兄弟、リインデルでクリスを探す
「なるほど、視覚誤認か……」
試しに近くにある柱の燃えかすを触ってみる。
それを何カ所か繰り返してみて、レオは確かめるように自身の手をじっと見た。
そんな兄に、弟が首を傾げる。
「……どうしたの? レオ兄さん」
「見ろ、ススが手に付かない。本当に見た目をごまかしてるだけの術式だ。精緻さの欠片もない」
「……あんまり術が得意じゃない人が掛けた術式なの?」
「それはどうだろうな……。完璧に見る者を騙す視覚的な目的よりも、それによって中のものの気配を感知させなくすること自体が目的なのかもしれん」
「それって、バレるの承知で掛けた術式ってこと?」
「そうだ。……それでも当初は作られた景色と実際の景色がほとんど重なっていたはずだから、昔のクリスにも分からなかっただろうが」
何にせよ、この視覚誤認の術式を掛けた者が、この村に何かを隠していることは間違いない。
「バレバレの視覚誤認の術式でも、解けなければ実際の村に隠されているものを見付けることはできない。術者はそれを分かって、大した労力も掛からない見た目だけの術を掛けているんだろう。……この様子を見る限り、最初に一度掛けた術を放置しているようだしな」
「放置……。じゃあ、見張っているひともいないのかな。そもそもこんな瘴気の濃いところ、誰かが来るなんてことほとんどないだろうし」
「それもそうだな。……ん? いや、待て。だったらこの術式自体が……」
ユウトの言葉で、レオはその違和感に言葉を止めた。
そうだ、瘴気のせいで人間は普通ここまで来ることができない。
村に足を踏み入れたら、この景色を見る前に精神に異常をきたすはずだ。こんな視覚誤認は無意味。
……ということは、これは対半魔か、対魔物・魔族の侵入を阻むための術式と考えるべきか。
(三十年あまり前に掛けられて未だに継続してるってことは、今でも目くらましが必要だってことか? 放置とはいえ術者の魔力はこの間ずっと消費されてるはずだし、必要がなければ解除するよな……)
三十年以上前からエルダールにいる半魔といえばラフィールやヴァルド。アシュレイやガイナたちもおそらくそうだ。
だがヴァルドたちはリインデルに興味なんて持っていないだろうし、隣村にいるラフィールだってごく稀に様子を見に来る程度。そのために常時視覚誤認を発動させているのは、どう考えても魔力の無駄だろう。
つまりこの視覚誤認の術式は、それ以外の誰かを想定したものなのだ。
(……この術式は、特定の何者かへの対策か。となると、ここには見張りというより、別の目的を持った半魔か魔族が現れる可能性が高い)
とりあえず、魔物ということはないだろう。
このリインデルに隠されているのが書庫だとすれば、魔物が興味を持つものではないからだ。
魔族もエルダールにはあまりいないはずだが、このあたりは瘴気が強いから他の地域に比べればその数は多いに違いない。
こちらは選択肢から外すわけにはいかなかった。
(まずはクリスと合流して、少し意見を摺り合わせよう。あいつは昨日から村を調べていただろうし、何か気付いたことがあるかもしれない)
レオはそう考えて、先に行ってしまったエルドワを追った。
まあ追ったと言っても、かなり狭い村の中だ。少し歩けばすぐに子犬は見つかる。
エルドワは村の一番奥にある崩れたレンガ造りの建物の裏で、レオたちが来るのを待っていた。
「エルドワ、クリスさんは?」
「アン」
訊ねたユウトを呼ぶように一声鳴いた子犬は、村の裏にある森に入って行く。こっちに来いということらしい。
だがそこには瘴気のせいか妙に巨大で禍々しい草木ばかりが生えていて、正直ユウトを連れて入りたい場所ではなかった。
もしもあの縄みたいなツルが弟に巻き付いて肌に痕でも付いたら、兄としては大問題である。
考えただけでも許せることではないと、レオはユウトを村の中に留まらせようとした。
「もゆる、お前はここに残っていろ。俺とエルドワだけで行く」
「ええ、何で? 僕も行くよ。クリスさんが自分からこっちに来ないってことは、きっとこの奥で何かあったんでしょ」
「だからだ。危ないかもしれないから来るなと言っている。瘴気のせいで森の植物も変容しているんだ、何があるか分からん」
「アアン? ワウ、ガウ!」
「あ? 何だ、エルドワ」
森の手前でユウトを止まらせようとしていたら、なぜか引き返してきたエルドワに吠えられた。
どうやらレオがユウトを連れて行くまいとしていることに抗議をしているようだ。
「ほら、エルドワも僕に来るように言ってる」
「本気か、エルドワ? このシチュエーション、どう見ても魔法少女が入ったら動くツルに捕まって装備とかビリビリにされちゃう展開だろう」
「……アン?」
「……レオ兄さん……大丈夫? タイチさんから変な影響受けた?」
ユウトを心配してたのに、逆にこっちが心配された。
エルドワに至っては、何言ってるか分からないという様子だ。
かえっていたたまれないこの反応。
タイチがここにいたら間違いなく同意してくれるはずなのだが。
……まあ、それはそれで面倒臭そうだから黙っておこう。
「何にせよ、もえす装備だもん、心配しなくてもそう簡単にビリビリになったりしないよ。……それに、ここに一人で残るよりさ、レオ兄さんの隣の方が僕にとって安心じゃない?」
「……それは、確かに……」
弟に上目遣いに訊ねられて、レオはすぐに揺らいでしまう。
くっそ、これは明らかに分かってやっている。ユウトは、兄がそんなふうに可愛らしく頼られると弟を置いていくことができないと知っているのだ。
そしてその思惑が分かっていながらも、折れるしかないレオ。
だって可愛いからしょうがない。
「……仕方ないな。もゆる、俺から離れるんじゃないぞ」
「うん!」
許可を出すと、あざと可愛かった表情が、天使可愛いになる。
結局俺の弟は何をしても可愛いのだ。さすが、対俺用最終兵器。負けるしかない。
「じゃあ行こう。案内して、エルドワ」
「アン」
話がついて、ようやく子犬を先頭にして森の中を歩き出す。
するとすぐに、エルドワがユウトを来させた理由が分かった。
弟からにじみ出る聖属性のせいで、周囲の森の邪気が自然と払われるのだ。
森全体が、ユウトの存在に怯んでいるという気配。
当然、こちらに向かってちょっかいを掛けてくるような動きは見られなかった。
(なるほど、そういうことか。俺とエルドワだけだったら、ここを抜けるのは結構面倒だったろうな……)
おそらくユウトがいなかったら、全方位からツルや枝が伸びてきたことだろう。森にとって、レオたちは肥料みたいなものだから。
もちろん容易く捕まって養分になるような二人ではないが、進みは雲泥の差だ。
(クリスはこんなとこを一人で進んで、どこまで行ったんだ?)
わざわざこんなところに来たということは、何かから隠れるためだろうか?
……もしや、村に誰かがいた?
「ここ、ずいぶん急な坂になってるね」
「この先に、村全体を見下ろせる高台か何かがあるのかもしれないな」
「あ、そうかも。この坂は奥に向かわずに、回り込んで村の方に戻るみたい」
リインデルに視覚誤認が掛かっていると知れば、クリスは村の中を細かく調べても無意味だと考えたはずだ。
となればここを訪れるかもしれない術者を待って、村全体を監視しようとしたのかもしれない。
「村全体が見えるなら、僕たちが来たの分かるはずだよね。……それで来ないってことは、やっぱり何かあって足止めされてるのかな?」
「さあな。……あ、この先は開けているようだぞ」
鬱蒼とした森の中から、外の光が見える。
本意気で息を殺しているのか、未だその気配が見当たらないが、おそらくあそこがクリスのいる場所なのだろう。
そう思って森を出ようとしたところで。
「アンアン!」
「ん、どうしたの? エルドワ」
高台の開けた場所に出る手前で、エルドワが足を止めて鳴いた。
レオとユウトも足を止め、子犬が鳴く方角を見る。
そこには、大きな木とそれに絡まるツタ。
「アン!」
「エルドワ、この木がどうかし……って、ええ!? 何あれ!?」
その木を見上げたエルドワにつられてユウトも視線を上げる。そして、何かを見付けて素っ頓狂な声を上げた。
レオもまた、それを見上げて目を丸くする。
なぜなら大木に絡まったツタの先端に、緑色の袋状の大きなものがぶら下がっていたからだ。
形状的には見たことがある。
しかし、こんなに巨大なものは見たことがない。
「大きい……。これって、もしかしてウツボカズラ……?」
「……人ひとりくらい、余裕で入れそうだな……。まさか……」
そう呟いた二人の頭上で、風もないのに巨大なウツボカズラがゆらゆらと揺れた。




