兄、出口のない空間に閉じ込められる
暗くて周囲が全く見えない。
それでも地面に触れている感覚や、クリスたちがいる気配はある。
みんなまとめて、どこかに飛ばされたのだ。
レオは暗闇の中で上体を起こすと、ポーチの中から手探りで暗視眼鏡を取り出した。だいぶ前にもえすで作ってもらっていたものだ。
その眼鏡を掛けて、レオは周囲を見回した。
どうやら自分たちがいるのは、それほど広くない空間のようだ。そこにクリスたちが転がっていた。
「みんな、無事か……?」
「エルドワは平気」
「私も問題ないよ。ヴァルドさんは?」
「大丈夫です。ダメージを食らう類いの罠ではないので。……ただ、厄介なことになりました」
ヴァルドが起き上がって床を触り、それをコンコンと叩く。
闇の眷属である彼は、この状況でも周囲が見えているようだ。
ヴァルドはぐるりと頭を巡らして、深いため息を吐いた。
「魔界の鉱石で作られた密閉檻……さて、どうしたものか……」
「ここ、空気も魔力も全く流れてない。おそらく出入り口が存在しなくて、外部と完全に遮断されているんだと思う」
「出口がないのか。それは確かに厄介だね。……ええと、ちょっと待ってね。こんな真っ暗じゃ状況把握できないから……みんな、ちょっと眼を瞑ってて」
クリスはごそごそとポーチを漁る。
そして何かを探り当てると、それを手で掲げ持った。魔石だ。
「ブライトリング!」
彼が唱えたのは魔法照明だった。途端に周囲が明るくなる。
それだけで何だか、息が詰まるような感覚が少し減った気がした。
レオは暗視眼鏡を外すと、小さく息を吐く。
「……明かりがあると幾分ほっとするな」
「もゆるちゃん……ここではもうユウトくんでいいか。彼にはマメにこの手の魔法を補充してもらっているからね。私はここだと瘴気を吸うだけで魔力に変換できて、魔石に魔力補充ができるから燃料切れの心配もないし」
「ユウトの魔法か……」
だから何となく温かい感じがするのかもしれない。
そんなことを考えていると、エルドワがレオをじっと見つめて首を傾げた。
「……レオ、大丈夫?」
「何がだ?」
「ユウトと離れた空間に来ちゃった」
「……ああ」
以前バラン鉱山でユウトが別世界に飛ばされた時のレオの取り乱しっぷりを、エルドワは知っている。
ユウトは勘付いていなかったけれど、血の臭いやネイに付いた刃創を見たこの子犬は、明らかにそれを察していたのだ。
だからこそ、唐突に引き離されたことにレオが暴れ出したりしないか心配だったのだろうけれど。
「……今は平気だ。まだ、な。危機的状況なのはこっちだし、ユウトが安全な場所にいることも分かっている。……だからお前だって落ち着いてるんだろ?」
「うん。とりあえず、ユウトがあの聖域の方陣に入っている間は何があっても安心。……でも、レオが帰れないと今度はユウトの心が乱れる」
「そうだな。……ヴァルド、あんたは召喚を解除して一旦戻れないのか?」
安全なところにいるといっても、やはり弟を一人で置いておくのは少し不安がある。
ヴァルドだけでもユウトの側にいれば、だいぶ安心できるのだが。
そう思って訊ねると、彼は首を振った。
「この中からは、いかなる手段を持ってしても外に出る術はありません。もちろんですが、転移魔石も使えません」
「いかなる手段を持ってしてもって……じゃあ、俺たちはどうすりゃいいんだ」
「どうもできません。我々がこの中でどうあがいても無駄です」
「何だ、そりゃ……」
レオは絶望にも似た気持ちで途方に暮れた。
このどことも知れない隔絶された空間で、助かる見込みもなく無為に過ごすしかないというのだろうか。
このまま飢えるか、瘴気に含まれる酸素がなくなるか、ユウトに会えなくて気が狂うか、いずれにしろ死を待つ以外ないなんて耐えられない。
「待って、レオくん。ヴァルドさんの言い方だと、中からは何もできないけど、外からは助けてもらえるってことじゃない?」
「……外から? そうか、我々が中でどうあがいても無駄だが、外からこの空間に干渉はできるということか……!」
それなら最初からそう言えばいいものを。
その真偽を確認するようにヴァルドを見ると、彼はあまり浮かない顔をしつつも頷いた。
「そうです。その点でいうと、ユウトくんだけでも外に残ってくれて、我々には幸運だったと言えます。ですが……」
「レオ、だったらユウトに通信機で連絡してみたら?」
「ああ、そうだな」
ヴァルドはまだ何か懸念を抱えているようだが、レオはエルドワに促され、構わず胸ポケットから通信機を取り出す。
レオの現在地はやはり地図上にないところだ。
その画面から通話画面に切り替えて、レオはユウトとの通話ボタンを押した。
……しかし、呼び出し音は鳴らず、うんともすんとも言わない。
故障、ではないだろう。
おそらく、外へのSOSも遮断されているのだ。どうあがいても無駄、とはこういうことか。
離れていてもせめて弟の声を、と期待していたレオは、酷く落胆した。
「ユウトの声も聞けんのか……生きる気力が失せる……」
「あ、レオが一気にやつれた。生きろ」
「やはりこちらからの外部との接触は不可ですか。しかしユウトくんなら……」
「えっ」
その時レオの手の中で、うんともすんとも言わなかったはずの通信機が着信を告げた。
もちろんユウトからだ。
「ユウトくんなら、きっと向こうから連絡が来ると思いました」
「なるほど。中から外に向かう通信は不可だけど、外から中に向かう通信は可なんだね」
「レオ、早く出て」
「分かっている!」
レオはわたわたと慌てて通話ボタンを押した。
『もしもし、レオ兄さん!? 無事なの? みんなは?』
「ユウト……!」
その姿が見えないとついもゆると呼ぶのを忘れてしまうが、今はひとまずどうでもいい。
弟の声が聞こえたことで、生きる気力が湧いてくる。
ユウトの方も、兄の声を聞いて多少安堵したようだった。
「俺たちはみんな無事だ。だが、よく分からん空間に閉じ込められてしまってな……」
『閉じ込められてる? え、それってどうにかして出られるの?』
「いや、それが、お前の力を借りないといけないようなんだが……ええと」
そこまで言って、実際何をしてもらえば良いのか分からずにレオはヴァルドの顔を見た。
すると彼はまた、思案するような様子で一瞬黙り込む。しかしすぐに視線を上げると、レオに指示を出した。
「……とりあえず、まだ話がまとまっていないので三十分後くらいにもう一度ユウトくんの方から連絡を入れてもらうよう伝えて下さい」
確かに、このまま通話しながら話をまとめていたのでは、通信機の魔力が尽きてしまう。一度切るべきだろう。
レオはそれに頷いて、ユウトに告げた。
「ユウト、三十分後くらいにまたそっちから連絡を入れてくれ。こちらからは繋がらないんだ。それまでにヴァルドたちと話をまとめておく」
『ん、分かった。僕にできることなら何でも言って。何だってするから』
「ああ、よろしく頼む。だが俺以外の奴には軽はずみに『何でもする』とか言うな。危ない」
『? 分かった』
多分分かってないがまあいい。
レオは一旦通話を切った。
「外部との通信手段があったのは僥倖だね。やはりユウトくんがいると幸運値が上がるんだなあ」
「それは完全同意します。……ただ、問題はここからなんです」
「ヴァルド、あんたはさっきから何か懸念があるようだな? 何があるんだ?」
この罠について一番詳しいと思われるヴァルドは、ずっと深刻な顔だ。まあ、ここからの脱出が一筋縄ではいかないということなのだろうけれど。
眉を顰めて訊ねるレオに、ヴァルドは何度か逡巡し、しかしようやく重い口を開いた。
「我々がここから脱出するためには……ユウトくんにジードを手玉にとってもらうしかないかもしれません」
「……は?」
至極真面目な顔で、何を言っているんだ、こいつは。




