弟、村長とお茶をする
ゲートから戻ったレオは、さすがにベッドに入った途端爆睡した。
そんな状態でも寝る前に背広とシャツをハンガーに吊るし、持ってきた除菌消臭スプレーを掛けておくマメさはすごい。
そのくせ何でか眼鏡だけは外し忘れている。
ユウトはそれを取ってベッド脇のチェストの上に置くと、兄の眠りを妨げないようにそっと部屋を出た。
「お前さんの兄はすごい男だのう」
ユウトが時間を持て余して村長の商店で品物を眺めていたら、その村長にお茶に呼ばれた。
そして感嘆のため息まじりにしみじみと言われた言葉がこれだ。
出されたコーヒーに口を付け、ユウトも頷いた。
「僕もびっくりしてます」
これはユウトの正直な気持ちだ。チート有りとはいえ、あの度胸と危地に向かう躊躇いの無さはどこから来るんだろう。ヤバい会社の債権回収に飛び込むような感じなんだろうか。
そう考えて苦笑をすると、村長は覗うようにこちらを見た。
「お前さんの兄は何をしている人なんだい? 所作もきっちりしている上にあれだけの強さがあるなら、元の国ではさぞ位の高い者に仕えていたのだろう。異国のことは知らんが、体つきを見れば戦い慣れた者だと分かる」
「兄さんが、戦い慣れた体つき……?」
兄が常々背広は戦闘服、会社は戦場だと言っていたけれど、村長が言うのはそういうことではないんだろう。
でも、残念ながらユウトには『昔のこと』が分からない。
「どうなんでしょう。確かに姿勢も良いし、もしかすると昔は武道とかやってたのかも」
「……もしかすると?」
「僕、昔の兄さんのこと知らないんです。実は十三歳から前の記憶がなくて」
そう、そもそも兄の昔どころか、ユウトは自分が何者かすら知らなかった。
ある日、記憶喪失の状態で発見されて、どこの誰かも分からないまま養護施設で保護されていたのだ。それからしばらくして突然施設に現れたレオに、探していた弟だと言われて引き取られた。
正直、彼が本当の兄なのかは今でも分からない。直接レオに確認したこともない。
それでも、何も持たない自分を見つけてくれた存在にひどく安堵した覚えがある。
彼は空っぽだったユウトの最初で最大の心のよりどころ。
それだけで十分で、兄が何者かなんてどうでも良かった。
「……それは悪いことを聞いてしまったな、すまぬ」
「いえ、記憶がないのは事実なので気にしてません」
実際、ユウトは過去を持たないことを不便だと思っても、不幸だと思ったことはない。もちろん、気にならないと言ったら嘘になるが。
他意なくにこりと微笑むと、村長も軽く頬の緊張を緩めた。
「そうか。……ところで、これからどうするのかね? せがれに装備の買い出しを頼んだということは、しばらくこのエルダールの国に滞在するんだろう?」
「そうだと思います。ここ……えっと、エルダール? からの帰り方が分からなくなっちゃったので、方法が見つかるまでは」
「ならば、今後何かあったら是非このテムの村を頼ってくれ。お前さんたちは村の恩人だ。できることは多くないが、できる限りのことはするからの。わしもせがれも受けた恩は忘れぬ」
「僕は何もしてませんけど」
ユウトが小さく笑って肩を竦める。
ここに来てからの自分は、どちらかと言えば助けられて、護られてばかりだ。チート能力も扱えないし、何の力もない。
しかし村長はそれに首を振り、苦笑した。
「とんでもない。おそらくお前さんがわしらを助けようという意思を示さなければ、あの兄さんは動いてくれなかった。実際、お前さんたちにはそんな危険を冒してまでわしらを助ける義理はないからのう。兄さんの反応が普通なのだ」
確かに、ユウトが危ないところを救われたとはいえ、その後レオが若旦那たちを救ったところでイーブンかそれ以上。だとすれば助ける義理はないのだろう。
兄は明らかにそう割り切っていた。あれが普通なのか。
しかし、それでもユウトが彼らを助けたかったのは、恩を感じたからばかりじゃないのだ。
「僕は義理がどうとかの問題じゃなく、村長さんや若旦那の村を護る気持ちや人となりを見て、助けたいと思ったんです。僕の希望として、みんなに死んで欲しくないっていうか……やっぱり僕って甘いですか?」
こちらの世界の常識など分からない。平和な世界で生きていたユウトの考えは甘いのかもしれない。でもこの善良な人たちに力を貸したいと思うことの、どこがおかしいだろうか?
ユウトが首を傾げて訊ねると、それを聞いた村長は一瞬目を丸くして、しかし次の瞬間には大きな笑い声を上げた。
「ははは! お前さんは良い子だのう!」
言いつつ大きな手でがしがしと、子どもにするように頭を撫でられる。そうしてひとしきり笑ってユウトの髪をぐちゃぐちゃにした村長は、表情に笑みを残したまま満足して手を引いた。
「しかし、お前さんが吐くその言葉は、甘いとしか言えぬ。実力が伴っておらんからだ。同じ言葉をお前さんの兄が言えば違う。『助けたい』ではなく『助ける』ことができる。ただの希望ではなく、成す事の宣言となる。分かるか?」
「……実力が伴わないなら、軽々しくそういうことを口にするのは甘いってことですね。……逆に言えば、それを口にするなら兄さんのように事を成すための実力を付けろということですか」
乱された髪の毛をなでつけながら答えると、村長がそれに大きく頷く。
「そうだ。そして自分の実力を冷静に分析する頭も必要だ。自分を過小にも過大にも評価してはならん。評価というのは必ず善し悪しが付く。成せるか成せないか、そこに視点を置けば、お前さんの甘い言葉も宣言に変わる」
「……先は長そうだなあ。今の僕じゃ何も成せないし」
「ほれ、さっそく自分を過小評価しておる。だからお前さんの言葉は甘ちゃんなのだ」
そう言われても、本当に何の力もないのだ。困って眉尻を下げると、苦笑した村長があごの下で両手の指を組んだ。
「お前さんは戦闘で使える力のことばかり考えておるようだが、実力というのはそればかりではない。冷静な判断力、話術や段取り力なんかも使い方次第で十分武器になる。自分の武器になるものをたくさん浚ってみなさい」
「僕の武器……」
ユウトのつぶやきに、村長がいたずらっぽく目を細める。
「まあとりあえず……お前さんの究極にして最大の武器を、一つ教えておいてやろう。それは、お前さんならあの兄さんを動かせるということだ」
「レオ兄さんを動かせるのが僕の武器?」
「そうだ、どでかい武器だろう。それが自分の実力の一つだと分かっているだけで、全然ちがうからの」
兄の行動に口出しできるのはユウトだけ。
確かにそれは最大の武器かもしれない。
「そう考えると、僕って最強な気がしてきました」
「そうだろう。でも残念、今度は過大評価になっとるぞ」
「あ、ほんとだ」
2人は顔を見合わせて笑った。
そして今度はユウトが村長に覗うような視線を向ける。
「これからの参考に、村長さんの持ってる武器って訊いていいですか?」
「うむ。腰痛だ」
「腰痛?」
「腰痛で寝込んだふりをすると、面倒な会合とかせがれが仕切ってくれる。超使い勝手の良い武器なのだ」
「すごい、実用的」
若旦那には悪いが感心してしまう。
そんなものまで武器にするなんて、面白い。
「そういうのなら、僕もいろんな武器探せそうです」
「そうだろう、頑張って探してみい」
「はい」
チートでもらったはずの魔法の能力が使えずに無力感があったけれど、彼と話をしていたらそんなものはどこかに行ってしまった。
ユウトは楽しい気持ちで少し冷めてしまったコーヒーをすする。
今後のよりどころとなる村ができた、これだって実力の一つ。
記憶を失った空っぽの頃の自分に比べたら、今のユウトはずっとたくさんの武器を持っている。
それを教えてもらったことは、異世界に放り出されたユウトにとって、何よりも自信に繋がった。