兄、対価を言い渡される
グラドニの怒気は周囲に伝播して、レオの皮膚をちりちりと焼くようだった。
自身の大きすぎる力をわきまえているからだろう、いきなり暴れるような様子はないが、かなり立腹していることが窺える。
これは、知っているどころではない。
余程その別世界に思い入れがあるのではなかろうか。
「……結局、そのもうひとつの世界とは、何なんだ? あんたと何か関係のある場所なんだろう?」
レオは単刀直入に古竜に訊ねた。
その少々不躾な問いにグラドニはじろりとこちらを睨んだけれど、怯まずに見つめ返す。
どうやらこの男は、その別世界に干渉して欲しくないようだ。
しかしすでにその世界は、この世界存亡を巡る時流に巻き込まれている。魔研に侵入されたのが運の尽きだろう。
レオは今さらのようにその別世界が人魔尖塔構築の一端を担った可能性を思い出して、それを古竜に告げた。
「……確か以前、ジラックの前領主の臣下や現領主に反発する住民が、大勢そのもうひとつの世界に連れて行かれたという話を聞いたことがある。……もしかすると彼らは半魔化やキメラの実験に使われていた以外に、人魔尖塔の材料としても使われていたのかもしれない」
時期的に考えてみても、おそらく間違いない。
ジラックの領主が変わったのは魔研を潰した後だし、イムカが半死半生の半魔にされたり、住民がごっそりあちらの世界に送られたのもこの五年の間だ。この期間なら骨が纏った瘴気も消えていない。
ユウトやエルドワに聞いた話では、飛ばされた時に敵側に魔施術士という術式を扱う悪魔がいたらしいし、全部がエルダールを滅ぼすための計画における下準備だったのだろう。
ほぼ確信を持ってそう告げると、グラドニが瞳孔を絞ってまなじりをつり上げた。
「かの世界を、あの外道どもが穢れた目的のために利用しておるというのか……!? 度し難い!!」
古竜が、今にも炎を口から吐きそうな勢いで吼える。
空気がビリビリと揺れ、その圧の強さに押されて、ユウトあたりがいたら転がってしまいそうだ。
やはり彼にとっては、もうひとつの世界が非常に大切と見える。
先ほどまでの鷹揚さはどこへやら、グラドニは拳を地面に叩き付けると、いきなり立ち上がった。
そのまま出口へ向かおうとする男を、レオが慌てて呼び止める。
「待て、グラドニ! どこへ行く気だ!? あんたがここから移動すると大問題なんだが!」
「事情が変わった。わしはかの世界で害虫どもを駆逐せねばいかん!」
「いやいやいや、落ち着け! あんたにはここに居てもらわないと困る! そっちの方は、俺たちが魔研の奴らを始末すれば解決するから! あんたの力は大きすぎるし、世界のバランスを壊しかねん!」
もうひとつの別世界と彼との関わりを知りたかっただけなのに、とんだやぶ蛇を出してしまった。
レオは内心でしくじったと舌打ちしつつ、グラドニを宥めた。
一応あのゲートから出てくる魔物はレオでもどうにか対応できるが、食事感覚で退治できる大きな竜と自分では効率も消耗も全く違う。
何よりここを動くことができなくなれば、ユウトのために世界を護ることもできなくなってしまうのだ。この古竜にはここに留まってもらわねばならなかった。
「世界のバランスを壊す……」
そんなレオの説得に、グラドニが足を止める。
何を思ったのか忌々しげに顔を顰め、頭をバリバリと掻いて意味の分からぬことを独りごちた。
「……むう、業腹が過ぎる……。だが、あやつの力を借りねばならぬとなれば、ここを離れるわけには……」
「そもそもあんたが魔研と接触するのも、俺は歓迎しない。あっちはグラドニを召喚する術を失っているのに、わざわざこっちから行くのは悪手だ。向こうには人魔尖塔があると考えれば、あんたが囚われることが万が一にも無いとは言えないだろ」
どうやら葛藤があるらしいグラドニに、レオはさらに言いつのる。
すると男は一拍置いて扉の方に向いていた身体をレオの方に向け、腕を組んで何事かを思案したようだった。
「……どうせ、わしではあれに手出しはできぬ……。となれば、こやつらに……」
「……何だ?」
ぶつぶつと独り言を言う古竜に、レオは片眉を上げる。
その瞳が探るようにこちらを見るのに、何となく嫌な予感がしたのだ。それが何か、思い至る前に、グラドニが口を開いた。
「……愛し子の庇護者よ。うぬに対価を求める」
「はあ? 対価?」
何の話だ、と怪訝な顔をすると、彼は「先ほどの話だ」と腰に手を当てた。
「愛し子にうぬの所業を黙っている代わりに、わしの頼みを聞いて欲しいのじゃ」
「あー……その対価か」
そう言われてしまえば断る術がない。それは絶対に守ってもらわなければいけない依頼だからだ。
まあ一方的な頼み事より、ギブアンドテイクである方が約束事として履行されやすいのも確か。レオは二つ返事でそれを請け合った。
「分かった。俺は何をすればいい?」
グラドニとの約束は、ユウトに対して余計なことを言わなければいいだけのこと。その対価など至極簡単なものだろう。
そう思って訊ねたレオに、古竜はさらりと告げた。
「ここの上空にあるゲートを攻略してきてくれ」
「……ん?」
何か、無謀なことを言われた気がする。
聞き間違いかと首を捻ったレオに、しかしグラドニはもう一度きっぱりと告げた。
「上空のランクSSSゲートを攻略して来るのじゃ」




