兄、魔物の出現場所を知る
グラドニの家の外に出ると、本当に魔物が上空から『落ちてきた』ところだった。
落下に任せ、激突に似た着地の衝撃音と砂塵が皮膚を打ち、地面が揺れる。
魔物は額とこめかみに鋭いツノを持った大きな熊で、その目は六つついていた。両上腕の外側には、刃のような突起物もある。以前似た魔物を退治したことがあるが、それとは少し様子が違う風貌、そして気配だった。
「こいつ、もしかして殺戮熊の六ツ目の亜種か……!」
レオは反射的に剣を抜く。
が、数歩前にいるグラドニが、片手だけでこちらを制した。
「手出しはいらん。わしの食事じゃからな。うぬは少し下がっておれ」
まるで緊張感のない声音で、そう指示をする。
レオはそれに一瞬ぽかんとしたけれど、途端に膨れ始めたグラドニの強者の気配に気が付いて、慌てて飛び退いた。
その身体に、殺気はまるで纏っていない。
純粋な力さえあれば、そんなものは必要ないということなのだろう。周囲を飲み込む圧倒的な力の伝播に、敵もレオも一瞬動けなくなる。
その目の前でグラドニはみるみるドラゴンへと変化すると、ひとつ咆吼を上げて敵を竦み上がらせた。
(……デカい……! そして、何をしなくてもバカ強いのが分かる……!)
レオの知っている竜の大きさは、ドラゴン系ゲートのボスクラス、体長20メートル前後がせいぜいだ。さらに攻撃力だけで言えば、キイとクウが合体変化したグレータードラゴンよりも強い竜を見たことがなかった。
だが、今ここにいるグラドニは、大きさだけでその倍はある。力だって、レオが気配だけで圧倒されるほどだ。
岩のようなごつごつと頑強な皮膚、妙な文様が浮かび上がっている翼は、物理も魔法もそう易々とは通しそうにない。
なるほど、ぶっ壊れチートステータスとはまさにこのことか。人型でも強者ではあるが、竜化すれば尚更。
やはり古竜とは存在からして何もかも違うのだ。
レオがそんなことを考えているうちに、古竜はまるで野ねずみでも捕まえるように、殺戮熊亜種に噛み付いてその瘴気を啜った。敵が暴れて反撃したところで、ものともしない。
その体毛も骨もひどく硬いというのに、やがてそのままバリバリと噛み砕いていく。本当に、ただの食事だ。
殺戮熊とはいえ六ツ目、それも亜種となればランクS以上にはなるはずなのだが、グラドニはそれをいとも容易く栄養にしてしまった。
(……グラドニは、本当に食事をするためにここにいるということか……。まあそれは一旦置いておいて)
魔物を骨も残さぬように食べている古竜から視線を外すと、レオは上空を見た。
しかしあいにく空は曇っていて、ほとんど灰色しか見えない。
山頂だからか低く広がる雲に、それでもレオは目をこらした。
(今の魔物は、どこから『落ちて』来たんだ? グラドニの言うように、確かに上空から降ってきていたようだが)
グラドニは、ここが鬼門だと言っていた。
だとするとこの真上あたりに、魔物の通り道でもあるのだろうか。
……しかし、あのレベルの魔物がぽこぽこ落ちてきていたら、祠が閉じていた時のラダの村は、あっという間に襲われて壊滅していたに違いない。
そもそも当時はミワたちも鉱山に登っていたのだし、鉢合わせだってしていてもおかしくなかったはずなのだ。
いくら同行していた半魔のガイナたちが戦えると言っても、ランクAの魔物でどうにか辛勝、S以上になれば完全に歯が立たない。となれば、これまで彼らの手で落ちてくる魔物を討伐できていたと考えるのは無理がある。
つまり、以前はバラン鉱山にこんな高ランク魔物は落ちてきていなかったと考えるのが自然だ。
(……となると、俺たちが祠を開放した後に、何かが原因で現れるようになった、ということか?)
それもまた本末転倒な話ではないかと、レオは首を捻る。
精霊の祠が開いてその土地にマナが満ちれば、本来その近くにランクの高いゲートはできにくくなるはずなのだ。そのはずだ。
この答えを、目の前の古竜はくれるのだろうか。
まあどちらにせよ、彼と話さねばならないことはまだある。
レオは結局使わなかった剣を鞘に収め、グラドニの食事が終わるのを待つことにした。
(……それにしても、これだけの圧倒的強者なら、ガラシュなんてひとひねりにできそうだな)
食事にいそしむ古竜はリラックスしているだろうに、それでも醸す威圧感がすごい。レオとは全く異質の強さだ。
大精霊とほぼ同等の力というが、肉体があるだけでこれほど印象が違うものかと、レオは興味深く眺めた。
(気分屋だと言いながら、この力をして歴史上の大きな事件にほとんど絡んでいないということは、思いの外自制の利く男なのかもしれん。……となると、直接的な助力は期待できないだろうな)
まあレオとて、グラドニにガラシュを倒してくれなどと頼む気は毛頭ない。これだけ大きな力が動くと、必ずどこかに歪みが生まれるからだ。
確実に弟を護る筋道を立てるためにも、レオは想定外というものはできるだけ出したくなかった。
と、そんなことを考えて待っている間に、ゆっくりと雲が晴れて陽が差してくる。
目の前の古竜も食事を終えたようで、満足げにゆったりと尻尾を振ると、人型へと変化した。
グラドニは一度何かを確認するように空を見上げ、それからくるりとこちらを振り向く。
「どうじゃ。うぬも見たろう、魔物が落ちてくるのを」
「それは見たが……一体どういうことなんだ?」
「答えは簡単じゃ。上を見るがいい。少し目をこらす必要があるがの」
上、と言われて、レオは雲の隙間から現れた青空を見上げた。
すると遙か上空に何かが浮かんでいるのが見えて、目を眇める。
一瞬鳥かと思ったけれど、違った。その場から動く様子もないし、当然羽ばたきも見えない。
では何かとさらに手をかざしてよくよく見ると、レオははたとその形状に思い当たった。
「あれ、もしかしてゲートか……!?」
「そうじゃ」
半信半疑で口にした回答に、グラドニはあっさりと頷く。
そして、そのまま言葉を続けた。
「あれはランクSSSのゲートじゃ。当然封印術式も施されていないから、魔物が時々ころころと落ちてくる」
「ランクSSSだと!?」
レオは唖然とグラドニを見る。
ランクSSSは、世界で最難関ランクのゲートだ。それは王都の近くにただ一つだけ存在し、今は王宮魔導師によって厳重に封印されている、はずなのだが。
「……この世界に、二つ目のランクSSSのゲートが現れたということか……!?」
「そういうことじゃな。……さて、わしがここにおるのは食事のため、と言ったが、どうじゃ? あそこから零れた魔物を食っている、この状況でもわしがここにいる意味はない、愛し子に会わせたくないから去れと言うか?」
「くっ……」
その必要性は、考えるまでもない。
正直、ここにグラドニがいなくなったら間違いなくラダは滅ぶ。
ラダだけではない、次々と排出される高ランク魔物によって、エルダールのほとんどの街村は滅ぼされるだろう。
さすがに弟と古竜を会わせたくないだけで、そこまでの被害を出すほどレオは考え無しではない。それに、万が一そうした後でユウトにバレたら軽蔑されてしまうと思えば、何も言えなくなった。
それでももしグラドニをここから移動させたければ、後はあのゲートを攻略して消滅させるしかない。が、それもまた難儀なこと。
レオは自身にとって都合の悪い展開にあからさまに顔を顰め、喉の奥で唸った。
「……あのゲートは封印できないのか?」
「人間がどうやってあの位置に行って、どう付呪をするというのじゃ。術式を定着させておく場所がないじゃろう」
「つか、そもそも何であのゲートは宙に浮いてんだよ。あれは一体いつ現れて、いつ開いたんだ?」
「はは、いつ現れたかなどと、それを正確に答えられるのはわしではなくうぬらじゃろうて」
「……は? 何だって?」
問い掛けに返ってきた言葉の意味をはかりかねて、レオは怪訝な顔で問い返す。
するとグラドニは、「続きは中で話そう」と家に向かって歩き出した。




