兄、恐ろしい術式の接近に気付く
無差別の攻撃魔法というが、厳密には違う。
ただ、味方でもユウトに愛情を向けていない相手ならダメージが行くということだ。
そのあたりの線引きがどこにあるのか、難しいところだけれど。
「俺やエルドワ、ヴァルドなんかは問題ないが、愛情量はどこまでが認定されるんだ? たとえば、ルウドルトあたりとか」
「ルウドルトさんは多分大丈夫。ええと、愛情って言うと少し重く感じるけど、僕を認識した上で好意的に見てくれている人は敵と見なさないんだ。攻撃対象は僕に対して悪意や害意がある人。その悪意の度合いによってダメージが変わるんだって」
「ほう」
それはつまり、周囲にいる者の選別ができるということ。
表面上善人ぶって近付いてきても、ユウトに対して悪意があるならダメージが通るということだ。
弟の近くに置くに足る者かどうか、それで判断がつくのはありがたいかもしれない。
「逆に、一定以上の愛情というか、燃料を注いでくれる人には、度合いに応じて回復効果があるみたい」
「へえ。すごいな、回復まで。なるほど、さすが愛情重視の主精霊だ」
純粋にユウトに好意を持っている者にとっては恩恵しかないならば、もはや何の問題もない。
弟は兄以外からも多くの愛情を受けているし、魔法の威力は計り知れない大きさだろう。
「どの程度の愛情で、どのくらい回復するんだろうな。ユウト、試しに一回ラフィールに当ててみろ」
「やだよ、そんな愛情を試すみたいな失礼なこと。どうせレオ兄さんは全回復だろうから、それでいいじゃない」
「……まあな」
当然のように言われた言葉は、ユウトがレオの愛情の大きさを疑ってもいないからだ。
それだけで兄は上機嫌になって、他のことはどうでも良くなった。
ただわしゃわしゃとその頭を撫でる。
「そろそろテラスに戻ろう。エルドワがユウトの側にいられなくてピリピリしてるぞ」
「うん」
ひとしきり弟の髪の手触りを堪能して満足すると、レオは丁寧にその髪を元通りに整えて、エルドワの待つテラスに足先を向けた。
そのすぐ後ろをユウトがついてくる。
そうして二人が花畑を出たところで、待ちわびていたエルドワがテラスから下りてきた。
「おかえり、ユウト」
「ん、一人で待たせてごめんね、エルドワ」
ぶんぶんと尻尾を振る子犬に申し訳なさそうに笑ったユウトが、その頭を優しく撫でる。それだけでエルドワは笑顔だ。
子犬はユウトの正面に立って撫でられるままに、視線だけをレオに移した。
「レオ、向こうでラフィールが何か頼みがあるって言ってた」
「ラフィールが俺に?」
「ユウトとエルドワも」
「俺たちに、か」
ならば特に力仕事や荒事の類いではなかろう。
レオはユウトとエルドワをテラスに残したまま、一人でラフィールのいるキッチンへと用件を聞きに向かった。
すでに食堂内にはシチューの良い香りとパンの香ばしい匂いが漂っている。ミートローフやピクルス、デザートなども準備されて、あとは煮込みのみといった様子だ。
クリスの昔の仲間だった半魔がここに来ると言っていたが、もしかするとこの料理を目当てに来るのかもしれない。
「ラフィール、俺たちに頼みがあるって?」
「ああ、レオ殿。まもなく日暮れになるのだが、私は今手が放せなくてな。すまぬが、ユウト様と共に村内に火を灯してきてはくれないだろうか」
「火っていうと、村の外周や畑沿いにあるかがり火のことか。それは構わんが、ユウトと一緒でないと何か問題があるのか?」
かがり火なんて、レオが歩いて回って点けてくれば済みそうなかんじなのだが。
そう訊ねると、ラフィールは軽く肩を竦めた。
「残念ながら、村のかがり火は魔法でないと点けられないのだ。ただ、ユウト様お一人では届かない高さのところもあるし、慣れないところでお怪我でもされたら一大事だからな。レオ殿とエルドワにも付き添って欲しいのだ」
「ああ、火を点けること自体がユウトにしかできないのか」
「それにユウト様の魔力で灯していただければ、聖属性の影響で周囲の瘴気も薄れる。明日の出立のころには、一時的にだがこの辺りに魔物が出なくなるはずだ」
「そんな効果もあるのか。それは助かるな」
このあたりの魔物など、もちろんレオたちにとっては雑魚。とはいえ、魔物が出れば余計な時間が取られる。それがなくなるのは純粋にありがたい。
ラフィールからかがり火の位置と数を聞くと、レオは再びテラスに戻った。
「ラフィールが村のかがり火を点けてきて欲しいそうだ。ただ、魔力でないと点かないらしい」
「あ、じゃあ僕の仕事だね」
「エルドワはユウトの警護?」
「ああ。ユウトの側で周囲の警戒を頼む」
「暗くなる前に終わらせようね。さっそく行こう、レオ兄さん、エルドワ」
レオの言葉に立ち上がったユウトが、飲み終わったカップと焼き菓子の消えた皿をトレイに乗せ、食堂に入っていく。
それを見ていたエルドワも、残っていた手ふき用の小さなタオルをまとめてユウトに続いた。二人とも良い子である。
「ラフィールさん、お茶とお菓子ごちそうさまでした。兄さんたちとかがり火点けに行ってきますね」
「なんと……ユウト様、わざわざお片付けありがとうございます! 可愛らしくてお優しい上に気が利くなんて最強……! エルドワも、偉いぞ」
「うん、エルドワはユウトの騎士だもの。主君の名に傷は付けられない」
「何それ、大げさだなあ」
そう言って笑うユウトはやはり嬉しげだ。
そんな彼らについ大人二人がほっこりしてしまうのは当然だろう。
しかし、いつまでもほのぼのとしてはいられない。外は刻々と暗くなって来ていた。
「ユウト、完全に暗くなる前に終わらせるんだろ」
「あ、うん」
「ユウト様、お戻りになる頃には美味しい夕食を並べておきますので、よろしくお願いします」
「はい。行ってきます」
宿を出ると、薄暗くなってきた村の中をレオが先導して歩き出す。
武器は置いてきたが、ポーチはあるしエルドワもいるから問題ないだろう。
レオはまずは一番近いかがり火に向かうと、少し高さの足りないユウトを抱き上げて、そこに火を灯させた。
「へえ、かがり火の芯が魔石になってるんだね。これに魔力を込めると一晩燃え続けるんだ」
その明かりは、やはりラフィールが灯したものと違うようだ。
ハーフエルフのものよりも、白くて透明で、明るい。明かりの届く範囲も広い。
ラフィールの言うように、ユウトの魔力の方が浄化作用が強いのだろう。
暮れゆく景色の中、村は次々と清浄な光に包まれていった。
「ユウトのかがり火は、瘴気や穢れを払う明かりだね」
「……分かるのか? エルドワ」
「もちろん、エルドワには分かる」
ガントの村の村道に面していない外側は、近くまで瘴気が来ている。エルドワにはその匂いが分かるのだろう。
「ほら、レオ見て。かがり火の明かりに照らされた花が白く浄化されてる」
「本当だ。……このかがり火は、ユウトの魔力の効果を増幅させるのか」
「増幅というよりは、ユウトの魔力を最小限まで小さく分けて、広範囲に拡散している感じだと思う。密度は低いけど効果は変わらないから、効率的に周囲の浄化ができる。元々のユウトの魔力も強いし」
闇属性も発現しているはずなのに、それでもユウトの聖属性はどこまでも浄い。
闇属性と聖属性は両立するとクリスは言っていたけれど、レオにはいまだによく分からなかった。
「レオ兄さん、次はどこ?」
村の門扉の両脇にあるかがり火を灯したユウトが、レオとエルドワを振り返る。
まあ、聖属性だろうが闇属性だろうが、結局弟が弟なら問題はないのだ。レオはすぐに考えるのを止めた。
「あとは村の中の三カ所だな。宿に戻りながら行けるところだ」
「じゃあこの先だね」
「待って、ユウト。エルドワも行く」
先に行こうとする弟を、子犬が追っていく。なんとも和む風景だ。
その後ろを、のんびりついて行こうとして。
しかしその時、不意にレオの背中に悪寒が走った。
これは、一度感じたことのある嫌な気配だ。……そう、間違えようもない。
エルドワも何かを感じ取ったらしく、慌てたようにユウトに飛びついた。
ユウトだけが、状況が分からずにきょとんとしている。
「ユウト、変な感じがする! レオのところに戻って! レオ、何か来る!」
「分かっている! ユウト、エルドワをしっかり抱きかかえろ!」
「えっ、あ、うん」
ユウトが言われた通りに自分より小さなエルドワを抱きしめると、そこに急いで駆けつけたレオが二人まとめて抱え上げる。
そして浄魔華の花畑の中に飛び込んだ。
おそらく、ここなら大丈夫だ。
……だがもう一人、避難させないといけない。
「ラフィール!」
まだ宿屋まで少々距離はあるが、他に人のいない静かな村。扉も窓も開いているし、この声は届くはずだ。
「ラフィール、浄魔華の花畑に逃げろ! ……降魔術式の探知が村を巡っている!」
そう、これは忘れもしない、魔法学校でユウトを連れ去ろうとした降魔術式の気配だ。
まだ探知される前だったし、聖属性で清められた場所には到達できないから、多分ユウトたちはもう大丈夫。念のためレオが抱えていることもあって、個人に狙いを絞ったものでなければやり過ごせるはずだ。
問題はラフィールだが、ちゃんと逃げ果せただろうか。
「エルドワ、ラフィールがどうなってるか、分かるか?」
「匂いはするから、宿の向こう側の花畑に移動したんだと思う。レオ、花畑は繋がってるからかがり火に明かりを灯しながら、ラフィールと合流しよう。村全部のかがり火を点ければ、ユウトの魔力で降魔術式が入って来れなくなる」
「分かった」
「え、ええ?? 何で、降魔術式……?」
ユウトは混乱している。
しかし、細かい話をしている時ではない。
レオは二人を抱えたまま、花畑の中を歩き出した。
幸い……というか意図的なのか、かがり火は花畑沿いにある。周囲の変化に気を配りながら、レオはユウトに火を灯させた。
「十二個目……これで最後だな」
「わ、何……?」
村の中央付近にあった最後のかがり火を灯すと、そこから花火のような光の玉が上がって、上空で弾ける。その光の粒が地面に降り注ぐと、やっとさっきの嫌な気配が消えた。
どうやらこのかがり火には、全てを灯すことで発動する結界のような役割があるらしい。
それにとりあえずほっとすると、花畑の向こうからラフィールがやってきた。
「ありがとうございます、ユウト様。レオ殿、エルドワも。妙な術式が侵入してきた感覚はあったのですが、気付くのが遅ければ呑まれてしまうところでした」
「僕は何も……。レオ兄さんとエルドワが気付いてくれたから助かっただけで」
「いえ、ユウト様がいなければ私は助かりませんでした。降魔術式ほど強い陰の魔法は、ユウト様が浄化して下さった白い浄魔華以外では防ぎきれないのです」
浄魔華は基本的に、月光を十分に浴びた深夜にしか白くならない。
しかし、ユウトを抱えていたおかげでレオの足元の浄魔華は常に白かったし、たまたまユウトが主精霊との契約で足を踏み入れていた花畑の一部が白く浄化されていたおかげで、ラフィールは逃げ込めたということだ。
「ユウト様のかがり火のおかげで、今日はもうあの術式の心配はございません。そもそもランダム探知のようでしたし、しばらくはここには来ないでしょう」
「それなら、少しは安心できるが……」
だが、レオたちにとって新たな心配事が増えてしまったのは間違いない。
ジアレイスたちが行動を開始したということ。
……そして降魔術式が発動したということは、その中にウィルが加わっているということ。
(リインデルの件が終わったら、ウィルの思惑も確認しなくてはならんな……)
レオは小さく息を吐くと、未だに困惑気味のユウトの肩を抱きながら、夕飯を食べに宿屋へと戻った。




