兄、発狂寸前
「な、何でもするだと……!?」
「はい。僕にできることなら」
なぜか妙に動揺するジードに、ユウトは警戒心もなく頷く。
ユウトとしては、レオたちの命を救うためと考えれば当然の対価なのだ。特に驚くようなことではない。
自分にできることなんて微々たるものだし、命を落とすこと、悪事に荷担することを除いてなら、何だってするつもりだった。
しかし、言われたジードはまた困惑している。
「もゆるには危機感というものがないのか……? この私にむざむざと主導権を握られに来るとは……」
「危機感がないわけじゃないですけど……。でも、何となく、ジードさんが僕に酷いことをさせるひとじゃないって思っているので」
「……もゆるの目はとんだ節穴だな。……今まで、私と相対してそんなことを言う者などどこにもいなかった」
「そうなんですか? 僕、結構ひとを見る目はあるつもりなんだけどなあ」
ひとを見る目、というか、ユウトは相手が自分に害意を持っているか好意を持っているかが何となく分かるのだ。
それはレオも認めていて、だからこそこれまでユウトが親しくなった相手は、兄も仲間として受け入れてきていた。
この直感は、今まで外れたことがない。
そして今、ユウトがジードから感じるのは好意だ。
彼自身が善人なのか悪人なのかは別として、しかし少なくともユウトの敵ではない。
「じゃあジードさん、僕に何をさせますか?」
「……酷いことしか思い浮かばん。これを聞いたら、もゆるもそんなのほほんとした顔をしていられなくなるだろう」
「そうなんですか? 酷いことって、たとえば何を?」
「……だから、それを言ったら、もゆるが私を恐れるようなことだ」
そこまで言っておきながら、具体的なことをユウトに告げる気はないようだ。
それはつまり、ジードがユウトから恐れられたくないと思っているということ。
今まで復讐に囚われてきた男の脳裏には、実際酷いことしか浮かんで来なかったのだろうけれど、それをユウトに適用しようなんて考えていないということだ。
ジードは慣れない感情を持て余している様子で、どうしたものかというように頭を掻き、やがてため息を吐いて首を振った。
「……別に、もゆるのような小娘を痛めつけたところで何の得もない。君には降魔術式から救ってもらった恩もあるし、この罠の解呪は私にも利あることのようだし、高い対価は要求せずにおいてやろう」
「ほんとですか? ありがとうございます! やっぱりジードさんはいいひとです!」
「……全く、そんな見当外れなことを言うのはもゆるだけだ。私を肯定し、感謝の笑顔を向けるなど……本当に、おかしな奴だ」
呆れたような言葉には、まるでとげがない。
それにユウトがツインテールを揺らし、にこりと微笑む。
「他の誰がどう言おうと、僕のジードさんの印象はこれで間違いありませんもん」
「くっそ、かわ……じゃなくて、そんな認識で後で後悔しても知らんぞ!」
どこか逃げるようにそう吐き捨てると、ジードは踵を返して放置されていた術式のもとへと移動した。
そして改めて監禁の罠の術式を確認する。
ユウトもそこに近付き、そのまま解読を始めたジードの後ろから覗き込んだ。
「これは……なるほど、元々は万が一私が術式を解呪した時用の罠だったのか。中からの脱出法をことごとく塞ぐことに比重を置いて、外部からの干渉への守りは薄い……。中からさえ出られないようにすれば、私には外からの助けなどないと分かっているからか。忌々しい」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、男は術を読み解く。
その手元を見ても、ユウトにはさっぱりだ。
「根幹の作用部分だけ一族の構文を使っているのは、守りの薄さを補強しつつ自分だけが操作するため……。私がいない前提の術式だから、もう罠は掛かっていない」
「……ジードさん、解呪できそうですか?」
「ああ、問題ない。私なら簡単に解ける。……だが、その前に」
ジードは一旦手を止め、ユウトを振り返った。
「おそらくこの罠に掛かっているもゆるの仲間の中に、私と相容れない者がいるのだ。それをどうにかせんといかん」
「……相容れない者?」
「罠を解いた途端にそやつに襲われたらたまったものではない。何か対策を立てないと解呪は……」
「あ、だったら僕が事前に兄さんたちに連絡を入れておきます」
ジードの言う相容れない者とは何なのかよく分からないけれど、もしも彼がせっかく罠を解呪してくれても、ユウトの仲間との間で間違いがあったら大変だ。
すでにレオに連絡を入れる予定だった三十分はゆうに過ぎている。というかもう一時間以上経っている。
レオが心配しているだろうし、救出できる目途が立ったことも伝えなくては。
ユウトは急ぎ通信機を手に取った。
「……連絡が遅い! これは、間違いなくユウトに何かあった!」
「レオくん、落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか!」
罠で閉じ込められた空間の中、レオはかなり取り乱していた。
何もないのにユウトが約束の時間を守らないなんていうことはありえず、だからといって何があったのか確認しに駆けつけることもできない。
気が狂いそうだ。
そんなレオを宥めながら、クリスがヴァルドに声を掛けた。
「確かにここまで連絡がないとなると心配だね。……でも、聖域の術式の中にいるなら降魔術式に掛かったわけはないし、ジードと会ったと考えるのが妥当かな?」
「おそらくは。聖域の中に入っていてもその芳しい匂いは広がりますし、ジードに発見されたと考えていいでしょう。……あの男なら、私が放置してきた術式の方に気を取られているかもしれませんが」
「そのジードがもしも降魔術式で囚われたら、私たちとしては万事休すだよね……」
その最悪の展開を考えて、クリスは眉を顰めた。
ユウトに会えないと確定した時点で、レオの精神状態がどうなるか想像も付かない。まあ、とんでもないことになるのだけは確かだ。
「ジードと上手く交渉できているならいいけど……。あ、もしかしてユウトくんが血を吸われちゃったりしない? 良い匂いしてるっていうし、眷属とかにさせられたら……」
「ユ、ユウトがジードの眷属だと……!?」
「大丈夫です、レオさん。それはない。ユウトくんの血は聖属性が強く、奴らの吸血衝動が起きないのです。そもそも吸血鬼にとって聖属性は毒ですし。私は吸血鬼殺しゆえに偏食ですが」
「心配しなくてもユウトの匂いを嗅いだら、半魔ならユウトを支配するよりも護りたくなる。おそらくジードもユウトのために動く」
エルドワは鼻がいいぶん、ユウトの匂いの効果をヴァルドよりも把握しているようだ。
確信したようにそう言うと、腕を組んだ。
「ユウトは護られることで半魔を強くする。だからみんな、ユウトに惹かれる。時には人間だって」
「護られることでひとを強くする……」
……以前、どこかで聞いた気がする。
エルドワの言葉に、レオがふと何かを思い出しかけたところで。
レオの胸ポケットから、通信機が待ちわびた着信を知らせた。




