虚空の記録、その知識
「まず、ジードさんの好きなことを教えてもらって良いですか?」
「す、好きなこと……?」
ジードの理想の世界を模索するため、ユウトが紙とペンを用意してそう問い掛けた。
しかし彼はそもそも自分というものにあまり注意を向けたことがなかったらしく、そんな簡単な問いにもすぐに詰まってしまう。
すぐに困ったように眉間にしわを寄せた。
「……分からん」
「んー、じゃあ、好んで食べるものは? あ、吸血鬼の一族ですし、やっぱり血とか?」
答えを出せないジードを、ユウトは呆れることなく、丁寧に誘導する。
こうしてジードのパーソナルな部分に自分から興味を持ってみせるのも、その心を開かせるのに有効だ。
ユウトがそれを狙ってやっているのかは分からないが、さすが姫、人(半魔)心掌握を心得ている。
「……血は、必要だから摂取しているだけで、好きかと訊かれると違う気がする。今は以前ほどの吸血衝動がないし……ああ、以前食したこの世界の桃とかいう果実はいくらか美味だったな」
「桃ですか! 甘くてジューシーで、僕も好きです。確か、テムの村で作ってたはず……。今度お土産に持ってきますね。えーと、ということはジードさんは甘い物が好きなのかな。お酒とかはどうですか?」
「酒は研究の時に思考がまとまらなくなるからあまり飲まん。あってもほんの時々、寝る前に軽く蜂蜜酒を飲む程度だな」
「あ、でもそれなら甘い物好きは確定ですね! ジードさんの好きなものひとつ見付けちゃいました」
ユウトはそう言ってにこりと笑うと、手元の紙に書き込んだ。
「あと、本とか研究とかは好きですよね?」
「好きとか嫌いとかで考えたことはないが……まあ、言われてみればそうかもしれん。本は時間を忘れて没頭できるし、得た知識は私を裏切らぬ資産になる。それを使って術式を練る時の没入感は……多分、好きだ」
「ジードさんは根っからの研究者気質なんですね」
なるほど、この気質だからこそ、彼は公爵という爵位に興味がないのだろう。クリスは納得する。
他の兄弟たちはその爵位が持つ権力を欲しがったが、ジードは知識という資産に重きを置いているのだ。
今だって彼は男爵という爵位だが、自分からその地位をひけらかすことなど全くなかった。ジードにとっては公爵家の権力なんて誇るものではなく、責任が伴うだけの煩わしいものなのかもしれない。
「ジードさんは主にどんな本を読むんですか?」
「魔法技術書がメインだ。他に、種族別の術式構造を研究した本や魔法工学、古代の魔方陣についての考察本も読む」
「研究に直接関わりそうなものしか読まない感じですか? 英雄譚とかはどうです?」
「あの類いは話を面白く見せるための捏造が八割だ。主人公の行動原理も全く理解不能で、読む気も起きん」
「あれは、そういう部分も含めて楽しむものだと思いますけど……」
共感や憧憬を狙う、物語的な情操に訴えかけるものに興味を示さないあたりはジードらしい。
そう考えつつも、実は自分もそのタイプだとは口に出さないクリスだ。
「私が過去から学びを得るなら、そんなものよりも史実に基づいた歴史書か、叶うなら……虚空の記録が読みたいところだ」
「ほう、ジードさんも虚空の記録に興味が?」
しかし次のジードの言葉で、思わず口を出してしまう。
虚空の記録は、この世界に関する過去から未来、全てのデータが収まっている、クリスとしても何とかして拝みたいデータなのだ。
人間界の知の集合体。
それをジードも狙っていたとは。
「虚空の記録……。それって、賢者の石っていうアイテムがないとアクセスできないって聞きましたけど」
「そうだ。もゆるも知っているのだな」
「……ジードさん。しかし貴方はそんなことをしなくても、魔界の方で魔界図書館にアクセスできるはずですよね? 何でわざわざ虚空の記録にもアクセスしようとしてるんです?」
虚空の記録は当然ながらこの人間界のデータだ。ジードにとってはさして必要性があるとも思えないのだが。
そう思ってクリスが訊ねると、彼はふんと鼻を鳴らした。
「魔界図書館はルガルに管理されていて、アクセスできるのはほんの一部だ。頑張って入り込んだところで、深層の核の部分には届かん。それなら深層に触れるため、管理者不在の虚空の記録を探した方がいいだろう」
「……深層? それはどういう……?」
「世界が存在する礎、世界を成り立たせるための理。全ての原点となる、常人には理解し得ぬ混沌とした知識だ。これに関しては、魔界も人間界もほとんど変わらぬ構造をしている」
そういえば、魔界とこの世界は対の存在だと聞いたことがある。
その言葉が確かならば、過去から未来の人類史はどうあれ、世界を作るベースとなる情報は魔界と被るところが多いのだろう。
ジードから見れば、それだけで十分手に入れる価値がある知識なのだ。
……しかしさすがのクリスも、これは手放しに協力、応援できることではなかった。賢者の石で虚空の記録にアクセスできるということは、同時にそれを書き換えることもできるからだ。
もちろん無条件にできることではないが、それでもその権利をジードに与えることは、大きなリスクだった。
まずは慎重にその意図を探らなくては……。
そうして視線を伏せつつ、その方法を考えようとしたクリスの隣。
不意に、まるでジードを疑わないユウトが、何の躊躇いもなく核心に迫った。
「ジードさんは虚空の記録にアクセスして、何をしたいんですか?」
他意がないからこその直球の質問。さすがユウトである。
そう、重要なのはこの答えだ。
少しでも悪心を覗かせるようなら、世界のデータは絶対に彼の手には渡せない。
クリスはジードの答えを注意深く待った。




