兄、エルドワに監督される
階段の下に置いてあったじょうろは十リットルは入るかという大きな物で、そこになみなみと水が入っていた。
少しキラキラとした光が見えるのは、この水にも何か魔法が掛かっているからだろう。
レオはそれを持つと、二階へと階段を上がった。
もう眠っているに違いないユウトのことを考えて、じょうろ片手に静かにドアを開ける。
レオが戻ってくるのが分かっているからランプは付けっぱなしだったけれど、思った通り、すでに弟はベッドの上で寝息を立てていた。
ただ、さっきまでユウトの隣で丸くなっていたはずのエルドワがいない。
気配のする方に首を巡らして見れば子犬は起きていて、レオのベッドの上で少し不服そうに転がっていた。
「……エルドワ、もしかして下での話聞いてたか?」
「アン」
下での話……魔妖花の成育中は、エルドワをユウトの側から離せという話だ。
主人思いのエルドワはその話を聞いていて、ユウトのために自分からレオのベッドの方に移動したのだろう。素直で助かる。
レオはまずユウトのベッドの側にじょうろを置くと、エルドワの元に行ってぽんぽんと頭を撫でた。
「今晩だけの我慢だ。……俺が作業している間、近付かずにおとなしくしてろよ」
「アン」
頷く子犬を確認してから、レオはユウトの枕元の近くに小さなサイドテーブルを持って行く。それから部屋の入り口にある魔妖花を持ってきて、それに乗せた。
弟専用だという魔妖花は相変わらず甘い香りがしていて、ユウトを眠りに誘っている。
この分なら、少しくらいバタバタしても、弟が目を覚ますことはないだろう。
レオはすうすうと健やかに眠るユウトの頬をひと撫でしてから、魔妖花の施肥に取りかかった。
「……ええと、まずは葉や茎に直接付かないように、土の上に骨粉を撒けば良いんだったな」
手にしていた小瓶の蓋を開け、鉢の土を隠している根元の葉を持ち上げる。そこにマルチング用のバークチップが乗っているのを見付け、レオはとりあえずそれを一部だけ取り除いた。
まあ、これだけの隙間があればいいだろう。
ユウト以外に気遣いを発揮しないレオは、そのまま瓶をひっくり返して骨粉を土の上にぶちまけようとする。しかし、その直前に不意に後ろから声を掛けられた。
「……ちょっと待って。レオ、もしかしてそのまま一気に骨粉を入れようとしてる?」
「うん?」
子犬だったはずのエルドワが、わざわざ人型に戻っている。
それはつまり、レオに物申すためだ。
何か問題があっただろうかと、レオは首を傾げた。
「土の上に撒けばいいと聞いたぞ」
「そうだけど、普通一カ所にどさっとは入れない。ラフィールは魔法で土のバクテリアを活性して緩効性の骨粉を速効性に変えると言ってた。つまり骨粉がきちんと土に触れていないと上手く取り込まれていかないから、効率が悪い」
「あー……確かにそうか。だが、ラフィールはそこまで言ってなかった」
「ラフィールにとっては常識だから、わざわざ説明する意識がないんだと思う」
なるほど。
肥料のやり方を知らない人間がいることに驚愕していたくらいだから、レオの知識量のなさがどれほどかも計れてはいないか。
下での話を聞いていたエルドワも、おそらくそこのところに不安を感じて、わざわざ人化したのだ。
「……レオは植物を育てるために必要なものって分かってる?」
「水が必要なのは知ってる」
「他にももうひとつ、本当は日光が必要」
「日光って……今晩はもう無理だろ」
「うん。だけど、魔妖花は日光の代わりにユウトの魔力を浴びることで成長できる。つまり、ユウトは魔妖花にとっての太陽」
ユウトの魔力が太陽……魔妖花が育つための絶対必要条件。
ラフィールが言っていた、ユウトの魔力の影響下で作業をしろというのはそういうことか。水と肥料と太陽。これが揃うことで、魔妖花の結実を促すわけだ。
そしてラフィールやエルドワの魔力が横から介入してしまうと、ユウト専用としての魔妖花の結実を阻害する。だからこそ、レオにしかできない作業。
「……十分な成果を得るためには、全てを適切に与えろってことだな。じゃあこの骨粉は土に取り込まれやすいように少しずつ、茎を囲んで円を描くようにやればいいか?」
「うん、それでいい」
小さな子どもに了承をもらって施肥をする。
初めてのことというのは、何歳になっても不思議な感覚だ。
レオがぱらぱらと骨粉を撒いていくと、それは染みこむように土の中に溶けていった。
それを二周三周と繰り返し、小瓶の中が空になるまで続ける。
「……よし。骨粉全部撒き終わった。次は水……」
「レオ。その前に鉢を動かして」
「鉢を? 何でだ?」
「今、魔妖花の花がレオの方を向いてる。それをユウトに向けて。葉っぱも、そっち側のが多いから。……植物は、花も葉も太陽の方を向く。その方が太陽をいっぱい浴びられるから成長が早い」
「へえ」
エルドワはこういうことに関して色々知っているようだ。
どこで得た知識かと思ったが、考えてみればレオたちと出会う前はガイナたちといたし、アシュレイを手伝って畑仕事や庭仕事もやっていた。レオよりもずっとレベルが上なのだ。
おかげで口を出さずにはいられないのだろう。
まあ、植物に関して全くの門外漢のレオにとってはありがたい。
「もう水をやってもいいか?」
「うん。葉には掛けないで、根元に。……多分水をやるとすぐに大きくなるから、気を付けて」
「……気を付ける?」
「ツルに絡まれるかもしれない」
「ああ、そんなことか」
植物のツルに絡まれるくらい、どうということもない。
レオは大して気にもせず、じょうろを手にしてエルドワに言われた通りに魔妖花の根元に水をやった。
すると途端に植物の背丈が伸び始める。
成長に必要なものが全て揃ったからだ。
茎がみるみる太くなり、生き物のようにテーブルの上を這った。
「うわ、すごい勢いだな。つうか、この鉢十杯分くらいの水持ってきたのに、全部吸い込まれて下から出てこないんだが」
「うん。本来は十数日掛かる育成に使う水が、一気に吸い上げられてるから」
そう言っている間にも、どんどん魔妖花は大きくなっていく。
ぐんぐんとツルを伸ばし、ユウトの眠っているベッドを天蓋みたいに覆っていくようだ。
「……これ、平気なのか?」
「大丈夫。純粋なユウトの魔力で育ってるから。……ほら見て、全く敵意がない。レオも気付かないくらいに」
「ん?」
慣れない水やりに気を取られていたレオは、エルドワの言葉にはっとする。
……あれ? いつの間にやら、腰と足にツルが巻き付いているんだが。




