【五年前の回想】帰らずの洞窟から帰る
「ではそろそろ地上に戻るか。お前たちは監視者の前から堂々と出て行けばいいな」
監視者にはゲートをクリアしたキイとクウが二人だけで帰るところを見て、しっかり魔研に報告してもらわなくてはならない。
「アレオン様はどうなさるのですか? ここから一緒に出たら監視者に見つかってしまうのでは?」
「その辺は大丈夫だろ。俺たちがここから出ると、ゲートからは光の柱が上がる。暗闇に目が慣れた監視者は突然の光に目が眩むはずだからな。奴らの目が明順応する前に転移魔石で飛んでしまえばバレない」
洞窟内の暗い環境で慣れた目に強い光が入れば、痛みを感じるほどの刺激だ。ほぼ反射的に目を閉じてしまうし、もし堪えたとしても光の中の対象物を視認できるようになるには時間が掛かる。
一応竜人たちの陰に入って気配を消すが、まあ気付かれることはないだろう。
アレオンは転移魔石を片手に、気負うことなく脱出方陣へと向かった。
「じゃあお前たち、またな」
「はい。アレオン様」
「再会を心待ちにしております」
おそらく次に会う機会は、そう遠くない。
だからこそ軽く短い挨拶だけをして、三人は地上へと飛んだ。
「お帰りなさい、アレオンお兄ちゃん!」
「ただいま」
ザインの拠点に戻れば、今回の計画はひとまず終了だ。
姿を見付けた途端に駆け寄ってくるチビの頭をひと撫でしてから、アレオンはマントと剣を外した。
「お帰りなさい、殿下。早かったですね」
「ああ。ボス戦はチビの魔法のおかげで滞りなく終わったし、キイとクウともそれほど詰める話はなかったしな。ここからしばらくは様子見と情報待ちだ」
「俺の出番ってことですね」
そう言うカズサはすでに腰にポーチと短剣を下げている。
アレオンが戻ったらすぐにでも情報収集に向かう準備をしていたのだろう。
「貴様のこれからの予定は?」
「とりあえず王都に行って、ライネル殿下の方の情報をもらってきます。陛下と魔研が動き出すのはもう少し経ってからでしょうし、向こうに五日ほど滞在してから戻ります」
「そうか」
ならばその間は特にすることもない。
チビとのんびり過ごせば良いだろう。
「キッチンに食材は?」
「そこそこ買ってありますので使って下さい。劣化防止BOXに入ってます。足りなかったら商店に買いに行けますし、農業区に行って直接売ってもらっても新鮮でいいですよ」
現在荒れている王都と違って、ザインは民心も幾分平和でまだ食料もある。領主がライネルシンパで、現国王におもねることをしないからだ。
ザイン領主は王宮から要求される高額な上納金をのらりくらりとかわしつつ、住民の税負担も重くなりすぎないように上手いこと立ち回っていた。
「ただ、さすがにザインも王宮からの強制徴収には逆らえません。いつここも物資が枯渇するか分からないので、節約志向でお願いします」
「分かった」
まさか兵を挙げてザインを攻めて来ることはないだろうが、今の国王なら兵で脅して街の富を根こそぎ持って行くことくらいはやる。
最近聞いた話だと西部にあるジラックの街も、金と燃料資源をだいぶごっそり王都に持って行かれたらしいし、いつそうなってもおかしくはないのだ。
「しかし、親父も国中の富を巻き上げて豪遊三昧か。正直、よくそれだけ無駄金の使い道が思いつくもんだと感心するな。エルダール王家には散財しないと死ぬ呪いでも罹ってんのか」
呪い、と口にして、アレオンはふとエルダール初代王から引き継がれているらしい『業』とやらを思い出した。
……いや、散財する呪いなんて掛けても受け継がせる意味がないから、さすがにそれはないか。
「幼い頃から自分の思い通りになる環境にいるとそうなるんですかね。おそらく陛下は国を自分の私物だと思ってるし、国民をどう扱おうが悪いことをしている感覚がないんだと思いますよ」
「はあ、権力と行動力を持った愚物は本当に害悪でしかないな……」
確かに、アレオンの父は悪意があるというよりも、ただただ愚かで小心者なのだ。
逆らう者や諫言する者は怖いから消す、甘言を弄する者の言葉には容易くなびく。
金がなくなったら息子や国民に稼がせれば良い。国の資源は全て一番偉い自分のもの。
父王の権威への理解などその程度。
何をもって国が形を成すのか分かっておらず、長たる者の責任感も使命感もありはしない。
その無責任な国王を、悪意のある者が支えているからこんな事態になっているのだ。
国王を担いで利用し、私腹を肥やす貴族ども。その筆頭がジアレイスだと考えれば、国の傾きそうな現状もどこか納得がいく。
あの男は対価の宝箱を使い、国王の親友という肩書きを活かしつつ、国家の転覆と新興国の樹立を企んでいるのかもしれない。
「……兄貴は、魔研の方に隠密の誰かを調査に向かわせているか?」
「いえ、魔研は王宮並に何重にも術式が掛けられていて、忍び込むのが難しいので……。ただ、定期的にルウドルトが正面から視察に行っているようです」
「ルウドルトの視察か。忍び込むよりは安全確実だが、案内されたところしか見られないのがな……。まあ、それでもあいつなら何か動きがあれば察知は可能か。できれば竜人二人の所在も逐一確認するよう、ルウドルトに伝えてくれ」
「了解です」
そこまでで話を終えると、アレオンは鎧を脱ぎに、カズサは出立の支度をしに、それぞれの部屋に戻った。
当然のように、チビはアレオンについてくる。
そしてアレオンが着替える間、ベッドの端にちょこんと座って、足をぱたぱたしながら待っていた。
まるで散歩を待つ子犬のようだ。
「……この後、散歩行くか?」
「行く!」
訊ねると、間髪入れずに元気な返事が戻ってくる。
やはりこれを待っていたのか。
「朝、結構魔力を使ったはずだが、疲れてないか?」
「平気。お兄ちゃんが帰ってくるまでお昼寝してたもん」
「そうか。じゃあお前の魔法のおかげでボス戦で楽できたし、ご褒美として散歩がてら公園の出店まで行って、鈴カステラとジュースに、チョコレート菓子も付けてやろう」
「わあ、ホント? やった!」
目をキラキラさせて、手放しで喜ぶ子どもに和む。
これだけでゲートでの疲れが癒やされるようだ。
アレオンは手早く着替えを済ませると、チビを連れて再びリビングに戻った。
カズサはすでに出立したらしい。テーブルの上に、家の鍵だけ置いてあった。
それを手にしたアレオンは、さっそく玄関に掛けておいたマントを羽織る。
そしてチビに犬耳を着けさせると、家に鍵を掛けて街へと繰り出した。
公園のベンチに座ったアレオンは、膝の上でまどろむ子犬を撫でながら和んでいた。
他にも犬の散歩をしている者がいるが、とにかくどの犬よりも間違いなくチビが可愛い。この微妙に舌をしまい忘れてるところとか、ぴすぴす言ってるところとか、激烈可愛い。
もちろん普段のチビも可愛いが、また別種の可愛さなのだ。それを堪能する。
(平和だ……)
今この瞬間が、アレオンの理想とする生活の一部だ。
王家や魔研のしがらみから解き放たれて、いつでもこうしてこの子どもと長閑に暮らせたら、これ以上の幸せはない。
チビと出会う前は想像もしなかった心境。自分がこんな感情を持つことができる人間だとは、思ってもいなかった。
手放したくない、手放せない、この強い望み。生きる糧。
(……頼むから、ずっと俺の手の中で小さな存在でいてくれ)
アレオンはそう願いながら、ことさら優しく子犬を撫でた。




