兄、魔法のステッキの存在を思い出す
ラフィールに案内されて着いたのは、レンガと木でできた、村の中では比較的大きな建物だった。
普通に、他の住人がいた頃には宿屋として使っていた場所なのだろう。
入り口には看板があり、中庭らしきところには小さなウッドデッキのテラスがあった。
「ユウト様、こちらがお泊まりいただける宿でございます。元々訪れる旅人が稀な村だったので部屋数が少ないのですが、二階の二部屋を好きにお使い下さい。一階には食堂とシャワールームがございます」
「ありがとうございます、ラフィールさん」
「では、先に部屋にお荷物などを置いていらして下さい。私はお茶を淹れて参りますので、テラス席で一服致しましょう」
ラフィールに促され、レオたちは二階へと上がる。
宿の中にはあちこちに花が飾られていて、ユウトはそれを感心したように眺めた。
「すごい、ラフィールさん一人なのにちゃんとこんなところまで管理してるんだ。……室内にあるのは浄魔華じゃないね。わあ、部屋の前にあるお花、良い香り」
「香りか……」
部屋の入り口に差し掛かると、確かに花の独特の甘い香りが漂っている。
レオは僅かに顔を顰めた。
……実はこういうのは、あまり好きじゃない。
匂いというのは人間の無意識下に影響を与えるからだ。
おそらくここにある花はリラックス効果や安眠効果のあるものだろうが、香りには魅了、混乱、昏倒などを誘うものもある。
どちらかというとそちらに警戒しがちなレオとしては、少し落ち着かない気持ちになるのだ。
嗅覚というのは、想像以上に状況把握に影響する。
戦いの場などでは特に。
火薬の臭い、罠を埋めるために掘り返された土の臭い、隠れた敵の装備の金属の臭い。
僅かなそれを覆ってしまう花の香りには、見通しの悪い眼鏡を掛けさせられたような違和感を覚えてしまうのだ。
……まあ、そうは言ってもここは周囲を浄魔華に囲われた村の中。悪意を持った敵など入ってこれないのは分かっているのだけれど。
「……レオ兄さんは、このお花の匂い、嫌い?」
顔を顰めていると、それに気付いた弟が首を傾げて訊ねてきた。
「嫌いなわけじゃない。……だが、好きでもないな。匂いの強い花は鼻が利きづらくなるから、少し落ち着かない」
「そうなんだ。……ラフィールさんに言って外に出してもらう?」
「お前がこの匂いを気に入ったなら別に良い。どうせこの村には敵は入って来れないし、万が一何かあってもエルドワが感知してくれるだろ」
「アン!」
エルドワの嗅覚は、当然ながらレオなんかより遙かに鋭い。
特に危急の時でもないし、この子犬がいれば特に問題はない。
水を向けると、エルドワは任せろとばかりに良い返事をした。
「エルドワは花の匂いがあっても大丈夫なのかな」
「そいつレベルの嗅覚なら嗅ぎ分けができるからな。その分魔獣は匂いからの影響を受けやすいんだが、おそらくエルドワくらいの高位なら耐性があるはずだ」
「そうなんだ。すごいね、エルドワ」
「アン」
子犬はユウトに褒められて、その腕の中でドヤっている。
実際、弟の一番近くにいるエルドワがラフィールほど盲目的にならないのは、その嗅覚にある臭刺激への耐性のせいだとレオは考えていた。
今、ユウトからは半魔に『とても良い匂い』と言わしめる魔力の香りがしているらしいし、ラフィールの変容ぶりもそれが原因の可能性がある。匂いというのは、それほど強大な影響力があるのだ。
レオとしてはそんな弟の匂いを感じられないのが少しだけ惜しい気がするが、まあ言っても仕方のないこと。
魔力の香りなど分からなくても、ユウト自身が昔から甘くて心地良い匂いがすることには変わりない。
そこで思考を終わらせて、レオは部屋に入って武器と上着を置くと、手袋も取って作り付けのクローゼットにしまった。
ユウトはというと、一旦隣の部屋に行こうとしたが、部屋が二人用なのに気付いて結局兄と一緒の部屋に入ってくる。
おそらく、わざわざ二部屋汚すこともないというラフィールに対する配慮だろう。けれど、二人部屋ならと当たり前のように兄と同じ部屋で過ごそうとする弟に、レオの機嫌も良くなった。
「エルドワ、ラフィールさんがお茶を出してくれるっていうから、ここでは人化してたら?」
「そうだな。村にはラフィールしかいないんだからそうしろ、エルドワ。子犬の姿だと、三単語以上の言葉が理解できんから不便だ」
「アン~?」
ちょっと面倒臭そうな返事をしたけれど、エルドワはすぐに人化する。レオがここでの彼の嗅覚をアテにしており、すぐに意思の疎通ができるようにしておきたいという思惑を分かっているのだ。
賢い子犬である。
「分かった。ここにいる間だけこの姿でいる」
「そうしてくれ」
「エルドワはこのお花の匂い問題ないの?」
「ん、平気。この花はユウトのためにラフィールが置いた魔妖花。ユウトにとって良い植物だから」
「魔妖花って?」
「ユウトの気分とか状況によって香りが変わる花だよ。今はユウトをリラックスさせようとする匂いがしてる」
「へえ、すごい! 面白いね!」
それならば、尚更この花を下げさせるのはもったいない。とりあえずエルドワがこの状態でいてくれるなら、匂いに関しては特に問題ないし、レオだってユウトには心地良くいて欲しいのだ。
「でも、僕専用なの? エルドワやレオ兄さんには関係なく?」
「そう。一緒にいるエルドワたちにも効果はあるけど。これは生育の段階で、多分ラフィールがユウトの専用として育ててる。花を咲かせるのがすごく難しい植物だよ」
「そうなんだ、ありがたいな。後でラフィールさんにお礼言おう」
ユウトはそう言うと、ローブを脱いでクローゼットにしまい、腰の後ろ側に下げていたアイテムも片付けた。
あれは以前タイチからもらった、一瞬で着替えができる優れもののアイテム。魔女っ子御用達の魔法のステッキだ。
……そういえば、最近ずっと使う機会がないな、あれ。
まあ、悠長にゲート攻略をしてる場合ではなくなったのだから当然か。
「さ、下に行こ、レオ兄さん。もうお茶の準備できるだろうし、ラフィールさんにお話も聞かなくちゃ」
「……そうだな」
笑顔のユウトに促され、レオの意識はすぐに弟に戻る。
小さなエルドワと手をつないで階段を下りていくユウトの後を、兄はゆったりとついて行った。
 




