弟、グラドニに『聖なる犠牲』の顛末を訊ねる
さっきジードのところでグラドニの話が出た時は、二人に面識がないような言い方だったのだけれど。
目の前の古竜は、明らかにジードに対して悪感情を抱いているようだった。
「……ええとグラドニさんは、ジードさんとどういうご関係が?」
「関係はない。……ただ、名前は知っておる。知識欲が旺盛なこともな。まあ無遠慮に、鍵の掛かった他人のデータにずけずけと侵入して来おる厄介な輩という認識じゃ」
「厄介な輩、ですか……?」
ユウトとしてはとても物知りで頼りになるひとというイメージなのだけれど、どうやらグラドニは違うようだ。
ユウトは自身の考える人物像との齟齬に、折り合いがつかずに首を傾げる。
そんなユウトに、グラドニはひとつため息を吐いた。
「……まあよい。とりあえずさっきの話じゃが、『復讐霊』の名前を出しても、本人への呼び掛けでなければこの程度で即座に気付かれることはない。あの輩のところでどれだけその名を口に上せたのかは知らぬが、それほど心配せんでもいいじゃろう」
「……本当ですか?」
「そもそも情報オタクの其奴なら、おそらくそんなことは知っておって、抜かりなく対策しておるはずじゃ。言霊が他に届かぬよう、空間を分離しておったろう」
「あ、確かに別の空間を作って、そこを拠点にしてました」
「ならば平気じゃ。全くこざかしい」
古竜はふんと不満げに鼻を鳴らしたが、とりあえずは問題ないらしい。自分のせいでジードを危険な目に遭わせる羽目にならずにすんで、ユウトはほっとした。
「何につけ、その名前をあまり口にしない方がいいんですよね。もっと汎用的な呼び方をした方がいいんでしょうか」
「そうじゃな。いつ彼奴らに勘付かれるか分からぬと考えれば、そうするに越したことはない。……特に、エミナの名と共に口に上らせると、かなり気を引いてしまうかもしれぬゆえ」
「……いっそ呼び名を固定せずに、『あれ』『それ』と都度呼び方を変えた方が見つかりづらいかな? どうでしょう」
「ふむ、それはよい考えじゃな」
特定の対象に付けられた名前は、何度も呼ばれるうちに言葉に魂が乗ってしまう。『復讐霊』も本人が名乗ったわけではなく、事情を知る者にそう呼ばれるうちに、言葉の魂が定着してしまったのだ。
それを回避するためには、指示代名詞でその都度呼び方を変えてしまえばいい。グラドニのお墨付きをもらったところで、ユウトは話を変えた。
「ところで、グラドニさん。少しお聞きしたいことがあるのですが」
「む、何じゃ?」
「最終戦争と『聖なる犠牲』についてです」
この話は、直接これからのことに関係するわけではない。それでもユウトは、同じ出自を持つ者のことを聞いてみたかったのだ。
ここに来るまでは、もしかするとグラドニ以外の誰かが『聖なる犠牲』と同行していた可能性も考えていた。けれど、先ほどの反応を見る限り、その顛末を見届けたのは彼で間違いないだろう。
ならば教えて欲しかった。同じ境遇だった者の末路を。
「……うぬは、その話をどこまで知っておる?」
知らぬ、と突っぱねなかったこの時点で、グラドニがそれを知っているのは確定だ。
ユウトは険しくなった古竜の表情を見ながら、ジードのところで聞いた推論を答えた。
「最終戦争で魔尖塔が出現し、それによって国も魔族も消え失せた後に……『聖なる犠牲』は現れた『おぞましきもの』を引き連れて別の空間に飛んだと」
目の前の男は表情を変えぬまま、黙って聞いている。
「……その飛んだ先の空間で、『聖なる犠牲』はおぞましきものに一度破壊され、新しい世界として作り直された……という推測を、ジードさんに聞いただけです」
ジードの名前を出すと、グラドニがチッと大仰に舌打ちをした。
これはおそらく、その推測が外れていないからだ。
だとすればもうひとつの推論も、間違ってはいないのだろうか。
「……その新しい世界の創造主が、グラドニさんではないかという話も聞いたのですが……」
「わしは創造主にはならぬ」
ユウトの言葉に、いきなりグラドニが言葉を被せてきた。
だが、その内容に首を傾げる。
創造主『ではない』、と言うなら分かるが、創造主『にはならぬ』とはどういうことか。
困惑をしつつ見つめるユウトに、古竜は小さく唸った。
「……庇護者に聞いたが、うぬはその新しい世界に飛ばされたことがあるのじゃったな?」
「あ、はい。悪魔の水晶の罠で……」
「行ってみて、どう感じた?」
思わぬ質問に、ユウトはぱちりと目を瞬く。
「……どう感じた、とは?」
「何でもよい。うぬがあの世界で感じたことを率直に述べよ」
どうやら、どんな風景だったとか何があったではなく、ユウトの肌感覚を問うているようだ。少し回答に困って、首を巡らす。
当時一緒に飛ばされたエルドワにも視線を送ると、彼も自分の感じたことを思い出そうとして中空を眺めていた。
あの時、空に放り出されて、地に降りて。
自分たちは何を感じただろうか。その感覚の端っこを捉えて、ユウトは口を開いた。
「……正直、世界としてのエネルギーが弱いのかなと思いました」
「たとえば?」
「僕があそこに行った時、わざわざこっちの世界から竜脈を引き込んでいました。自然はいっぱいあったけど、精霊が少ないってエルドワも言ってたし。マナも瘴気も歪な感じで存在して……。まるで弱々しい花に強い肥料を与えつつ害になる薬剤も撒いてるみたいな、危うい違和感がありました」
ユウトがそう言うと、隣からエルドワも口を出す。
「エルドワはあの世界、弱いというか、出来立てでまだ完成されてないと思った。あの世界の固有のものが存在しない感じ。そこにマナと瘴気を無理矢理引き込んで、世界がぐちゃぐちゃになってた」
「あ、確かに。一緒にいた半吸血鬼のヴァルドさんも、大気が混沌としていて、普通の半魔が一日いると精神が瘴気に冒されるって言ってました」
「……ふむ、なるほど……」
グラドニは冷静な返事をしたように見えたけれど、低く怒りに揺らいだ声音にユウトは気が付いた。
あの世界を穢されていることは、彼からすれば許されざることなのだろう。滲む魔力がユウトにも分かるほどちりちりと皮膚を刺激し、隣のエルドワが緊張に固まって一際毛を逆立てている。
しかし他人からの威圧や殺気に疎いユウトは、それに気にせず口を開いた。
「……グラドニさんにとって、あの世界は大切な場所なんですね?」
「む」
怒る自分に向かい、怯むことなく真っ直ぐに問うたユウトに虚を突かれたようで、グラドニが彼の地に馳せていた意識をこちらに戻す。
そしてぱちりとユウトと目が合うと、バリバリと頭を掻き、ひとつ長いため息を吐いた。
「……それについてわしの感情など関係ないことじゃ」
「グラドニさん……」
どこか力なくそう言った古竜の表情は、複雑な感情が見え隠れしている。
剛毅に見せておきながら、その陰にある何かを、ユウトは垣間見たような気がした。
しかしそれは一瞬で、再びグラドニはうむと強く頷く。
「まあ、過去の事実くらいは語ってやろう。……現状を教えてくれた礼じゃ」
そう言うと、彼は『聖なる犠牲』とあの世界について語り始めた。




