【五年前】チビ、対価の宝箱について調べる【回想外】
「ぼくは、お兄ちゃんのために死ぬ覚悟なんだけど」
チビが内容にそぐわない軽い口調で告げると、ヴァルドが困ったように指先で眉間を押さえた。
「……そのお兄ちゃんという方を私は存じ上げませんが、すぐ死んじゃいそうな方なんですか?」
「ううん。すごく強くて、殺しても死ななそう」
「ならばあなたがわざわざ隷属術式で、命の肩代わりなんてしなくてもよろしかったのでは」
「でもね、お兄ちゃんのために死のうって思ったから、やっとぼくの生きる目的ができたんだ」
チビはそう言って、ヴァルドに向かって嬉しそうにほわほわと微笑んだ。
「あの場所に閉じ込められてから、ずっとずっと苦しくて、死にたいのに死ねなくて。早く殺して欲しいって思ってたところに、お兄ちゃんが来て連れ出してくれたんだ」
最初は連れ出されてもまともに歩行もできず、きっとすぐにゲートの中に捨てて行かれて、死ぬのだろうと思っていた。
生の苦しみから解放されるなら、チビはそれでも良かったのだ。
しかしアレオンは子どもが歩けるようになるまで世話をしてくれて、役目を与え、護ってくれた。
そして死ぬことだけに占められていたチビの中に、ひとつの絶対命令をくれた。
『アレオンのために死ぬこと』
つまり、アレオンのために死ぬまでは、生きろということ。
そうか、死ぬまでは生きていて良いんだ。
当たり前のことだけど、チビはそれだけで目の前が開けたようだった。
「今隷属術式がなくなって、お兄ちゃんのために死ぬっていう目的がなくなったら、生きてる意味がなくなっちゃうの。ぼくが今生きてるのは、お兄ちゃんのおかげなんだよ」
にこにこと告げると、ヴァルドはあきらめたように小さくため息を吐いた。
「魔研に植え付けられた絶望から、ここまで復帰できたのがそのおかげなら何を言っても無駄か……。どちらにしろ、隷属術式は私の魔眼でもいじりようのないもの。そのお兄ちゃんとやらに死なぬように頑張ってもらうか、それとも……」
彼は俯いてぶつぶつと独りごち、再び視線を上げる。
「そのお兄ちゃんは、隷属術式についてご存じで?」
「どうかな。細かいことは知らないと思う」
「なるほど……ではそちらから手を回すか」
ヴァルドは小さく呟いてひとつ頷くと、静かに立ち上がった。
その目線がぐんと高くなる。
それを見上げるチビに、ヴァルドは柔らかく微笑んだ。
「さてと。申し訳ありません、救済者。思っていたよりずっと長居してしまいました。今回はそろそろおいとま致します」
「ヴァルドさん、もう帰っちゃうの?」
「ええ。いつあなたの保護者が戻るか分かりませんので。普通に考えれば私は不法侵入の不審者ですから」
苦笑した彼は、チビに一礼すると窓の方へ歩いて行く。
それを数歩追いかけて、子どももお辞儀をした。
「今日はありがとう、ヴァルドさん。また会える?」
「もちろんです。また今度」
ヴァルドは振り向いてチビのまろい頬をひと撫ですると、来た時と同じように黒い靄に変化する。
そしてそのまま、窓の隙間から外に消えていってしまった。
「ただいま、おチビちゃん。一人にしてごめんね」
「……あ! きつねさん! お帰りなさい」
ひとりで昼ご飯を済ませ、リビングで本を読んでいると、ようやくカズサが帰ってきた。
「殿下の新しいポーチに入れる品物も買ってきたから、少し時間が掛かっちゃった。何も問題はなかった?」
「うん、大丈夫だよ」
ヴァルドが来たのは、『問題』ではなく『良いこと』だ。何のためらいもなくチビは頷く。
カズサとしては、チビに問題がなかったならそれでいい。
それだけで二人の確認は終わった。
「ところでおチビちゃん、ずいぶん熱心に読んでたけど、何の本を見てたの?」
「ん、えっと、本棚にあったいろんな宝箱の本」
「え……宝箱? ……ああ、おチビちゃん宝箱開けるの好きだもんね」
チビの読んでいる本に、なぜだかカズサが少々困惑したようだった。しかしすぐにその表情は笑顔で隠される。
そんな彼の機微に気付かずに、子どもは再び本に視線を落とした。
「何か、ひとの願いを叶えるっていう宝箱を調べたくて……。この辺がそうかなあ。『対価の宝箱』か」
「えっ、ちょ、ちょっと待って! 何でおチビちゃんがそんなの調べてんの!?」
チビの開いたページに、カズサが今度はあからさまに反応する。
その慌てた様子に、チビは目を丸くした。
「どうしたの、きつねさん。この宝箱のこと、何か知ってる?」
「あ、いや、いや、うん、別に。俺もその本読んで、あんまり良い印象のない宝箱だったから。おチビちゃんが興味持ったら困るなあって」
「この宝箱が良いものじゃないことはぼくも分かってるよ。アレオンお兄ちゃんや、お兄ちゃんのお兄ちゃんにとっても良くないものだってことも」
「……アレオン殿下とライネル殿下に? それって、具体的にどういうこと?」
チビの答えに、突然真剣な顔でカズサが食い付く。
彼は着替えにも行かず、そのままスカーフだけ外して子どもの正面に座った。いつも柔和な表情のカズサには珍しい真面目な顔。
チビはそれに首を傾げ、しかしそのまま本に書かれた宝箱の絵の下の文章を指差した。
「きつねさん、その前にここの文章読んでくれない? ぼくだとまだ難しくて読めないところがあって……」
「ああ……じゃあ、読むよ」
児童書や簡単な物語なら読めるようになったけれど、こういう専門書はまだまだ難しい。そう頼むと、カズサは本を少しだけ自分の方に向けて、その内容を読んでくれた。
「対価の宝箱。これは高ランクゲートの中の隠し通路の奥などから見つかる宝箱で、対価を支払うことによって望みを叶えるアイテムを出してくれる。一度使用するとその使用者について回り、何度でも使用できるが、支払う対価がなくなるまで寄生されることになる」
「この下は?」
「ええと、遭遇率は極めて低い。解錠レベルなし。危険度ランクA~SSS、場合によりランダム。……この下は参考文献なんかのリストだね」
「……それだけ?」
思ったよりも全然薄い情報しかない。
ちょっと拍子抜けしたチビに、カズサはそのページをとんとんと指先で叩いた。
「この本は数多ある宝箱の種類をまとめただけの本だからね。詳しい内容を知りたかったら、この参考文献を読んでいくしかないんだ」
「参考文献……これ、タイトルが知らない名前の国ばっかりだね」
「これは滅んでしまった他国の逸話集がほとんどなんだ。時々ゲートのレア宝箱から、こういう文献が出てくるんだよ」
「エルダールのはないの?」
「……ん?」
チビが訊ねると、カズサが怪訝そうに眉を顰める。
「……過去、エルダールで対価の宝箱が現れたという文献はないけど」
「え、そうなの? エルダールでは何度かこの宝箱のせいで国王が替わったことがあるらしいのに……。あ、でもわざと隠してるのかな」
「は……? ちょ、待って待って、おチビちゃんそれどこ情報? 対価の宝箱で過去にエルダールの国王が替わってる……!? 今までエルダール王家の血統は途切れたことがないはずだけど……。対価の宝箱って、完全ランダムじゃ……? んんん? もしかするとあれって、狙って現れた……?」
カズサはチビの言葉に混乱したようだった。頭を抱え、何か唸っている。
「えっとね、王家以外のひとだと、実力さえあれば誰の前にでもランダムで現れる可能性があるみたい」
「……つまり、俺たちが情報として知ってるのは王家の外に発現した宝箱だけで、王家の中では過去に何度か対価の宝箱が現れてたってこと……!?」
「多分そうじゃないかなあ」
「でも、対価の宝箱に取り憑かれた人間は、ほぼみんな最終的に対価で大事なものを失って、生きていけないほどに絶望するらしいけど……国王になんてなってる余裕あるのかね?」
「……あ」
そういうことか。
そのカズサの言葉で、チビは合点がいった。
世界の簒奪者は操りたい人間に対価の宝箱をあてがって、最後に全てを奪い絶望させたあとに、負債付きで取引を持ちかけるのだ。
失ったものを元に戻してやる代わりに、大きな負債を被せて支配する。
その失ったものが重要であればあるほど、契約は容易く成立するに違いない。最初からそれが狙い。
負債を負った王は、その後それを背負って生きていくのだ。
それに対して、そこから漏れてしまって、絶望のままに人生を終えてしまった人間の悔恨の情報だけが、巷に残っているのだろう。
滅んだ他国の情報は、これからエルダールに起こることを示唆しているのかもしれない。それがもたらされるのが、どこか人智を超えたものからの警告だとしたら。
チビはぶるりと震えた。
いくら無欲と言えども、悪意と作為を持ったそんな恐ろしいものにアレオンが関わってしまったら大変だ。
「……お兄ちゃんの前に、こんな宝箱が現れていないといいけど」
「……あ-。……うん、そうね……」
呟いたチビに、カズサが何とも言えない渋い顔をした。




