、わしの好きなように作り上げて管理する気にはならなかっただけじゃ」
「あれ……」
その古竜の言い方で、ユウトは『ああ』と腑に落ちる。
彼の言う『あれ』とはもちろん、『聖なる犠牲』のことだ。新しい世界とそれを同一視し、自分が手を加えることに抵抗を覚えたのだろう。
さらには世界として成立させてしまうことで、『聖なる犠牲』の喪失を確実なものにするのが嫌だったのかもしれない。
そう考えると、ユウトはそれを責める気にはなれなかった。
しかし、だ。
グラドニの話が確かならば、また疑問が浮かぶ。
「……では、グラドニさんは本当にまっさらな世界のまま、あそこを離れたんですよね? だとすると、あの別世界に陸地を創り、世界を創造したのは一体……?」




