弟、いちゃいちゃ認定に拗ねる
午前中に王都の自宅に戻ったレオたちは、荷物を置くと一旦ダイニングテーブルの椅子に座って一息ついた。
のんびりしているわけではない。
もちろん本来ならすぐにでもクリスの拠点に向かいたいところなのだが、しばらくはここで待機しなくてはいけないのだ。
レオたちには、ここで出迎えるべき相手がいた。
「あ、飲み物淹れるのにお湯多めに沸かしておこうかな。えっとお茶菓子も……あー、買い置きしてなかったなあ……」
ユウトが少し落ち着かない様子でお茶の準備をする。
そしてお茶菓子を探して劣化防止BOXを開け、小さな包みを取り出した。
レオが見覚えのあるパッケージ。思わずそれに目を瞠る。
「ね、レオ兄さん、これお茶菓子として出していい?」
「ばっ……ユウト、それはお前が『いい兄さんの日』に俺のために作ってくれた甘さ控えめココアクッキーだろうが! 一欠片ずつ大事に食べているというのに!」
そう、それはユウトが毎年くれる『いい兄さんの日』のプレゼントの、今年の分だった。誰に譲れるわけもない。
「あれ、これ食べてたの? 全然減らないから口に合わないのかと思ってた」
「お前の愛情調味料入りの菓子が、俺に合わないわけがないだろう!」
「……うん、……まあ、そっか。そうだよね」
レオの断言に、ユウトが一瞬間を置いてから、もじもじと頷く。
てっきり全然減っていないと思い込んでいた自作のクッキー。それを兄がちゃんと食べていると知った弟は、どこか嬉しそうだ。
「レオ兄さんが食べてるの知らずに、お茶菓子として出そうとしてごめんね?」
「……分かればいい」
ふにゃりと頬が緩んでしまったユウトに、もちろんレオはすぐに絆されて機嫌を直す。
まあ、これで大事なクッキーは守れたのだから問題ない。
そう思ったのだが、なぜかユウトはその包みを劣化防止BOXに戻そうとしなかった。
代わりに、傍らに置いてあったポーチから巾着を取り出す。
あれは、入れて叩くと中身が増える巾着だ。
「じゃあ、これで増やして出すことにするね」
「待てユウト! 叩いたらクッキーが割れるだろうが! それに増えてもそれは俺のためのクッキーだぞ! 俺以外の人間が食っていい道理がない!」
レオは素早く椅子から立ち上がると、ユウトの手から巾着とクッキーを取り上げた。
大人げないと言われようが知ったことではない。
これは兄の当然の権利である。
「ちょっと、もう! ライネル兄様に作ってたら『俺にも作れ』って言うから作ったけど、元々レオ兄さんお菓子あんまり好きじゃないじゃん! 増やしてお茶菓子にするくらい大目に見てよ!」
「ユウトの愛情調味料入りなら食うって言ってるだろうが! つうか、どうせあいつが来てもゆっくりなんてしていられないんだから、茶菓子なんていらん!」
「そうですね。ユウトさん、私のことはお気になさらず」
ユウトと揉めていると、不意に第三者の冷静な声が差し込まれた。
二人ははたとそちらを見る。
そう、たった今、この男はこの場に転移してきたのだ。
その姿を見て、ユウトが声を上げた。
「ウィルさん!」
「こんにちは、お久しぶりですユウトさん」
ジラックからレオたちの家に直接転移してきたのはウィルだった。
挨拶を要しないレオは気にせず、ユウトに挨拶をする。
シャツとスラックス姿の彼は少しやつれて目の下にクマができていたが、思ったよりは元気そうだ。
いつも通りの無表情、そしてピッとした姿勢。ネイの報告通り、瘴気に冒されている様子は微塵もない。
「ネイさんは一緒じゃないんですか?」
「ネイさんは転移魔石がカツカツで、ここに来る余裕がありませんでした。私だけここに飛ばして、彼は他の方とクリスさんのところに転移した模様です」
ジラックに向かう時に1個、ウィルをここに寄越すのに1個、魔研の拠点からキイとクウのところに戻るのに1個、彼らと王都に飛ぶのに3個……。なるほど、ネイの持つ6つの魔石はこれで全部だ。
ネイは王都に飛んだ後に、クリスの家を知らないキイとクウと待ち合わせて、一緒に連れて行かなくてはいけない。ウィルの護衛にまで手が回らないのだ。
それならウィルを安全なレオたちの家に転移させれば、自分が付いていかなくても大丈夫だと考えたのだろう。
「ともあれ、いきなり室内に現れるという不躾な来訪、失礼しました。どうぞ私のことはお気になさらず、いちゃいちゃして下さい」
「別にいちゃいちゃしてたわけじゃないんですけど……」
「お前が来ることは事前にネイから書簡が来て知っていた。問題ない。まあ、いちゃいちゃはするが」
「えええ? ……いちゃいちゃしてたわけじゃないよね?」
「……アアン?」
椅子の上でここまで完全に傍観していたエルドワに弟が訊ねたが、『どこがいちゃいちゃしてないって?』みたいな表情で返された。
「納得いかない……」
「むくれてないで、とりあえず茶くらいは淹れてやれ。いちゃいちゃするのはその後だ」
「いちゃいちゃしてないし、この後もしないもん!」
ユウトは拗ねつつもお茶の準備をしにキッチンに向かう。
何はともあれ、クッキーは死守できたからひとまずは安心だ。
レオは包みを劣化防止BOXに戻して、再び椅子に座った。同時に、ウィルにも向かいに座るように目で促す。
こちらの意図を当然のように読み取った彼は、一つ礼をして席に着いた。
「ネイさんの話では、クリスさんのところに着いた後、こちらに向かって馬車を出すそうです」
「そうか。……しばらくお前には隠れてもらうことになるが、その辺の話は?」
「承知しています。ここに直接転移してきたのも、誰にも見つからないためですし。……ここから馬車に乗って、クリスさんの拠点に移るのですね?」
「そうだ。あっちには常に誰かがいるから比較的安全だし、クリスの持つ本が大量にあるし、退屈はしないだろ。もちろん不自由だろうが、建国祭までは我慢してくれ」
クリスの持つ本は特に珍しいものばかりだ。魔界語の本が大多数だが、ウィルならきっとすぐに文字や文法などは覚えられる。いい暇つぶしにはなるだろう。
そう考えて告げると、彼は一度頷いてから、少し思案するようにあごに手を当てた。
「クリスさんの持つ書物にはとても興味があります。……ですが、今はジアレイスの書棚で手に入れた知識をまとめてしまいたい。隠れている時間があるのは、却ってありがたいかもしれません」
「ジアレイスの書棚……?」
「魔研の人間と私の四人だけしか入らない秘密の拠点に、わざわざ鍵付きの書棚と共に持ち込んだ書物があったんです。それをネイさんに開けてもらって、昨晩読み込んできました」
「本当か!?」
ネイからの報告で、ウィルが魔研の書物を一通り読んで帰るという話は聞いていた。
しかし、そこまで重要な書物の情報を持って帰ってくるとは思っていなかった。
わざわざ貴族居住区地下から移したのだろう、書類の数々。
その内容、是非とも聞いてみたいところだが。
「お待たせしました。コーヒーだと胃に刺激が強いかと思って、ハーブティーにしたけど……ウィルさん、苦手じゃなかったですか?」
「大丈夫です、家でもよく愛飲していましたので。私の身体を気遣って頂いて、ありがとうございます」
「やっと戻って来れたんですし、本当ならもっとおもてなししたかったんですけど……すみません。レオ兄さんにはコーヒー。エルドワにはミルクね。温めてあるから気を付けて飲むんだよ」
「アン」
そうしてみんなに飲み物を配った後に、ユウトも自分のカフェオレを持って椅子に座った。
……弟のいるこの場所で、これ以上ウィルから話を引き出すのは得策ではない。
レオはそこで話を切り、コーヒーに口を付けた。
もちろんそれを察したウィルも、余計なことは口走らない。
話は、クリスも含めて向こうの拠点に行ってからだ。
そう考えて無言になった兄の隣で、弟がほっと一息ついた。
「それにしても、ウィルさんが無事に戻ってきて良かったです。心配したんですよ」
「はい、申し訳ありません。しかし、どうしても魔研側に一度行ってみたかったもので」
「……ん?」
「最初からあちら側が私を瘴気中毒に掛けて操ろうとしていることは気が付いていたのですが、それを告げるとレオさんたちが対策をとってしまうでしょう。その後に無理矢理連れ去られた場合、閉じ込められる可能性が大きい。なので、つい内緒でついていってしまいました。操られたふりをして潜入した方が幾分自由に動けますから」
「え、ちょ、待って。ウィルさん、最初からついていくつもりだったんですか……!?」
ユウトが信じられないといった様子で唖然としている。
自分で魔研に付いていったというのは分かっていたが、そもそも最初から行く気満々だったとは。
「……道理で悠長に冒険者ギルドに休暇願なんて出してるわけだ」
「私が姿を消した時に勘付いて頂けるように色々ヒントを残していったのですが、さすが正確に理解して救いに来て頂けて、助かりました」
「な、なんて危険なことを……」
ユウトはその無鉄砲さにわなわなしているが、レオは呆れつつも彼の度胸に感心した。
彼は自分の観察眼に自信を持っており、ジアレイスたちを欺き通せると自負していたのだろう。そして、レオたちが必ず助けに来てくれると確信もしていた。
「……全部思惑通りか。お前は本当に底が知れない奴だな」
「全部というわけではありません。ただ、彼らが私を害することがないのは分かっていましたから」
「それでも、悪い人にのこのこついていくなんて! 小さい頃、怪しい人にはついて行っちゃいけませんって言われたでしょ!?」
ご立腹のユウトに、ウィルは無表情だが真摯に謝罪する。
「ご心配をおかけしたことについては、本当に申し訳ありません。……ただ、どうしても行って確認したいことがあったので」
「……確認したいことだと?」
そうだ、そもそも危険を冒してまでジアレイスたちについていくということは、相応の目的があったということ。
その言葉にレオが問い返すと、ウィルはじっとこちらを見据えて、それから静かに口を開いた。
「……私は彼らに、『ついてくればアレオン殿下に会える』と告げられていたのです」
 




