【五年前の回想】魔研と父王の思惑
魔法生物研究所はいつ来ても胸糞悪くなる。
魔物や半魔の狂ったような咆吼、唸り声、血と臓物と薬品の臭い、鎖を引きずる音。そして何より、それに慣れきって平然と過ごしている研究員たち。
こいつらの頭のおかしい研究は、一体何のために行われているのだろう。
研究成果を人々に還元して役立てるという建前は、今やどこにも見当たらない。
……こんなところにチビを渡せるわけがない。
「今更、二年前に消えたガキを探せって? ……危険物とか言ってたけど、特に何も起こってねえじゃねえか。あんなひ弱な子どもなんて、放っておきゃいいだろ。首輪だって、絶対取り戻さなきゃならない物でもないんだろ?」
「勝手なことをおっしゃる……。そもそも、アレオン殿下があのゲートで処分してきて下されば、ここまで問題にはならなかったというのに」
興味なさげにうそぶくアレオンに、ジアレイスは明らかに苛立った様子で腕を組んだ。
ここまで問題にはならなかった、と言うことは、今チビが生きていることで、奴らにとって何か大きな問題になっているということだ。
「……なら、見つけても連れ帰るんじゃなくて、殺してくればいいんじゃないのか?」
「余計なことは考えなくて結構。……全く、あの子どもの世界での重要度がここまで上がってしまうとは、予想外だった」
「重要度?」
「殿下には関係のない話です」
ジアレイスはふんと鼻を鳴らすと、アレオンを連れてエントランスを抜け、廊下を歩き出した。
この方が、顔をつき合わせて話すよりずっとマシだ。
それは向こうも同じようで、ジアレイスはこちらに背を向けたまま用件を告げた。
「とにかく、今回アレオン殿下には管理№12を探しに、未だに調査に入っていない地域へ行って頂きます」
まあ、想定通りだ。
特に返事もしなかったが、ジアレイスは気にすることなく話を続けた。
「殿下に調査に行って頂きたいのは帰らずの洞窟です。王都から南西にある地底洞窟ですが、ご存じですか?」
「……まあ、存在は知ってる。さすがに行ったことはねえが」
帰らずの洞窟は王都から距離がある上に、下手に刺激をして王都を攻撃されると甚大な被害が出るという理由から、今まで国の調査が入ったことはない。言うなれば国の暗黙のルール、そこに手を出すのはタブーだったのだ。
それを、子ども一人を探すために破るという。全く、正気の沙汰ではない。
一体チビは奴らにとって、どういう存在なのだろう。
「帰らずの洞窟は、力試しに行った命知らずの冒険者が誰も帰ってこなかったことから名付けられた場所……。ですが、アレオン殿下ならきっとお戻りになれると信じています」
「そりゃどうも」
見え透いた上げ科白。当然本気のわけがなく、何か企んでいるようにしか聞こえない。
アレオンはそれをさらりと受け流して、ジアレイスの背中を睨め付けた。
(帰らずの洞窟か……。まあ、俺に行かせるならここだと思ってたがな)
帰らずの洞窟周辺に漏れ出てきた魔物から見て、洞窟奥にあるのはかなり高ランクゲートらしいと言われている。
そしてカズサから聞いた情報によると、出てくる魔物はアンデッド系を筆頭に、状態異常やレベルドレインを仕掛けてくるアレオンが苦手とする種族ばかりだった。
通常装備のアレオンだったら間違いなく対応しきれない。
そう、つまりこいつらは、アレオンに無事に戻って欲しいなどとは露とも思っていない。有り体に言えば、帰らずの洞窟でアレオンにも帰らぬ人の仲間入りをして欲しいのだ。
(親父が俺を反逆の首謀者として疑ってるからな。チビの捜索にかこつけて、俺の排除もしておこうということか。……ということは、今向かっているのは……)
ジアレイスに連れられて魔研の階段を上っていくと、やがて見知った扉の前に来た。
キイとクウの部屋だ。
(やはりそうか)
アレオンは内心でほくそ笑んだ。
アレオンが帰らずの洞窟に行くとして、死んだのを見届ける、もしくは洞窟で弱ったところにとどめを刺す者が必要だ。もしも子どもを見つけた場合は、それを連れ帰る役目もある。
それにはあの辺りの魔物に十分勝てる強さと、ジアレイスたちの命令を遂行する従順さが不可欠。
それならきっと、キイとクウになるだろうと思っていた。
ビンゴだ。
まさか彼らがアレオンにとって心強い同行者であるとは、ジアレイスも思っていないだろう。
「帰らずの洞窟の攻略、お一人では大変かと思いまして、管理№35と36もお付けしておきます」
「そうか。それは助かる」
本当に助かる。
部屋の扉が解錠されて、出てきた竜人二人はすぐにアレオンの側にやってきた。無感情を装っているが、嬉しい雰囲気が漏れ伝わってくる。
(こいつらも、俺が来ることが分かってたようだな。……事前に、何か俺に関する命令を受けてるんだろう)
これまでにも数度、難関ゲートを攻略する際に連れ歩いてきた彼らは、二年前に比べて格段に強くなっていた。
当然、未だに魔研で最高傑作と呼ばれている。
だが、この竜人二人は戦闘力以上に、賢さ・冷静さが素晴らしいのだ。それを無視して使役できている気になっているジアレイスを、アレオンは心の中で嘲笑した。
「……じゃあ、ありがたくこいつらを借りていく」
「もちろんですが、奥にあると思われるゲートもきっちり調査してくるようお願いします」
「分かっている」
そうしてやる義理もないのだが、ゲート攻略には日数が掛かる。その間アレオンが不在となれば、父王の気が緩み、ライネルは動きやすくなるだろう。これは結構利が大きい。
おまけに攻略中は、途中でゲートを出て秘密裏に地上で動き回れるという利点もある。あまり時間を掛けすぎると怪しまれるが、今回のゲートは事前情報がない分いくらでも言い訳がきく。
さらには奴らの思惑に乗って、消息不明や死亡を装うことも可能だ。とにかく、乗っておいて悪いことはない。
アレオンはキイとクウを従えて、踵を返した。
「アレオン殿下、ご武運を」
いつもは挨拶などしないジアレイスが、こちらの背中に向かって声を掛ける。
何とも分かりやすい、皮肉のようなはなむけの言葉。
アレオンはそれに応じることなく魔研を後にした。
魔研を出た三人は、そのまま帰らずの洞窟に向かった。
とはいえ、王都や魔研からはだいぶ離れた場所だ。ほぼ休まず歩いても三日は掛かる距離。
当然だが転移魔石で行けるわけもなく、アレオンは魔研から適度に離れた場所で立ち止まった。
「……キイ、クウ。まだ勝手に動くなよ」
「分かっています、アレオン様。……魔研から、キイたちをつけている者がいますね」
「一応そこそこ気配を消しているので、魔研が雇った隠密系の冒険者でしょうか」
「まあ、俺がちゃんと洞窟に行くかどうかの監視と、攻略の途中で地上に戻った場合の報告要員だろうな。……とりあえず、一度引き離すぞ」
小声でそう告げると、アレオンはおもむろにキイとクウを振り返った。そして今度は監視にも聞こえる大きさで二人に声を掛ける。
「このまま歩いていくのは面倒臭えな。おい、このあたりは人目もないし、ドラゴンになって俺を乗せて飛べ」
命令の態で指示をしたアレオンの前で、二人は翼竜に変化した。
魔研で小ドラゴンでいる時の大きさはあまり変わっていないのだが、こうして変化すると彼らは二年前に比べてだいぶ成長している。
すでに単体で体長五メートルほどになっているだろうか。
そのうちのキイが、自分の背中に乗れというように軽く首をしゃくった。
アレオンもだいぶ大柄になったが、それでもものともしないようだ。背中に乗ると、いとも容易くふわりと浮き上がった。
「場所はここから南西の方角だ。頼むぞ」
首の根元を軽く叩くと、それに応じるようにキイが羽ばたく。後ろでクウも浮き上がった。
空には地形による障害も敵もない。
アレオンたちがすぐに一直線で目的地に向かって飛び始めると、ずっと後方で監視役たちが急いで走り出した気配がした。
……まあ、どうでもいい。
ゴールは分かっているのだから、そのうち追いついてくるだろう。
まずは帰らずの洞窟に辿り着くのが先だ。
アレオンはエルダールの地図を広げると、その場所を確認した。




