【七年前の回想】使役と支配
「アレオンお兄ちゃん、そのお守りはいつも胸ポケットに入れて、できれば肌身離さず持ってて。絶対中を見たり、誰かにあげたりしちゃダメだよ?」
「分かった。もちろん、誰にもやらん」
「うん。約束だよ」
アレオンが請け合うと、チビは満足げに笑った。
一方で、それを見ていたカズサは無言で複雑な表情をしていたが。
「じゃあお兄ちゃん、ぼくに何か命令ある? ……あ、違う、ありますか? お兄ちゃんも違うかな。ご主人様って呼べば良い?」
「……は?」
「えっと、座る場所も違うんだっけ。ご主人様のいるところが上座だから、下座のきつねさんの隣に行っていい?」
「……うんおいで、おチビちゃん。一緒にこっち側で仲良くしよう」
「待て待て、チビ! 何でいきなりそうなった!? 今まで通りでいい! さてはあの『ビジネスマナー』とかいう本読んだろう! 俺相手にそんな作法いらんからな! ……狐、貴様も調子に乗るんじゃない!」
カズサの隣に移動しようとする子どもを、慌てて後ろから抱き込んで阻止をする。
するとカズサは呆れたように肩を竦めた。
「この明確な格差を望んだのは殿下じゃないですか。今のおチビちゃんは完全に殿下の支配下なんですから、そうなるでしょ」
「それは……いや、しかし、以前だって俺の支配下だったのにこんなこと言わなかったじゃないか」
「以前おチビちゃんを直接支配していたのはその首輪ですよ。今は殿下の直接支配。……それも、強力なヤツです」
「……強力?」
「……字は書けなくても、方陣は描けたんですねえ」
肩を竦めてそれだけ言うと、カズサはテーブルの上の空になったコーヒーマグを片付けに席を外した。
(ずいぶん含みのある言い方をしやがる……)
あの反応から、チビがくれたこのお守りがただ真名を捧げただけとは違うらしいことは何となく分かる。
だが子どもに命令できる強制力に変わりがないのなら、アレオンとしては問題がないと思うのだが。
……まあいい、とりあえずはチビだ。
アレオンは腕の中にいる子どもに頭の上から話しかけた。
「おい。俺の直接支配になったからって、別に何も変える必要ないからな。今まで通りでいい。言葉遣いも態度も変えるな」
「それは命令?」
「……何?」
身体を捩ってこちらと視線を合わせてきたチビにそう問われて、一瞬言葉に詰まる。
普通に応と返せば、アレオンは子どもの自分に対する行動まで支配することになるからだ。直接支配とは、そういうこと。
変えるなと命令すれば、今後、その言葉も態度も、アレオンが指示をするまでは一切変わらなくなる。……それは首輪が感情を封じていたことと、やっていることは同じではないのか?
命令によって彼の本心が埋もれていくのでは、結局アレオンにとって都合の良い傀儡と同じ。もしもそれがチビにとって大した負担でなくても、自分が嫌だ。
しかし、だからといって、明確に線を引いた態度を取られるのも耐えがたい。一体どうしたものか。
アレオンがそうして答えに窮して固まっていると、少し離れたところで聞いていたカズサが見かねて助け船を出した。
「おチビちゃん、それは命令じゃなくてお願いだよ」
「お願い?」
「そうそう。ね、殿下」
「あ、ああ。そうだ、お願いだ。言葉遣いも態度もお前の自由で良いが、そうしてくれた方が良いということだ。決して命令じゃない」
アレオンは即座にその助け船に乗った。こういう時のカズサの機転は、認めたくないが頼りになる。
「今更殿下相手に言葉遣い変えるのも大変でしょ。それこそ『変えろ』って命令されたわけじゃないんだから、おチビちゃんは普通にしてな」
「そっかあ。じゃあそうする」
納得してくれた子どもにほっとして、アレオンは腕の力を抜いた。
チビは今度は立ち上がろうとせず、隣にとどまる。
大丈夫、これは彼の意思だ。
……それにしても、直接支配というのは一体何が違うのか。使役ではなく支配という言葉の響きが引っかかる。
さっきまではチビに命令を出来る強制力があれば何でも良いと思っていたが、少し……いや、かなり気になってきた。
……このお守りには、どんな契約が込められているのだろう。
「お兄ちゃん、何か命令はない?」
そんなことを考えていると、子どもが再び訊ねてきた。
「……今は特にないな」
「そうなの? 何でもするよ?」
「何でもするとか軽々しく言うな。……じゃなくて、言わない方がいいと思うぞ」
命令口調になりそうだったところを慌てて正す。
そもそもこの命令権は、本当に万が一、この子が自分の元を離れようとした時のための保険のようなものだ。
日常的にチビに言うことを聞かせようとは露とも思っていない。
彼の可愛らしい行動は、彼自身の思考や感情から生まれるもの。そこにアレオンが命令で介入をしてしまったら、全ては作りものになってしまう。
命令口調も、今まで以上に慎まなければ。
「それよりも、さっきドラゴンたちをどうにかできるかもと言っていたな? あれはどうするんだ?」
アレオンはとりあえず、別の話題を振って子どもの意識を命令から逸らすことにした。
すぐにこちらの思惑に乗ってくれた子どもが、首を巡らしてドラゴンのいる木陰に視線を移す。
そこには、やはり先ほどから微動だにしないままの二体のドラゴンが立っていた。
「あのね、意思を戻せるかは、あのひとたちがぼくの声を聞いてくれるかどうか、なんだけど」
「別に、あいつらちゃんと俺の命令に従うし、耳は聞こえてると思うけどな」
「お兄ちゃんは使役者だからね。それ以外のぼくやきつねさんの声は、音として認識されてても、言葉として認識されてないんだ」
「お前の声は、あいつらにとっては意味を成さないただの音なのか」
「そう」
そう言った子どもは、小さく唸った。
「んー……。先にお兄ちゃんが話した方がいいのかな。使役が出来ないぼくじゃ、言うこと聞いてもらえるか分からないし……」
「俺にできることがあるんなら、やるぞ」
話題を逸らすために振った話だが、もしあのドラゴンの意思を取り戻し、こちらに引き込めるなら願ってもないこと。
アレオンは前のめりにやる気を見せた。
それに対して子どもが何故かちょっと複雑な表情を見せたけれど。
しかし彼はすぐに立ち上がった。
「じゃあ、一緒に来て、お兄ちゃん」
促されてアレオンも立ち上がる。
そのまま歩き出したチビに先導されるかたちで、アレオンはドラゴンの元へ向かった。
まるで置物のように佇むドラゴンは、本当に作り物のようで違和感がある。
その目の前に立たされて、アレオンは子どもの方を見た。
「……俺は何をすれば良いんだ?」
「えっとね、今は二人とも『個』がなくなっちゃってるから、まずはそれを作るの。……お兄ちゃん、この二人に名前を付けてあげて」
「名前ぇ?」
チビに『チビ』と名付けてしまうようなネーミングセンスなのだが、いいのだろうか。
アレオンはしばし考え込んだ。
赤と青、ファイアとアイスではあんまりか。魔研で使っていた識別番号を使うなんて以ての外だし、だとすると。
「……翼竜になった時、こっちの赤い方がキーキー鳴くから『キイ』、青い方がクークー鳴くから『クウ』でいいか」
「ん、可愛くて良いと思う。お兄ちゃん、その名前を二人にあげて」
あまりひねりのないネーミングだが、とりあえずチビのお眼鏡にかなったのなら問題ない。
アレオンはドラゴンのそれぞれに話しかけた。
「よし、赤いドラゴン、お前がキイだ。んで、青い方のお前がクウ。自分の名前だ、覚えておけよ」
そう言うと、今まで薄ぼんやりしていて焦点の合っていない感じだった目が、不意にこちらに向いた。
まるで、いきなり人形に魂が宿ったように。
「……これは、何が起こったんだ?」
「今まで『個』という精神の器がなかったせいで漂っていた魂が、そこに納まったんだ。お兄ちゃん、今度はこのひとたちに、『あなたたちはなにものですか?』って訊いて」
「あ、ああ。……『お前たちは何者だ?』」
アレオンがそう訊ねると、竜人たちははたと目を瞬き、何かを訴えるようにぱくぱくと口を開閉した。言葉は発しないが、何か言いたいことがあるというのは分かる。
さっきチビが『言いたいことがあるみたい』と言っていた、その内容だろうか。
「これで『個』に思考がつながった。後は魂と思考をつないで、感情を生み出すためにさらに『個』を強化しないと、肉体と精神が完全にはつながらないなあ……」
どうやらまだまだやるべきことがあるようだ。
子どもはぶつぶつと呟きながら、ドラゴンの瞳をのぞき込む。
その瞳には、何が見えているのか。
……本当に、この子は一体何者なのだろう。




