兄、人魔尖塔の材料がどこから来たか気になる
レオの懸念は、この一点に限る。
いや、懸念なんて言葉では足りない。これがユウトにバレることは、もはや恐怖と言っていい。
魔研で鎖に繋がれひどい目にあわされていたこと。彼自身の世界における特異性の自覚。
そんなものは思い出さないほうがいいに決まっている。
……そして何より、レオがあの子どもに「俺のために死ね」と命令をしたこと。
あれは絶対に思い出して欲しくないし、その命令をした事実を自分の都合で隠蔽したなんて、絶対知られたくなかった。
「ふふ、うぬほどの男でも、あの可愛い子どもに嫌われるのが余程怖いと見える」
「……茶化すな。これは俺にとっては死活問題なんだ」
「まあ、良かろう。それを愛し子に明かしたところで、わしには何の利もない。うぬの依頼で記憶を消したことは黙っておいてやろう」
「助かる」
目の前の男がすんなりと頼みを受け入れてくれたことに、レオは安堵する。
ただの口約束ではあるが、今はこれで十分だ。
グラドニほどの力の持ち主が、レオに対して不必要に卑小な嘘を吐くとは思えないし、脅されて口を割るなんてことも絶対にありえない。だからその意思だけ確認できればいい。
これで個人的には、グラドニに会いに来た用件の八割方は済んだようなものだ。
レオは気分を軽くして、最後に残りの二割の用件を口にした。
「本来はあんたに助力を仰ぎに来たんだが、ここで魔物を食ってもらうのが一番肝要なようだ。……ただここから動かないとなると、召喚の術式に捕らえられやすくなるかもしれない。気を付けてくれ」
古竜に対して余計な心配だとは思うが、一応忠告をする。
するとグラドニは、意外な言葉を聞いたというようにぱちりと目を瞬かせた。
「召喚とな? 肉片だった時ならまだしも、今のわしを引っ張り出すとなると相当な魔力が必要じゃが……そんな無謀なことをしようとしている奴がおるのか?」
「ああ。以前、その肉片だった時のあんたを利用しようとしていた奴らが、今度はジラックに作った魔尖塔もどきにあんたを召喚しようとしているんだ。……と言ってももう降魔術式は発動できないはずだし、杞憂になるかもしれないが」
そう告げると、途端に目の前の男の表情が不愉快げに歪められる。
何かひどく嫌なことでも思い出したような顔だ。
「彼奴らか……。まあ、殺しきれなかったことは知っておったが、今も何か企み続けておるのじゃな。……魔尖塔もどきというのも、彼奴らが作った何かか?」
「そうだ。ジラックの墓地に作られた、魔尖塔そっくりの塔だ。おそらくその用途も同じだと思う」
「魔尖塔の代替品か……その工法は今時代には伝えていないはずじゃが……未だ彼奴らの後ろには復讐霊が取り憑いておるのか」
どうやらグラドニは魔尖塔もどきのことを知っているようだった。
聞き覚えのない言葉もあって、レオはすかさず突っ込む。
「あんた、魔尖塔もどきの詳細が分かるのか? 復讐霊とは何だ?」
思わず前のめりになったレオに、古竜は少しだけ視線を外して話すかどうか逡巡したようだった。しかしやがて目線を戻して一つ息を吐き、口を開く。
「……うぬが魔尖塔もどきと呼ぶものは、正確には人魔尖塔という。世界樹がもたらす魔尖塔と違い、その材料は瘴気に冒された人骨じゃ」
「瘴気に冒された人骨……?」
「つまり、瘴気の満ちた場所で自我を失って死んだ人間の骨じゃ。おそらくそうやってかなりの人間が殺されておる」
それを聞いただけで、レオは胸がムカムカと焼け付く気がした。
以前魔界に飛んだ時に味わった、自分が自分でなくなるような感覚がフラッシュバックしたからだ。
レオはまだ自身の意思で瘴気に飛び込んだからいいが、おそらく人魔尖塔に使われた人々は強制だっただろう。
想像するだにひどい話だ。
それを平然と為せるジアレイスたちは、もはや人の心を持ち合わせていないのかもしれない。
「瘴気の満ちた場所……っていうと、リインデルのあたりか。……まさか、リインデルの村を瘴気で満たした後に焼き払ったとか? その時の人骨を使ってるってことも……」
「リインデルとは、30年前に滅ぼされた村か? それはないじゃろう。人と瘴気は溶け混じりづらく、人骨がそれを纏ったところで、五年もすれば瘴気は抜けてしまうからの。今さら材料にはなりえぬ」
確かに、さすがにジアレイスたちも、まだ魔研のなかった30年前から人魔尖塔を作る計画を建てていたとは思えない。それに、壊滅直後にクリスが入っていたことも考えれば、その時点でリインデルに瘴気はなかったはずだ。
その上で五年ほどで瘴気が抜けてしまうのなら、リインデルは無関係だろう。
だとすると、それ以外でどうやってその材料を集めたのか。
後は瘴気のある場所に人を送り込んだとしか考えられないが。
「……ガントやリインデル方面に大勢の人間をぞろぞろと連れて行ったら、さすがに目立つよな。秘密裏にやるなら転移だが、転移魔石では大した人数は連れて行けないし、術式を組むには余程の高度な知識がないと無理だし」
転移といえば宿駅からジラック地下へ飛ぶものがあるが、あれは物品専用で、人間を転移するにはさらに綿密な術式が必要なのだとクリスが言っていた。
つまり、ジアレイスたちの手ではそこまでの術式は作れなかったということだ。ならば瘴気の強いリインデル方面への転移は不可能だろう。
となれば他に考えられるのは、ユウトを罠に掛けたあの転移のような、世界を移動する術式くらいだった。
「もしや、術式を使って魔界に人間を送り込んだとか……? 地上を移動するよりも見つかりづらいし、魔界の鉱石を使えば人間界よりいくらか容易に転移できると聞いた気がするのだが」
人間が魔界に飛ばされれば、瘴気に冒されるのはあっという間だ。
この世界にない魔界の鉱石さえ準備できれば、世界間の転移は可能なのかもしれない。
しかしそう思ったレオに、グラドニは首を振った。
「人間界と魔界を繋げるのは著しく難しい。かなり巨大な悪魔の水晶を準備するか、余程綿密に練り上げられた術式を用意しないと無理じゃ」
「……そうなのか?」
古竜に言われて、レオは改めてこれまでの転移の罠を思い返す。
その大体が精霊の祠を解放するために飛ばされたものだった。
(そういえば、罠で飛ばされた先は大体ゲートか、正体の分からないもうひとつの別世界ばかりだった。……唯一魔界に飛ばされたのは、ジードの仕掛けた罠だけだ)
あらためて、ジードの術式構築力が図抜けていることを知る。
だからと言って、仲間として歓迎する気持ちはこれっぽっちもわかないが。
それよりも、とレオはジードのことを頭から追い出した。
もうひとつの世界は、ユウトもネイも行っている。だとすれば理由は分からないが、そこは魔界よりも容易に行けるということなのかもしれない。
ユウトの話ではそこの森には瘴気が溢れていたというし、魔界に送るより手っ取り早いはずだ。
「なるほど、では魔界でなくもうひとつの別世界に飛ばしたのかもな。グラドニ、あんたは人間界でも魔界でもない世界のことを知っているか?」
これだけ長く生きていて知識もある古竜なら、あの世界のことを知っているかもしれない。
そう思って何の気なしに訊ねたレオは、次の瞬間一気に空気が変わったことに気が付いて、驚いて目を瞬いた。
(……何だ? この感じは)
本当に突然。今まで柔らかかったグラドニの気配が、ぴしりと硬化したのだ。
「……人間界でも魔界でもない世界、じゃと?」
こちらの問いを反芻した声は2段ほどトーンが低くなっていて、明らかな不快感を滲ませている。
この感じ、どうやら彼は、その別世界と何か関わりがあるようだ。
レオはグラドニの様子を注意深く観察しながら言葉を続けた。
「その世界に俺は行ったことがないんだが、ユウトが罠で飛ばされたことがある。人間が居られるエリアと、瘴気で満ちたエリアが混在する世界だそうだ」
「……あの世界には座標を設定しておらぬはず……。誰が、どうやってあそこに辿り着いたというのじゃ……。おまけに、瘴気じゃと……?」
ぶつぶつと呟く言葉は、グラドニがその世界の存在を知っていることを示している。そして、何か彼にとって想定外だったことも。
「確認してはいないが、その世界には魔研の建てた研究施設があって、キメラの実験や術式の研究をしているのではないかという話だ」
そう伝えると、古竜は静かに激昂した。
「魔研……!? 彼奴らか……! よくもあの世界に踏み入りおったな……!」
 




