【五年前の回想】間違いを正せるのなら
対価の宝箱を呼び出したアレオンは、チビを抱えたままそれに近付いた。
(さっきの難局も、あっという間に解消してくれた……。胡散臭いのは確かだが、これもどうにかしてくれるはずだ)
現時点で対価に対するリスクよりも、すでに問題を解決してくれる信頼の方が先に立っている。
おそらくこれは宝箱に冒され始めている証拠なのだけれど、アレオンにそれを指摘する者はこの場にいなかった。
もしもここにカズサがいたのなら、アレオンの盲目的な様子に気付き、対価の宝箱は使用頻度よりも使用する願いの重大さが影響するのではないかと考えて止めただろう。
(……まだ大丈夫だ。それに、必要なくなったらすぐに壊す)
もはや何を基準に大丈夫だと思っているのかも分からないが、アレオンはそう自分に言い聞かせて宝箱の蓋を開けた。
「またのご利用、ありがとうございます。アレオン様」
宝箱の中から、すぐに妖精もどきが飛び出してくる。
彼女は歓迎するように両手を開いた。
「なんなりとお申し付け下さい。この宝箱が望みの未来を拓くアイテムをお出しします」
おもねるような声音に嫌悪感と怪しみは未だに感じるが、それでも必ず事態を打開してくれるありがたみの方が勝る。
アレオンはチビが目を覚ます前にと、妖精もどきに望みを伝えた。
「……隷属術式があっても、俺の代わりにチビが死なないようにしたい。もしくは、隷属術式がなくても、チビが俺の記憶を消せないようにしたい」
「そうなりますと、選択肢は二つ。チビ様を不死にするか、あの方の魔力を生涯封印するか、どちらかのアイテムとなります」
「不死か生涯魔力封印……」
返ってきたアイテムの提案に、アレオンは閉口した。
どちらも究極過ぎる。
不死が全くありがたいものではないということは竜人たちから聞いているし、一方で魔力を封じたらチビが身を守るためでもある魔法が使えなくなるわけで、あの子どもを狙い、害を為そうとする者に反撃する術がなくなる。それは困る。
何より、アレオンが勝手にそんなことをしたら信頼を失い、チビはアレオンを軽蔑するだろう。
もちろんチビにどう思われようが側に置いておきたい気持ちは変わらないが、それでもできることなら極力嫌われたくないし、辛い思いもさせたくないのだ。
「……他に何かないのか。たとえば隷属術式を消して、新たに使役だけできるアイテムに差し替えるとか……」
「残念ながら、隷属術式は覆せる類いのものではありません。あれは隙なく完成された禁呪で、だからこそチビ様はそれを選んだと思われますので……。チビ様が死ぬまで、あの効果は続きます」
「ちっ……。何でも望みを叶える宝箱じゃないのかよ」
舌打ちをして苛立ち紛れに呟くと、妖精もどきは軽く肩を竦めた。
「お言葉ですが、完全無欠の万能の力を持つ者などいません。この世界で言う大精霊や、生命の根源たる世界樹さえも。……しかし、万能でなくとも考え方を変えることで望みを叶えることは可能です」
「……考え方を変える?」
まだ何か解決策を持っているのだろうか。
眉を顰めたまま首を傾げたアレオンに、彼女は少しだけ黒い笑みを浮かべた。
「たとえば他にも、アレオン様の悩みを根本から解消する手があります。多少力業ではありますが」
「俺の悩みを根本から……?」
その言葉に、アレオンの意識は一気に引き込まれる。
まるで言語による魅了を掛けられたようだ。
いつの間にか腕の中のチビにも、部屋の外の魔研の様子にも気が行かなくなっていた。
一瞬子どもの身体を取り落としそうしなって、慌てて抱き直す。
そうしながらも、アレオンの意識は妖精もどきに行ったままだった。チビをぞんざいに扱う、そんないつにないアレオンの視線の先で、彼女がしたり顔で微笑んだ。
普段ならばそれを見咎めただろう。
けれど、すでに妖精もどきの術中にはまっているアレオンは、それを気にもしなかった。
「一体、俺の悩みをどうやって解消するんだ」
「チビ様より先に、なかったことにしてしまうのです」
「……なかったこと、というのは?」
「つまり、チビ様に記憶を消される前に、チビ様の記憶を消してしまうということです」
「は……チビの記憶を消す……!?」
思わぬ提案に目を瞠る。
その発言の意味をアレオンが咀嚼する前に、彼女は言葉の主旨を説明し始めた。
「チビ様が死にたがる原因となった辛い過去、アレオン様があずかり知らぬ約束のこと。アレオン様の記憶を消したがっていたこと、アレオン様の身代わりで死のうとしていたこと。それらを消してしまうことでチビ様の心を安らかにし、望まぬ行動を止めさせるのです」
確かに、そうなればもはや隷属術式をチビに預けたところで問題はなくなるだろうけれど。
「……そうなると俺の記憶は残らないんじゃないのか」
「そうですね。チビ様の中から、今に繋がるアレオン様の記憶が全て消えるということになります。それどころか、辛い過去を含めると他のほとんどの記憶も消えるかと」
チビに記憶を消される前に消す。正にその通り。
……自分が恐怖したそれを、チビに向かってすることになるのか。
そう考えると気が進まないが、それを見越した妖精もどきは軽く首を振った。
「チビ様がする記憶抹消と、アレオン様がする記憶抹消は似て非なるものです。チビ様はアレオン様の記憶を消したらそのまま姿をくらますつもりだったでしょうけれど、アレオン様はチビ様を養っていくのでしょう? チビ様は辛い過去に決別し、今後ずっとアレオン様といられるようになるのですから、悪いことは何もないではありませんか」
「そう、か……。そうだな……」
彼女の言うことはもっともな気がする。
それになびいてしまうのは、宝箱に汚染され掛けているせいもあるが、自分のいくつもある失態を消してしまいたい思いがあるからだ。
そもそも初めて会った時、『俺のために死ね』と言ったのが最大の間違い。それをもう一度やり直せるなら。
次は間違えることなく、何のしがらみもない平穏な場所で、この子どもをどこまでも慈しんで育ててやるのだ。




